番外編

□拝啓魔法生物を愛するあなたへ
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その後もレギュラス自身が驚くほど、同じ場所で同じような光景を目にし、そして足を運んでいた。

おかしな人間がいる。そう分かっていても何故か足が進み人の目を気にしながら歩き慣れた森の奥へと進んでいく。足元の樹々の根元につく蛍光色の目印は見なくてもすんなりと進める様になってしまった。

馬鹿だなとレギュラスは嘲笑するがそれでも何度でも足は動いてしまう。拓けた場所へ出る前に明暗に目がすぐに慣れる呪文をかけて、強い日差しの元へ出る。

するとその場には……魔法生物をこよなく愛する変わり者のハッフルパフ生が木の根元に腰を下ろしレギュラスを待っていた。

乾いた土を踏み近付くレギュラスに気付き立ち上がり、嬉しそうに女生徒は手を振りいつもの挨拶を投げてきた。

「こんにちわ。スリザリン生君!」

「こんにちわ。ハッフルパフ生さん」

 既に何度も会った中とは思えない呼び方だがお互いに名前を聞こうとしないので、寮の名前で呼び合うことにも慣れてしまった。

正直今更名前を知った所で居心地が悪いとレギュラスは思う。それに名前を知らなくても意思疎通は出来る。一体何が問題があるのだろうと思うばかりだ。

忙しない犬のように明るいハッフルパフ生は今日もまた魔法生物ツアーにレギュラスを誘い、更に森の奥へと足を進め今日の御目当ての魔法生物の元へと歩いて行く。

誰よりも深い魔法生物の知識を持つ彼女の説明や注意事項を聞きながらも顔面に当たりそうな木の枝や葉を払い除ける。


「今日はねタルワニに会いに行こうと思うんだ。ここからすぐの沼地に彼等は群れをなしていて、実に優雅に浮かんでいるんだ」

「浮かぶ?ワニなのだから泳ぐのではないんですか」

「彼等は樽のように体が膨らんでいるけれど膨らみ過ぎて泳げないんだ。だから無風の時はぷかぷか浮かぶことしか出来なくて、ちょっとだけ可哀相だね」

「ワニなのに泳げない……」

 実に無様な生き物に同情するレギュラスだったが女生徒は注意事項を告げる。二人の足音が水気を纏う土を踏み付ける音に変わっていき、鼻の中を新鮮な空気を通り抜けていく。

「彼等はとても怖がりな子達でね。人間には自分達から手出しすることは無いし比較的安全だけど、あまり大きな音を立てちゃ駄目だよ。彼等ぺしゃんこになって死んだふりしちゃうから」

「なんというか……よくこの森で生きていけますよね。すぐに絶滅しそうな種族に思えてきますよ」

「確かにね。それでも昔からここにいる生き物みたいだよ」


 彼女の履く靴が徐々に泥濘に足を取られそうになりながらも、レギュラスも何とか樹々に手を添え沼地へと辿り着いた。

視界全体に広がる水面に縁を沿う様に、串刺しのソーセージのように立つガマや、レギュラスを容易く飲み込んでしまう程に高さのある茎はビーンズを潰したような穂がぶら下がる。

濁った水中から伸びる無数の緑の細長いイネ科の草も蔓延り人の手は加えられていないとすぐに分かる。

倒木した樹々が濁る沼に身を浸し、青々とした苔が息衝くその周辺に……樽状の丸々としたワニらしき物体はぷかぷかと浮かんでいた。レギュラスがタルワニと呼ばれる生物を見て絶句していると女生徒はクスクス笑う。


「意外だなぁ。スリザリン生君は滅多なことでは驚かないと思ったのにタルワニでそんな顔をするなんて……」

「……いや想像以上に間抜けな姿に言葉が……出ないといいますか。想像以上の丸々としたボディに呆気に取られてるといいますか……」

「タルワニに魅了されちゃったかな?」

「それはありませんね。それならバジリスクの方がずっと惹かれます」

「流石スリザリン生君。死ぬ覚悟で蛇の王様に会いたいなんて立派なスリザリンだね。私は寮のシンボルの穴熊よりもヒッポグリフの方が好きかな」


 むふふ。淑女とは思えない笑い方を零すハッフルパフ生にレギュラスは彼女らしいと苦笑する。魔法生物と練り歩く生徒は色気より食い気というか、色気より魔法生物という珍しい人間だ。

これが別寮だったなら彼女は浮いていただろうが大らかな性格が集まるハッフルパフだからこそ長所が伸ばされているのだろう。元々ハッフルパフという寮は趣味が高じて職へと繋がる人間も多いと聞く。

レギュラスの目の前で楽しそうにタルワニを見つめる彼女は間違いなくそういう職業へと進んでいくのだろう。

好きな物を通して未来を見る眩しい眼差しはふいにレギュラスへ向けられ、幾度目かの聞き慣れた質問が静かに訪れる。


「そろそろヒッポグリフで空を飛んでみない?」

「いえ結構です」

「ちぇー……まだ駄目かぁ」


 ブラック家直伝の社交辞令用のスマイルを見せ付けきっぱり切り捨てると、生徒は大袈裟なほど肩を落としぶつぶつと文句を垂れる。

これもまた会う度に交わされるある種の儀式めいたものへと変わってきたと口元を緩めた瞬間ーー沼ギリギリまで移動しようとしたらしい彼女の泥塗れの靴がズルリと滑り、驚いた顔のまま傾いていく。

その瞬間を視界に収めていたレギュラスは心臓に氷水を注がれたように冷たい嫌な汗が全身を駆け巡る。慌てて不透明な沼へ傾き続ける生徒の手を掴もうと自身も前のめりとなる時……名前を呼ぼうとして固まる。


(僕は……この子の本当の名前を知らないじゃないか。名前なんて知らなくてもいいと思っていたのに、こんな非常事態に個人の名を呼べないなんて……馬鹿みたいだ)


 バチャンと顔から水面に叩き付けられる音がレギュラスの近くで発生する。その沈み行く体から伸びる腕を掴むが重力はレギュラスさえも引き寄せ二人仲良く沼へと滑り落ちた。

体に纏わりつく冷たい水。激しく水音が立った所為か遠くの方でバチンバチンと風船が弾けるような音が聞こえる。このままでは水に溺れる……と焦りレギュラスが手と足で水を掻こうとすれば、簡単にその場に立てた。

はっは……とずぶ濡れのまま肩で息をするレギュラスが呆然としながら周囲を見回せば、バチンと大きな音を立ててタルワニがぺしゃんこに成り果て、死んだワニのマネをして浮かぶ群れがいた。

 
 何があったか分からないレギュラスだったが彼同様にびしょ濡れで起き上り、噎せて呼吸を正そうとするハッフルパフ生の背中を見て、そのまま視線を掴んだままの腕へと移動させる。

足を滑らせたのを助けようとして沼へと落ちた筈だった。だが思ったよりも浅く膝丈しか水は届いていない。死んだふりをするタルワニがいる中央付近はどうか分からないが……だがレギュラスは馬鹿らしくなって笑いを零す。


(何してるんだろう、僕等。こんな浅い場所で……ずぶ濡れで、ただの馬鹿じゃないか。馬鹿だと思うのに、どうして……笑いが止まらないんだろう)


 クツクツと笑いを零すレギュラスに気付いたのか前髪からも水を垂らしたままの生徒が目を真ん丸にしてレギュラスを見てくる。二人してびしょ濡れで遠くでは死んだふりをするタルワニの群れ。

馬鹿らしい。名前を知らない状況も馬鹿らしくてレギュラスは呆ける彼女を見ておかしくて仕方ないと声をあげて笑う。すると同じように彼女も笑い出して、高低差のある笑い声が沼へと吸い込まれていく。

ばちんばちん。またタルワニが弾ける音が聞こえ極端に笑いの感受性が高まり何もかもがおかしく思える。顔を見合わせ名前も知らない生徒の細まる目の中に、この状況を楽しむ自身を見つけレギュラスはつい言ってしまう。


「あなたの名前を聞いてもいいですか?」

「ロザンナよ。もう知り合って随分経つのに私達今までお互いの名前を知らなかったって凄いよね」

「ははっ確かにそう思います。実際こんな目に合わなかったらまだまだ名前を知らない日々が続いていた筈ですし……ああ僕はレギュラス。名字は、あなたに価値があるものですか?」

「いいや要らない。魔法生物には名前というか呼び方すらわかれば十分だから人間もそう思うよ。これからよろしく、レギュラス」


 もしロザンナがハッフルパフ以外ならレギュラスの名字に眉を寄せたり、怖気付くだろうかと考え魔法生物馬鹿にそんな考えは無いのだと本人から否定される。

その事実がとても嬉しくてレギュラスは彼女の腕を解き自分から手を差し伸べる。握手だと取ってくれたのかロザンナはパアアッと顔を輝かせてぎゅっと手を握り返してくる。

濡れたままの滑りやすい手はお互いに固く結ばれ、ずぶ濡れの顔だけは緩む。まだまだ笑いの沸点がおかしいのだろう。

空気を読んだのかバチンっとタルワニが弾けた音が聞こえ……また顔を見合わせて声をあげて笑う。するとまたロザンナが足を滑らせて繋いだ手ごとレギュラス共々沼へと派手に水しぶきをあげて転ぶ。


 
 知り合い以上友人未満だった二人の距離が近付いていくのを禁じられた森の魔法生物は誰よりもよく知っているのだろう。

禁じられた森の陰鬱さを掻き消す明るい笑い声は暫く止むことはなかった。



ーーまたね。

ーーええ。また会いましょう。



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