ボーダーラインを飛び越えて 1

□fourteenth.
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 その声を聞きながら感じる頭を撫でる手付き。それはこの家には無縁で夢のようなもの。シリウスは嫌がって何度も頭を振る。それでも撫でる手は完全には離れずにいた。

不意にシリウスの口から今にも泣きだしそうな掠れた声が漏れる。それでも手も名前を呼ぶ声も止むことを選ばない。


「めろ……やめて、くれよ……!離せよ、何だって、いうんだ……っ」 


 俯いていた顔をあげたシリウスの顔は迷子そのもの。行き場が分からずに迷って不安で濡れる瞳は彼の感情をよく表していた。

その顔を見て今度は母が動く。血色の悪い細い指は、幼い頃よりも骨張り一人の男として変わろうとする手をそっと両手で包む。ビクリと反応する手を確かめるように握りながら母も名を呼ぶ。


「シリ、ウス……シリウス」

 父とは違い母は何度か名前を呼ぶ度に目尻から透き通る涙を零していた。

切ない掠れた声でシリウスと呼ぶ母の声はまるで懺悔するように後悔と謝罪が込められているのが、向けられた本人では無いレギュラスですら分かる。


 天才肌で何でも自分一人でこなせるシリウスはきっと気付いてしまっただろう。

シリウスと呼ぶ声に籠められた想いも、あの時とは違う両親の心境の変化も……ーー決して演技では無い涙の理由も。


 レギュラスはシリウスの瞳から静かに涙が輪郭を辿って落ちていくのを見て、詰まりそうな息を細く静かに吐く。

シリウスの目にあった怒りはぐちゃぐちゃに掻き乱され、冷たい眼差しもドロドロに溶かされていた。何度も何度も感情を籠め名前を呼ばれながらも、彼は……涙声で縋る様に言う。


「やめてくれよ……まるで、俺がまだ……愛されているみたいじゃ、ないか……」


ーーシリウス。


 もう一度名前を呼ばれた瞬間シリウスは完全に頭を下げて嗚咽を零し始めた。彼が苦しくて寂しくて仕方なかった時にひとりで越えてきた辛さを、初めて家族の前で見せたのだろう。

シリウスのとめどない涙には今までの怒りも絶望も叩き割られて一粒一粒に籠められ……彼から離れていく。

それは雪解けにも似ていて。シリウスの零す泣き声が”一人にしないでくれ”と聞こえずにはいられない。彼の涙が枯れるまで誰一人としてその場を離れずに家族の声に耳を傾け続けた。










 シリウスが自分の溜め込んでいた思いを吐露した日から家族は本当に変わったとレギュラスは思う。勿論それはいい方の意味で、だ。

大泣きしたシリウスは本気で恥ずかしがっていたが、それでもその声は家族全員に届いた。

簡単に裏切ったり捨てた両親を許さないと言ったシリウスの心に止まっていた愛を注ぐようにスキンシップが激しくなったとも言える。


 両親はシリウスへの朝の挨拶からお休みの挨拶まで全て、物心がついていない子供に接するように過剰なくらい触れて安心させていた。

具体的にいうならば、笑顔で言葉の挨拶をした後にまずは頬へキス。それから額へとキスを落とし髪を撫でて最後にハグをする。正直十三歳にもなってこれを行うのは抵抗が無い訳が無い。


 困ったことにレギュラスまで巻き添えを食らう形で洗礼を受け、シリウスに巻き添えだと苦笑された。

シリウスも最初は激しく抵抗を見せていたというのに決して止めることの無い両親に、抵抗すればそれだけ面倒な事になると気付いた後は渋々洗礼を受けている。


 だがレギュラスからみればシリウスはどこか嬉しさを感じているのではないだろうかと思う。本当に嫌だったならばシリウスは部屋に閉じこもったまま休暇明けまで出てこない筈だ。

しかしシリウスはあの日からずっと家族と傍にいる上に少しずつ会話も円滑にしている。父も母もその変化に気付いているし笑顔も増えた。

シリウスはまだ心からという訳では無いがはにかむ様子が見られる。それだけでレギュラスは本当に変わったと嬉しく思うし何だか胸が温かい。この幸せを崩したくないと心底思う。







 休暇も半分も過ぎれば大分家族らしさが現れ始めたとレギュラスはその光景に口元を緩ませる。傍にはシリウスからプレゼントされたカメラを持つクリーチャーの姿もある。

彼等の目の前には三人掛けの豪奢なソファでシリウスを間に挟み父と母が息子に寄りかかりながら眠っている。

勿論シリウスも熟睡しており穏やかな三人の寝息など……もしかしたらレギュラスは初めて聞いたかもしれない。どんなに記憶を辿ってもこんな絶景は見た事が無い。

 きっと間違いなく大切な思い出になる。


 悪戯を仕掛けるように声を潜め口元で人差し指を立てクリーチャーにそっと声をかけたレギュラスはとても嬉しそうだ。

「いいねクリーチャー。ここで二枚の写真を撮るんだ。そして現像を頼みたいんだ。出来る?」

「勿論でございますレギュラス様っ」

「しー!……起きてないね。よし、頼んだよ」

 やる気満々なクリーチャーの頭を撫でてからレギュラスはこっそりとソファの背後へと移動する。

ひょこりと背凭れから顔を出し真ん中で眠るシリウスの頭の上で、起こさないように背凭れに両肘をつきウィンクをして合図を出す。そうして幸せを噛み締めるように笑い、クリーチャーがスイッチを切った。

大切な思い出が確かに増えていく音がした。


 今度は場所を移動しシリウスの足元へ腰を下ろし彼の膝に頭をこつんとぶつけ枕代わりにする。シリウスは顔を潜めもせずに深い安眠の海を漂い続けている。

それをいいことにレギュラスはメリッサ以外のちょっとした膝枕を味わう。やはり彼女と違って硬かったがほぼ膝小僧に頭を預けている状態なので致し方無い。

三人分の穏やかな寝息を聞きながらレギュラスはそっと目を閉じる。その際見えたクリーチャーまでも穏やかに微笑んでいて、小声で少しだけ聞いてみた。


「ねえクリーチャー……僕達は幸せそうな家族に見えるかな?」

「ええ。世界で一番幸せな家族にクリーチャーは見えます」

「そっか。ああ……よかった……おやすみクリーチャー」

「はい……お休みなさいませ。レギュラス様」


 ふかふかと気持ちがいい絨毯の感触と硬い枕。近くに安心する温度と寝息。それに誘われるままレギュラスの理性は溶ける様に睡魔の海へ落ちていく。

深い睡眠との狭間で揺蕩っている時にパシャリともう一枚撮る音がしてレギュラスは薄く微笑んで、意識を手放した。

ーー世界で一番幸せな家族の写真を手にするその時は家族みんなで見よう。そう心から願って。



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