ボーダーラインを飛び越えて 1
□eighth.
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「ふふ、ふふふ……っ」
「はは!あいつ……塩と砂糖を間違えて入れてるな……ハハハ!」
実に子供らしい失敗を送り付けてきた本人は絶対に初歩的失敗に気付いていない。ほんの少し抜けている所も何だかおかしくてブラック夫妻は腹が捩れるほど笑う。
ベッドに前のめりになってしまっても笑い続けた母は目に溜まった涙をそっと拭い楽しそうに笑いながら、久しぶりに父と会話を自分からしてみせた。
「でも私も初めてクッキーを作った時、砂糖と塩を間違えてとてもしょっぱいものにしてしまったの。懐かしいわ」
「ヴァルが?なんだ遺伝だったのか」
「もう!やめて頂戴……はぁ、こんなに笑ったの久しぶりね。オリオンと話したのも……久しぶりね」
「ああ……こうやって腹を抱えて笑いあったのなんて……ずっと昔にやっていたティータイム以来だろう?」
「そうね。あの頃は、レギュラスがいうようにただの親として接する時間があったのは事実ね。そしてとても穏やかな時間だったわ……きっと、もう……」
きっともう無理ね。そう続けようとして口籠りそっと瞼を下ろす母。だが父は黙るのではなく、骨と皮に近い母の手を握り締めて力強く言う。
「ーーきっとまだ間に合う。まだ、何とかなる。レギュラスがくれたチャンスを、私達が……親が信じないでどうするんだ。なあヴァル」
父の強い目に母は瞠目する。力強く手を握られ強い意思が篭る眼差しを受けるなどプロポーズの時以来かもしれない。
だが母は葛藤がまだあった。だがレギュラスの「ひとつを守ってくれるなら妄言と思っていてもいい」言葉に覚悟を決め、若干視線を逸らしながら紡ぎ始める。
「……私はレギュラスの言葉はまだ妄言だと思っています」
「ヴァル!」
「ですが……ただの親として息子達ともう一度関係をやり直したいと思うのは……いけないことなのかしら」
「……いけないわけなんて無いだろう。きっと正しいことだ。誰が否定したって……私達にとっては正しいことなんだ。壊れかけの家族が元通りになってなぜ悪い事だなんて言える?」
「オリオン……私は母としてやり直せるかしら……」
「大丈夫だヴァル。なんせ私達の息子であるレギュラスはあんなにしっかりしているじゃないか。シリウスとも時間をかけてやり直そう。これからもティータイムを開いてレギュラスに正しいクッキーの作り方を教えてやるんだろう?」
その言葉にブラック夫妻はまた笑う。そうしてキツく隙間がないほどに抱き合えば、母に絡みついていた不可視の家族ごっこの細い糸がぶつぶつと千切れていく。
それは何度も挑戦して何度も失敗した過去のレギュラスがまたひとつ報われる瞬間でもあった。
レギュラスが母へ吼えメールとクッキーを送り付けてから一週間がたった。その間ふくろう便の時間になるとやけにそわそわしているレギュラスが幾度も目撃されていた。
だがまだ返事が無いと僅かに溜息をついた日の翌日に……シリウスへ母から手紙が届いたことにグリフィンドール中……いやホグワーツ中に激震が走る。
吼えメールでは無く普通の白い封筒に重々しいブラック家の封蝋がされた物に、シリウスが一番驚きをみせ本当に母からの手紙なのか激しく疑っていた。
だがどう見ても見覚えのある字は母の字だ。朝食のチキンすらもう記憶の彼方に追いやったシリウスは悪戯仕掛け人とレギュラスにメリッサを連れ、足早に寮の談話室へと向かう。
わくわくしているピーターとジェームズ。興味深そうだが周囲よりも警戒を見せるリーマス。
眠たい目をこすりレギュラスによりかかるメリッサに「良い物が見れますよ」と誘惑し起きる事を勧めるレギュラス。
色々な視線を集めながらシリウスは固い表情でレターセットが置いてあるチェストからペーパーナイフを取り、彼にしては慎重に封筒を切り手紙を読み始めた。
一枚しか入っていなかったらしくそれも短い文だったのが透けて見える。だが文の短さなどどうでもいい程に濃すぎる内容を三度見したシリウスは血走る瞳でレギュラスを見て彼に詰め寄る。
「レギュラスお前ババアに何したんだ!?とんでもねえ手紙寄越したぞあのババア!」
「は?いや別に僕の本音を吼えメールで言い返しただけですね」
「チャレンジャーか!」
あーまじかよ……そういいながら頭を抱え手紙をレギュラスに渡したシリウス。
そのまま皆に「見たい奴は見てもいいぜ」と許可を飛ばすと一斉に皆がレギュラスと共に手紙に群がった。まさかのメリッサまでも眠気を吹き飛ばし覚醒している姿にシリウスは乾いた笑いを零した。
ーー私も気が触れてしまいました。なので息子達が獅子寮だろうと、もう何も言いません。
ーー今度の休みに帰って来て頂戴。クッキーを焼こうと思うの。たまには皆でティータイムを楽しみましょう。
ーー追伸。レギュラスは私と共にクッキーを作るのよ。決して塩と砂糖を間違えてはいけません。
その手紙を見てレギュラスがまずした事といえば、呆然とメリッサへとクッキーの調味料が合っていたかどうかである。
「……クッキーに塩を入れるのって間違ってたんですか?」
「…………えへ」
「わざとだったんですか!?ああ……そんな、僕が凄くしょっぱいクッキーを母上に送り付けていたなんて……!」
兄とは違う動揺に苛まれたレギュラスはよろよろとした足取りで背後へ後ずさり、丁度良くあったソファに勢いよく倒れ込む。
その上でまた「あああぁ!」と羞恥心に悶えながら顔を隠し、違う場所で兄は親の豹変に頭を抱え今後の休暇をどうするか本気で頭を悩ませていた。
「いやあ彼等はやっぱり兄弟だね!悩む姿なんてそっくりさ」
完全に目が覚めたメリッサを後ろからハグをして上機嫌に言うジェームズは面白い光景に二ヒヒと不敵な声をあげた。
それでもブラック家の氷が少しずつ溶けていってる証拠でもあり、長い目で見ればいい傾向なんだろう。ピーターは兄弟を交互に見て「確かに」と強く頷く。
だがここで甘党の帝王であるリーマスが不服であるといいたげな顔でメリッサに質問する。彼女のハシバミ色の瞳はぱちくりと瞬き、兄の物よりもずっと幼く見えた。
「所でなんでメリッサはクッキーに塩を入れようなんて思ったの?何十グラムもいれたらとんでも無い物になるって知っててやったの?」
「うん」
「ハハハ!流石メリッサっお兄ちゃんと同じく悪戯の才能まであるのかい?」
「無いから安心してお兄ちゃん」
ショックを受けることもないジェームズの上機嫌なハグを一身に受けながらメリッサは、未だ悶えるレギュラスを見てそっと大人びた笑みを浮かべる。
伏目がちのハシバミ色の瞳にはキラキラと金色の砂がちらついていたが、誰も気づかなかった。
「どうしてそうしたかなんて……そうした方がいいって思っただけよ」
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