ボーダーラインを飛び越えて 1

□eighth.
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 かつてレギュラスが入院していた聖マンゴ病院の一室。そこの中でも上等な室内にブラック夫妻はいた。

皺ひとつ無い上等なベッドに座り空虚な瞳で外の風景を見るヴァルブルガ……ブラック兄弟の実の母と、その血の気の無い手を握るオリオン……父が言葉も無く病室にいる。

 
 精神的なショックで食事も手につけない母はげっそりと痩せ美しい顔が過去の物と成り果てていた。

元々痩せ気味だった体はどこまでも骨と皮に近付こうとしており、父はどうにか食事だけは取る様にと言い聞かせるものの、生返事が返ってくればいい方で殆ど返事が返ってこない日が増えてしまっていた。

一応魔法で栄養を取るだの心のケアを中心にしているが……もしこれがマグルの世界だったならば母は体中に管をつけベッドに固定される日々を送る羽目になっていただろう。


 そんな重苦しい室内にバチッと姿現し特有の音がしたと思えばブラック家に仕える屋敷しもべのクリーチャーが、焦りを隠せぬ様子で父へ近付き真っ赤な手紙を差し出してきた。

鬱陶しいと言いたげな緩慢な動作でそちらを見て父は目を見開く。クリーチャーの手にあるのは母宛ての吼えメールだったからだ。

これでもかと動揺を隠せぬ父がクリーチャーへ怒鳴り付ける勢いで差出人は誰かと問い詰める。するとビクビク震えながら、母の心を追い詰めた張本人の名を呟く。


「レギュラス様です……」

「レギュラス……わかった。クリーチャーお前は一刻も早く屋敷に戻れ。また手紙が来るようならすぐに持ってくるんだ。いいな」

「仰せのままに……」

 恭しく頭を下げたクリーチャーはそのまま姿くらましをして影も残さずに屋敷へ戻っていく。赤い吼えメールはブラック兄弟が二人そろって胸元からぶら下げる色と同じだ。

それぞれの覚悟を背負い小さな体で決意して進む茨の道を、歩く度に垂れ流す血の色にも見えるそれを握りしめ、父は母へ切羽詰まる声色で心を占める子の名を呼ぶ。

「ヴァル。レギュラスだ。レギュラスから手紙がきた」

「……、」

 ピクリ。指先が反応をしたのを見てその手に吼えメールを握らせると、母は錆び付いたロボットのような歪な動作でそれを見下ろし、掠れた声を出す。

まるで老婆のように変わり果ててしまった声色は彼女の心のダメージをそのまま表しているのだろう。

「ラス、レギュ……ラス……」

「ああそうだ。レギュラスだ!何故吼えメールで来たかは分からないが開けてみよう。ヴァル開けられるか?」

「……ええ。ええ」

 普通の吼えメールにしては僅かに膨らんでいるが父は全く気にせず、一応防音魔法を唱える。

母の指紋も残っていないようなやつれた指先が震えながら封をあければ、久しぶりに聞く我が子の声に両親は目の奥が熱くなってくる。

決して明るいとは言えないレギュラスの声はどこか重い。だがそれも言葉が連なる程に感情を波にして訴えてくるので、最初の印象など簡単に流れてしまう。


《お久しぶりです父上、母上。僕は僕自身が望んだ寮で時間に追われながらも何とか生活をしています》

《グリフィンドールはとても明るくて子供っぽい人が多いのですが、陽気な寮です。純血名家であるブラック家の僕も全ての寮生が、ではありませんが快く受け入れて下さいました》


「また……グリフィンドール……っ」

 母の顔付きが大事な子供の命を奪った仇を見る恨みの篭るものに変わっていくのだが、次のレギュラスの言葉に水の泡のように消えてしまった。


《それは何故か?ーー兄さんが根回しをしてくれたからなんです。驚きでしょう?兄さんは僕がグリフィンドールに入ることを前もって寮生の人に自慢して寮内の混乱を最小限にしていたらしいです》


 くすくす笑うレギュラスの声。その姿は割と簡単に思いつくというのに、シリウスの笑顔が思い出せない。

母はシリウスの笑い声すら欠片も思い出せず、漠然とする。血を裏切り家を裏切るとんでも無い息子だが、それでも大事に育ててきた息子だ。

だが思い出せるのは凍り付く嫌悪の眼差し。それに気付いた母は震える声が飛び出てきてしまいそうな口元を手で覆う。


《ねえ母上。兄さんの笑顔思い出せますか?》

 まるで心を読んだようにただ穏やかにきいてくるレギュラスの声が母に突き刺さる。コップの水が何度も頭からかけられるように質問が注がれても母は何も言えなかった。

《兄さんの好きなものは?僕の好きなものは?僕の大好きな人の名前は?僕のーー気持ちは?これも全て妄言に聴こえてしまいますか?》

《僕はね、母上が僕の言う事を妄言だと仰るならそれはそれでいいと思っています。ただひとつだけきちんと向き合って頂けるならば、それでいいんです》


 緊張しているのかスゥと深呼吸する吼えメール。バクバクと心臓の音がこちらまで聞こえそうなほど吼えメールから聞こえてくる声は震えていた。


《僕は……もう一度家族をやり直したいのです。何度も壊れて歳を経るごとに溝が深まって粉々になる家族はもう見たくない。僕は、皆とちゃんと家族になりたい!》


 最後だけビリッと脳内にまで響くレギュラスの声に両親は驚いた。

そんな必死な声を聞いた事がなかったからもあるが、自分達は家族だと思っていたのに息子達はそう思っていなかったという相違に気付いたから。

自分達の愛情はブラック家を重んじる厳しさの中に埋もれ届いていなかったのかと気付いてしまったから。


 そんな両親の考えを読んだ様に苦笑交じりにレギュラスは続けた。

《勿論僕は両親に愛されている時間をあのティータイムの時に感じられていました。でも最初の方はそれが優しくて大切としか思えなかったけれども、メリッサが言ってくれて漸く気付けました》

《あなた達はご両親に愛されていたのねって。あの優しい時間があなた達からの愛情だと気付くのは……僕でも漸く気付けた程ですよ。本当に……愛情表現が下手というか、不器用といいますか……》


 ティータイムの時は確かに、張りつめていた親としての息子達を立派なブラック家の人間として育てる義務を少しだけ緩くしていた。

だが幼い息子達にはそこだけしか親の愛を感じられていないように取られていたと初めて両親は理解した。そんなの甘いと一蹴出来たならいいだろうが、いまの二人にはそんな気持ちは無くて。

ただ皆を繋ごうとする息子の言葉に脳内が揺れていく。心が揺す振られてしまうのは逃れようも無い。


《もしあの時ただの親として接して下さっていたならば……これからもどうぞただの親として僕達と向き合って下さい。ブラック家に相応しい人間になれとか……そういうのは全て僕だけに仰って下さい》

《兄さんは根っからのグリフィンドール精神ですから自由にさせましょうよ。僕は思考は完全にスリザリン生のままですので、使える物は何でも使いますよ。それに家は僕がちゃんと継ぐから》

《父上も母上も家のことは何も心配せずにーー僕達と向き合って不器用で散々だった愛情をもう一度注ぎ直して下さい。ほら、足りない所為で兄さんがせっかちになってしまったでしょう?》


 茶化しにかかるレギュラスはホグワーツに入る前に比べたら格段にお茶目になり明るくなっている。

これが成長か。そう父が感慨深く思う横で母はやせ細り頬骨が浮き出た顔で何とか涙が溢れない様にと歯を食い縛っていた。

怒りとかそういう感情は母の瞳には一切見えず。ただ急なことに戸惑いながらもレギュラスの言葉に宥められている気がしていたのかもしれない。


《僕も兄さんもまだまだ子供で。もうすぐ反抗期に入ってしまうだろうけど親からの愛は欲しいものです。他の子みたいにハグもキスもしてくれたら本当に嬉しい。ただ少しずつでも歩み寄れたらと願います》

《……それに頑張ったことも褒めて欲しかったですよ。僕もこれから先の未来を獲得出来たら僕等の所為で泥をかぶったブラック家を名誉挽回させるんですから、その時も褒めて頂かなくては困ります》

《最後になりますが……今度吼えメールを寄越す時はホグワーツの窓ガラスを声だけで割る位元気な時に寄越してください。今回みたいな奴は本当に肝が冷えます。では……》


 言うだけいって吼えメールは小袋を吐き出し母のベッドにそれを着地させると同時に朽ち果てていく。

思わず無言で小袋を見つめる両親。先に手を伸ばしたのは母で、大分力の衰えた母の力でも簡単に開いた中身を見れば、シンプルなクッキーが数枚入っていた。

中に紙も見つけ父へ渡し彼が読む。その間に母は一枚を取り出し興味深そうに引っ繰り返しながらクッキーを眺めていた。


「初めて作りました。味見はしてませんけど多分食べられますよ……味見をしていないのか、あの子は」

 先程までの妙に説得力のある演説をしたとは思えない手抜き具合に父は何だか可笑しく感じニヤける口元を隠す。

その横でその味見をしていないクッキーを一口齧る母は「うっ」と呻き慌てて口元を隠す。その様子に嫌な予感がした父もクッキーを袋から取り一口。

すると舌中にびびびと走る強烈な塩味。特大級の塩味は神経を通り背筋までビリビリと震えあがらせるので、ブラック夫妻は思わず潤んだ瞳を合わせ同時に笑いだした。




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