ボーダーラインを飛び越えて 1

□eighth.
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 レギュラスの心配は日を追うごとに積み重なる。メリッサと共に体に染みついた魔法を最初から学ぶなんて簡単すぎて、彼女とこっそり羊皮紙で筆談をして楽しんでいた。

心安らぐ時間は格段に増えて二人に少しずつ友達が増えたりしたが、それでも常に一緒にいた。

朝から晩まで隣り合って軽い冗談や話をすることがいかに幸せで満ち足りるものなのか思い知らされていた。とは言え以前よりもずっと眠りに弱くなったメリッサを長く拘束するつもりなんて無く。


 メリッサが瞼をこする動作を見せたらレギュラスは早々に彼女を自室へ返す。そして家から持ち込んだ禁書を読み進めて誰よりも遅くまで起き、誰よりも早く起きる身体的に追い詰めるような生活を続けた。

クリーチャーにわざわざ新しい禁書を持ち込んで貰い、読み尽した分厚い本は既に二十冊を越え……数週間が過ぎた。

家族からの手紙は未だ届いておらず、その事実を忘れるようにレギュラスは自分の知らない知識を求め続けていた。


 入学から一月も経てば漸く新入生も教室を覚え始め、馴染み始めた頃ともいえるだろう。レギュラスへ届く手紙も徐々に減りグリフィンドール席から炎があがる高さが徐々に低くなってきた。

そんな十月の中旬にーー母からようやく手紙が届く。グリフィンドールの談話室のように赤く毒々しい……どこか恨みが込められたように感じさせる冷たい手紙。

二年前にシリウスに届いたあの吼えメールと同じものが、ようやくレギュラスの手元に届いた瞬間に石が詰まり息苦しい胸中に、強い風が吹き……心が軽くなった気がした。


 感動のあまりシリウスへ興奮気味に突きつけたレギュラスの表情は弾けるように明るい。

「見て下さい!ついに来たんですっ吼えメールを母が!あの母が!」

「わ、分かったから、ババアが寄越したのは分かったから……!落ち着けレギュラス、気が狂ってると思われるぞ」

「喜んで狂いましょう!」

「よし分かった。ジェームズ、癒者を」

「校医のマダム・ポンフリーでいいかな?」

 これがクディッチならば巧みなパス回しで確実にゴールを決めていただろう。

目が半分も開いていないメリッサがテーブルへ額を叩き付けない様に気を遣うジェームズは、ひっそりと周囲の人間が耳に手を当て始めているのに気付き、迷う素振りも無く妹の耳に自分の手を当てた。

クスクスと嘲笑うスリザリン席の方から「気が障ったブラックが怒られるってよ」とグリフィンドール席に体を向け、レギュラスが手紙をあける瞬間を人を馬鹿にした笑みと共に待つ。


 わざと聞こえるように言うスリザリンの声にシリウスがこれまた聞こえるように言い返せば、怒りで顔を真っ赤にしていた。

「俺が入学した時のババアの怒鳴り声でスリザリンの奴等が沢山気絶していたなあ?今年は今の内に気絶しておくことをお勧めしとくぜ。怖くてもママにハグをして貰えないなんて耐えられないだろう!」


 シリウスが誰を見ながら言ったのかレギュラスには分からなかったが、吼えメールを開けることに細心の注意を払っていたのでどうでもよかった。

ビクビクとピーターが震えながらリーマスのローブを掴み隠れようとしていた。

リーマスは耳を両手で押さえながらレギュラスの手の中で吼えメールが口を開き、ぷかりと重力を無視して浮かびスゥッと息を吸うのを見て、訪れる暴力的な音に体を強張らせる。


ーーが、地響きの如く日響くであろう怒りから生まれたような女性の声は届かない。

 
 レギュラスは勿論だが耳を閉じていなかったシリウスまでも信じられない物を見る様に、一人でに喋る吼えメールを見続ける。

構えていた面々が数秒たっても全く響かないことに違和感を持ち恐る恐る耳を覆う手を外し始める。

リーマスがゆっくり外した時に聞こえたのは、死にかけの雀が振り絞るような風が一吹きするだけで掻き消される程度の囁き声。愛が篭る物では無く、恨みが語尾に感じられる冷たい囁き声だった。


「お前まで本当にグリフィンドールに入ってしまった……これが夢ならばと信じていました。だけど癒者にもお前達の父にも現実だと言われ、私はねレギュラス……」

「何が本当なのかわからなくなりました。お前が言う妄言が現実なのか、私が生きるこの世界が夢なのか。私は死んでいるのかもしれないわ。なにせお前は実際に何度も死んでいると言ったじゃない」

「誰が気が触れているのかさえ判別がつきません。家族一同?お前だけ?それとも私が……?ああ……すべてが……」


ーー夢ならばよかったのに。

 
 久しぶりに聞いた母の声に厳格で背筋が通った美しい声色の面影は無い。レギュラスは目の前で自殺していく吼えメールの残骸が、ゆっくりテーブルの上に散乱しスゥと溶けていくのを震える瞳で見届けた。

世界が止まったように周りの音がレギュラスの耳に入ってこない。届くのは申し訳無さに喘ぐ心臓の音と胸の奥で泣くサラサラと言う音だけ。

  
 シリウスもあの母親が……と動揺していたがレギュラス程では無い。誤魔化すように髪を掻くと、そのままテーブルに視線を落とし落ち込むレギュラスの頭を男らしく撫でた。

ぐわんぐわんと揺れる小さな頭。そこにレギュラスより二年歳を取るシリウスの手が乗せられたまま、彼は兄らしく弟の憂いを拭い去る努力をする。


「お前は何も間違っちゃいない。全て自分で考えて選び、これから待ち受ける誰よりもキツイ茨の道を覚悟してグリフィンドールへ入ったんだ。俺はお前を誇りに思うよ」

「……兄さん」

「あのババアはレギュラスの意見を無視して見ない振りをしてんだ。それもわざとだ。最後の最後に理性のある現実を直視した言葉を残してるのが何よりの証拠だろ」

 大した騒ぎにもならず食事を再開させる音が少しずつ増えていく。落ち込む様子を見せるレギュラスに気を使ってか、チラチラと様子を見ながら悪戯仕掛け人の三人に気付かずレギュラスは力の抜けた声を出す。

テーブルの下で自身の幼い紅葉のような掌を見て、ショックを握り潰そうとグッと握る。

「……兄さん。僕は、悪い子だ」

「おいおいレギュラス。お前が悪い子ならは俺は何だ?悪魔かよ」

「違うんです。僕は……母のあんな声を聞いたというのにあまりショックを受けていないことに、ショックを受けているんです。あんなに尊敬する両親を追い詰めたというのに……心が凍り付いてしまったのでしょうか?」

 ようやく顔をあげたレギュラスはシリウスを見上げた。シリウスが想像したボロボロに傷付いた表情とは違い、僅かに固い表情で困ったように笑う姿は……泣かれるよりもずっと対処の仕方に困ってしまう。

もう一度くしゃくしゃに髪を撫で回すシリウスは妙な考えに至る弟にそっと訂正させる。

「ばーか。本当に冷たい心の持ち主はそんな事を思う事自体しねえよ!優しいから出来るんだ。きっと俺の方がお前より心が冷たいんだぜ?」

「え?」

「だってよぉ俺が今の吼えメール貰ったら、うるせえババア!の一言だけだ。あとは楽しい記憶で嫌なモンを追いやる。んで学校を楽しむ。家のことなんて何も考えない……でもレギュラスは違うんだろ?」

「……はい。僕は一応返事でも書こうと思ってます。さらに吼えメール来そうですけどね」

 そういって苦笑するレギュラスの頭から手を除けたシリウスは大皿から好物のチキンを取り、行儀悪くそのまま齧り付く。

シリウスは空いた手でもうひとつチキンを取りレギュラスの皿に乗せてやると、彼は目を丸くさせながら感謝を述べ兄とは違いナイフとフォークで切り分けて、そのままお上品に口に運ぶ。

それだけでレギュラスにはあの両親から教え込まれたマナーも教えを手放すことは出来ないのだとシリウスは分かった。それでも家を裏切り、だが家も家族も大切に思うその心は優しさで出来ている。


 だからこそシリウスはレギュラスがこれから母へ手紙を書こうとすることを止めようとは思わなかった。するだけすればいいのだ。

シリウスが手放した冷たい家族すら拾い上げて、去ろうとする兄の手を握り、黙りこくる父を兄と手を握らせ……今度はレギュラスの幼い手で現実を見ない母の手を握ろうと足掻こうとしている。

誰よりも難しいことをしてみせたレギュラスの行動に、不思議と奇跡がついてくるような気がする。シリウスは直感的にそう思いながら目の前のチキンに齧り付いた。




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