ボーダーラインを飛び越えて 1

□twenty-sixth.
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 冬から春へ切り替わり、雪を孕む厚い雲が珍しくも夜空からカーテンを取り払ったらしい。

レグルスを見たいと気合いを入れていたメリッサだったが現在彼女はがっかりと肩を落とし、拗ねたようにレギュラスに言う。


「……レグルスがいないの」

「三月中にしか会えませんから。イースター休暇明けに見れないのは……致し方ありません」

「でも欲を言うなら会いたかったわ。レギュラス君と一緒に見たかった……」


 口を尖らせ子供らしく拗ねるメリッサの純粋な思いで発せられた言葉に、無粋で下心が潜む良くない捉え方をするレギュラス。しかし慌てて我に返り慰めに入る。

あわよくば……の可能性を小指の爪先くらいでも持ち合わせている方がおかしいと分かっていながらも、恋愛感情やら執着や触れた温度を覚えているからメリッサの言動に振り回される。

分かっていてもレギュラスは離れたいとは欠片すら思わない。誤魔化すように眉を下げて潰えない希望を口にすることでメリッサが元気になるように仕向けた。


「また次の機会に今度は僕と一緒に見ましょう?大丈夫です。在学中に何度だってあなたと見に来る気で僕はいるんですから」

「……ん」

「ほら、難しい顔をしないで。メリッサの笑顔を僕に見せて?」

 そう言うとメリッサは拗ねた顔から一転し、レギュラスが好きな惹き付ける笑顔を向けてくる。どんな宝石よりも数多の星々よりも価値のある笑顔。

いつだってレギュラスの傍にあり続けた笑顔は曇る事なくそっと彼の心を照らす。彼女を励まそうとしたレギュラスが逆に励まされた気分にもなるが、それがメリッサの長所でもあるとレギュラスは思う。


「レギュラス君は私が笑うと嬉しいの?」  

「嬉しいですよ。ホッとするといいますか、今日も見れてよかったと心底思いますね」

「なあにそれ。じゃあ星よりも私の笑顔の方がいいのかしら?」


 悪戯を企んだ兄達よりはマイルドな笑みのままメリッサは、呆気にとられるレギュラスの顔を覗き込んでくる。

澄み切ったハシバミ色の瞳にレギュラスが映る。ポカンとした顔から、メリッサが息を飲むほどに蕩けた表情へと切り替わっていく。

目も表情も声でさえも、抑え込んでいた愛や想いが舌舐めずりをするように。そこには子供の体に成熟し切った大人が映り込んでいるようにしか見えないのだろう。


「ええ。メリッサの方がいいです。この世に星空が無くなってしまおうが、あなたの笑みを見れるなら構わないと僕は思うんです」

「……」

「この気持ちはまだメリッサには分からないと思います。もしかしたら……分からないままの方が楽かもしれませんね。僕は沢山の後悔の末にそれを実感してしまいましたから」


 この休暇中に少しだけ大人に近付いた指先で、息を飲んだまま固まるメリッサの柔い頬をじれったく撫で下ろす。

触れた指先の所為で彼女が溶けてしまいそうなくらい焼け爛れそうな思いがレギュラスに灯る。


 たった一度の人生だけならば。身を焦がす想いも、亡くす痛みも知らずにのうのうと生を享受できた。でも二人は繰り返してしまった。

その回数が増える度に内外に篭る熱は増していった。この子がいなければ生きていけないと何度も思う中で、杖を向けられ無理矢理熱を奪われる。

絶望を繰り返す度に愛しさだけは単純にも揺るがないものへと進化して。レギュラスの手は決して綺麗な物では無いというのに、今傍にいるメリッサの存在に触れずにはいられない。


 今まではお互い記憶があったからこそ積み重ねた愛の奥底で痛みを分けあい、慰めあっていた面も確かにある。でも今回はそれは難しいのだろう。

それならばと……こつんと傷ひとつ無い額を重ねメリッサの揺れる瞳を見つめ、レギュラスは苦笑混じりに願う。頬を滑る手は彼女の輪郭を辿り滑り落ち、芝生へと手をつく。


「その純真で無垢な心のまま少しずつ大人になって下さい。暖かくも醜いこの世界でメリッサ自身が感じた気持ちのまま、いつか誰かを好きになって幸せになって下さい」

 まるで別れの言葉にも聞こえるレギュラスのメッセージ。レギュラス自身は誰かの部分は暗に自分を指していたがメリッサには違う風に聞こえてしまったようだ。

芝生へと落ちたレギュラスの手を取り再び頬へと当てたメリッサは、どこまでもまっすぐに訴えてくる。その言葉に驚くのはレギュラスの番だった。

「誰かってあなた以外の誰かってこと?私はーーレギュラス君を好きになるんでしょう?」 

「ーー……ちゃんと意味分かって言ってます?友人として、なんてありきたりな落ちは僕には通用しませんよ」

「お兄ちゃんがリリーを想う気持ちよね。流石に分かるわよ」

 どこか自慢気に笑うメリッサだがレギュラスからは子どもが情報として知っている程度にしか思えず、苦笑しながらそっと離れた。

それだけで不安に感じたのか「あ……」と彼女が寂しそうな声を出した。正直な話その声だけでレギュラスの心臓が跳ね上がったが、何とか堪えてもう一度言い聞かせる。


「メリッサが僕の事をそういう意味で好きになってくれるなら本当に嬉しいです。でもそれはもう少し大人になってから……だって今のあなたは僕とレグルスだったら、星の方を選んでしまうでしょう?」

「う……い、一応レギュラス君も一緒に見ることが大前提よ?」

「それでも……星に負けるくらいならまだまだです。だから……もう少し子供のままでいましょう、ね?」


 答えはYES以外求めていない聞き方に渋々メリッサは頷く。良く出来ましたと柔い頬に触れていた手でむにむにと頬を揉んでやると、嫌そうな声がレギュラスを拒否する。

どうあがいても子供の反応。そしてメリッサが最初に、レギュラスを好きになると聞いて来た事。そこには断定の言葉では無く、地に足がついていないあやふやな感情が口に出てしまったのだろう。


 恋にもならない一息で吹き飛んでしまう感情は……他の誰かに根腐れをされない為にレギュラスが大切に囲い育てていく。

彼女にありったけの想いを籠めて徐々に成長させ、数年後に愛らしい口から同じ言葉が出る様に。

そう心に決めてレギュラスは反撃にと伸びてきたメリッサの手に頬を掴まれ、呂律の回らない反論を口に出し子供らしく笑った。





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