■テイルズ■
□導きの手
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「こんなところにいたんですか」
「…導師…。何の用だ…?」
先程までの雫を含んだ空が嘘のように晴れ渡る。
水陸両用の、この艦から眺める海は、眩しい程の光を反射して瞬いている。
光の王都と呼ばれるに相応しい遠い故郷。
バチカル。
その地を訪れることは、もう二度とないと思っていた。
導師を連れ去る為とはいえ、海の見えるあの綺麗過ぎる場所に行くなんて、嫌悪でしかなかった。
すぐ近くに、父上や母上が俺のことなど何も知らずに存在する。
そう考えると、自分は本当に孤独なのだと思い知って、悲しくなる。
自分の両親でさえ、俺のことを知らない。
婚約者であるナタリアや幼なじみのガイも、レプリカを本当の俺 ―ルーク・フォン・ファブレ― だと思っている。
俺を本当に必要としてくれる者は誰もいない。
そう思い知らされるのが、酷く辛く、怖い。
「…僕は…海を見に来ました。アッシュ、貴方は何を…?」
潮風が、優しく鼻を突く。
風が頬を撫でるように通り過ぎていく。
「…外の空気を吸いに来ただけだ。艦の中ばかりでは息が詰まる」
「そうですか。海は、お好きですか?」
「…嫌い、だな…」
答えて視線を落とすと、広がるのはサファイアのように澄んだ紺碧。
あの頃と変わらない景色は思い出ばかりを蘇らせ、それがもう現実にならないのだということを突き付けてくる。
美しいものばかりを見せて、俺はもうその場所には戻れないのだと無言で訴えてくる。
「…僕も同じです…。話に聞いた海というものは、もっと優しいものだと思ってましたから…」
「海は危険な場所だと、昔幼なじみが言っていたな」
「そうですね。海だけではなく、自然はいつ人を襲うか分かりません。身体だけではなく、心も…」
「…」
ざざぁ、と波が飛沫をあげる。
薄い雲が様々な形を模して流れていく。
酷く静かな、落ち着いた時間。
先程までの出来事が嘘のように。
沈黙を破るように、俺は再び口を開いた。
「…聞かないのか?俺が、ルーク・フォン・ファブレとどういう関係なのか」
先刻、バチカルの近くでレプリカと顔を合わせた。
正面から見るあいつの顔は、驚くほど自分にそっくりで吐き気がした。
驚愕に怯えるあいつの瞳が、酷く憎らしいと思った。
こいつが俺の変わりに、俺の全てを奪ったのだと思うと、許せなかった。
理不尽だろうが何だろうが、自分の感情を押し殺すことなど出来なかった。
「俺は、ファブレ家の…」
言葉を紡ぐ前に、手を優しく包み込む温もりがあった。
俺より少し小さい、だがとても暖かい掌。
さっきまで雨に打たれていたというのに、そんなことは微塵も感じさせないくらいに優しいその両手。
どうやら子供は体温が高いというのは本当らしい。
「…導師」
「それ以上は結構ですよ。…聞いても、あまり意味がありませんから…」
そう言って笑うその顔さえ暖かいと思うのは、俺の心が酷く冷めきっているからか。
或いは、導師も心の何処かで俺と同じ感情を抱えているからか。
「…そうかもしれないな」
「アッシュ…貴方の進むその先に、神の御加護があるように…僕は祈ります」
「…神…か…。ユリアではなく、か?仮にもローレライ教団の最高指導者だろう」
「…いいんです。ユリアはただの第七音素譜術士…。神ではないのですから…」
緑色の髪が揺れる。
それは今にも溶けてしまいそうな程儚く。
もしかしたら、導師は自分の死期を悟っているのかもしれない。
そんなことを考えてしまうくらいに、瞳の前の人物が脆く、哀しく、世界を嘆いているように見えた。
「…導師、貴方にも…神の加護があるように…」
呟くようにそう口を動かすと、まだ幼さを残す淡い顔が俺の隣で小さく笑った。