駄文

□悲しみの声しか聞こえない。
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 燐は悪魔に覚醒してから、人の心の声が聞こえるようになった。
 最初は空耳かと思っていたが、それが燐に向かった周りの心の声だと、ある日気が付いた。
 ただすべて聞こえる訳ではなく、燐への悪意や嫌悪、殺意等、燐の身に危険を及ぼす可能性がある物だけなのだが。
 そしてその思いが強いほど、まるで直接言われたかのようにはっきり聞こえるのだ。
 
 騎士團に燐の正体がばれて、半年後の試験に合格しなければ処刑と言われたが、騎士團上層部の心の声は、燐がどんなに優秀な成績を取ろうが処刑するつもりでいた。
 どんなに必死になったって合格点も厳しい燐なのに、最初から処刑ありきでは勉強など身に入るわけがない。
 でも弟の雪男は、そんな燐の態度にいら立ち、『まじめにやれ。』『なぜ必死にならない。』『誰に救われた命だと思ってるんだ』と、冷たい言葉ときつい態度で接するのだった。
 その時雪男からは、《兄さんのそういうところが嫌いだ》という、声が聞こえる。
 思わず、そういうところってどこだよと聞きたくなるが、それは雪男の心の声だし、雪男には悪意が聞こえることは言ってないので燐は黙るしかなかった。
 雪男は口からは叱責を、心の声は嫌悪を燐に伝えて来ていたから、燐は雪男に嫌われ憎まれていることを疑いもなく受け止めていた。
 だから燐は雪男から離れたいと思ったのだ。
 もうあと数カ月で燐の一生は終わる。
 その短い時間を、弟から小言と嫌みと嫌悪感を上から目線で浴び続けるのを望むほど、燐は壊れてはいなかったから。
 せめてその数カ月、心穏やかに静かに過ごしたかった。
 本当ならたった一人の肉親の双子の弟と、最後をゆっくり迎えたかったが、伝えたところで雪男にその気はないようだし、憎まれてるならそれも当然かとも思った。
 そこでともに、不浄王の事件を乗り越えて信頼を深めた祓魔塾の仲間と、シュラには最後のお願いとして雪男から離れる手伝いを頼んだのだ。
 塾生たちもシュラも、彼らは燐の話を、信じてくれた。
 シュラにしてみれば、あの場で処刑にしなかったことを怪しんでいたくらいだから、かえって納得したようだった。

「なんで、そないわざわざ半年なんて猶予言ってきたんでしょう?」

 子猫丸のこの疑問は、その場の全員の疑問だった。

「あくまでもあたしの推量だけどにゃ、そのままその場で処刑ではいくら魔神の落胤でも慈悲がなさすぎると声が上がるのを封じるためだろ。半年では短いとは思うが、それでも多少はあがく時間を与えた結果なら、文句の上がりようもないと思ったんだろうさ。」
「三賢者宛てにそないな声、上げる人っていはるんですか?」
「上っ面だけでも人格者気取るとか、後援者の中にはいろんな奴らがいるからにゃ」

 騎士團内部も色々あるんだなと、改めて組織の難しさを感じはしたが、燐の処分についてはどうにもならないいやらしさが悔しかった。
 三賢者が決めたと言うのなら、もうそれは動かしようのない事実なのだろう。
 あとは燐に逃げてもらうしかないのだが、それによって雪男や塾の同期に迷惑がかるのを燐は嫌がった。
 燐としては、この世にたった一人の弟に迷惑をかけ憎まれるなら、この身を処分されたほうが気が楽なのだ。
 幸い弟は人間だし、頭も優秀で人にも好かれている。
 しえみという彼女もできた事だし、燐の存在などいない方が雪男にとって幸せだと思う。
 そう淡々と悲しいでも悔しいでもなく話す姿が冷静過ぎて、燐がもうすべてに達観してしまっているのが明らかだった。
 シュラはまだ15,6のガキなんだから、駄々捏ねたっていいと言ってやりたかったが、確かにどう駄々をこねても、事態が変わることがない以上、今の燐の冷静さがただ悲しかった。

「雪男に言った方がいいんじゃないのか?そうすればあいつの態度も変わるかもしれないぞ?」
「ありがと、シュラ。だけど言ったろ?あいつの心の声。口だけならまだしも、心から嫌われてんのに、表面だけ取り繕うなんて、最後の最後まで嘘で繕われたくねえよ。」

 15年間騙されて過ごした日々が、騙されていたことを知った時、まるで霞に隠れるようにぼんやりしてしまった。
 確かに幸せだったはずなのに、楽しかったこともたくさんあったはずなのに、すべてが偽りというカーテンに覆われてしまったのだ。
 ならばせめて最後までの数カ月は、本当に楽しかった記憶を残したい。
 たとえ魔神の落胤でもそう望んでもいいだろう。
 そう言って寂しげに笑う燐の願いを、断れるものはいなかった。
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