いち
□わかっていたこと
1ページ/1ページ
今日も、弟たちが眠りについてから。
「静かにね…」
無理だっていうのに、いつも同じことを。
だいたい、このシン・ドンウって男は、わかってない。わかったようなふりして、大事なことはひとつも。
だって、知ってたら、俺はこんな気持ちにさせられることなんてなかったじゃないか。こんな、虚しい気持ちに。
「…ねぇ」
「しーっ…」
聞こえちゃいけないからって、愛してるの一言も無しに、ただ“する”だけ。俺たちは恋人で、セフレじゃないのに。
もうだいぶ恋人でいた気がするけど、宿舎暮らしじゃ二人の時間なんてなかなかとれなくて、今日まで、恋人らしいことひとつもしてない。
弟たちに隠れて深夜にこっそり体を重ねてたって、言葉も交わさずにするセックスに愛は感じられなくて。
もう、やめてしまいたかった。もちろんドンウを愛しているけど、まだ恋人でいたいけど。
「あ…、あぁ…ッ、……」
声を抑えようとしても、それができない。子供みたいに、従うのが嫌だった。困らせたかったんだ。
俺がこれくらいしても平気なんだから、小声で話すくらい許されない?
もう少し、恋人らしい言葉をかけてほしい。言ってよ、愛してるでも、好きでも、なんでもいいから。
愛してたのは最初だけ?もう今はお前から、愛が感じられない。
「…、!」
目を見つめて言葉を待っているのに、叶わない。外で音がした。ドアが閉まる音。誰かが起きてきたんだ。
目の前の非情な男は、俺のそばを離れる。
(…俺は、ほったらかし。)
もう、いいよ、外にいるのが誰だって。きっと知らないふりしてくれるよ。どうしてそんなに気にするの?そんなに知られるのが嫌?
「…チャニ」
「あれ、まだ起きてたんですか?」
なんだ…チャンシクなら、ますます見に行く必要なかったじゃない。あの子はもう…。
ああ、やだな、考えちゃった。馬鹿な俺。
「チャニは、起きてきたの?」
「はい、なんか目が覚めちゃって」
「そう…」
ドアの向こうから聞こえる声に、二人の姿が目に浮かぶ。なんにも知らないドンウの前で、チャニはどんな顔をしてるんだろう。
声を聞く限り、いつも通りだけど。
「…お休みなさい、ヒョン」
「え、ああ、お休み」
俺もそっと、お休み、ってつぶやく。いたたまれないね、こんな格好で。
今日、あの子はちゃんと眠れるかな。いや、眠れそうにないのは俺のほうか。ちょっとあまりにも、悩むことが多すぎるよ。
ドアの外のドンウに、戻ってきてほしくないと思ってる。もう少し、ひとりで考えたくて。このままセックスをするのは、危険で。
「チャニだった…もう寝るって」
「ん…、聞こえてたよ」
「……。」
また、黙って。頷くだけ。そのまま俺に覆いかぶさって、キスも無しに再開。これにどうやって愛なんか感じられるっていうのさ。
もしあの子だったら?
掻き消そうとしてもまた浮かぶ、許されない想像。だから嫌だったんだ、チャニの声を聞いてからセックスするのは。
「…ん、ッ…あぁ、」
ドンウは俺をちらりと見て、それだけ。もう俺の声に構うのはやめたらしい。
こんなとき、もしチャンシクだったら、柔らかく笑って、キスでふさいでくれたりするんだろうか。
今触れてるのはチャニの肌じゃないのに。ねぇ、だって、何も言わないから。目をつぶれば、チャニだって思いこむことも簡単なんだよ。
俺がとんでもないことを考えてても、それを知らないドンウは。「愛してる」の一言で俺を連れ戻してくれない。
もし知ったら、妬いてくれる?それとも俺たち、別れようか?違う人のことを考えながら抱かれてたなんて、俺を最低だと思うでしょ?
別れようか、いっそ。そして俺は、俺を愛してくれるあの子のもとへ。
そうしたら、幸せになれる気がする。少なくとも、今より。
「…ジニョンア」
「っ、なに…」
中身のないセックスが終わって、服を着終わったところで。いつもよりずっと深刻そうな声。どんな話かなんて、まぁ良くはないんだろうけど。
「俺たち、別れてもいいよ」
「は?…何言ってるの?」
耳を疑った。まさか、そんな言い方で言われるなんて思ってなかった。
「ジニョンがそうしたいなら、そうすればいいよ。明日からは、チャニとでもなんでもこうしてればいい」
「意味わかんないんだけど…」
「俺を愛してないだろ?」
何を言ってるのか、本当にわからない。やめてよ、それは俺のセリフじゃないの。
そっちこそ、俺を愛してないじゃないか。やっぱりひとつもわかってなかったんだね。
俺がどれだけお前に愛されたかったか、そんなことも知らずに。
でも、そう思ったなら。それでいいよ。お互いにそう思ってたんだったら、もうどうにもならないでしょ、俺たち。
「…そうだね、そうかもしれない」
「俺は、」
「愛してた?聞きたくないよ、今さら」
「ごめん」
謝るくらいなら、最初から一言、言えなかったの?「愛してる」って、そんな簡単な一言で、俺たち幸せになれたのに。
どうしてそんなに切なそうな顔をするの、まるで俺が悪いみたい。お前が言ってくれなかったからこうなったんじゃないか、…。
ああ…俺も、言ったことがなかったね。
「…愛してたのに」
もう遅かったみたいだ。気付くのも遅かった。言うのも遅かった。過去形でしか表せなくなって、こんなに悲しい告白は初めてだ。
だって俺の言葉を聞いても、ドンウは表情を変えない。
戻れないね、俺たち。
俺は、同じことをチャニにしないようにすればいい?それで報われる?
正直まだドンウに気持ちがあるよ、だけどどうしようもないじゃない、そんな諦めたような顔されて、もう一度愛してくれなんて言えるわけがない。
「もう、寝るよ、俺」
「…お休み」
これが最後だなんて、知らなかったから。もう少し、目の前にいたドンウを、見ておけばよかったと思う。
こんな風に部屋を出ていく姿、もうこれで最後。後ろ姿を見つめるのが、未練がましくて嫌になった。
もしチャニが同じように、夜中にこの部屋に出入りするようになったとして、俺はその姿を、ドンウと重ねてしまわないだろうか。
ドンウがこうだったら、と思ってしまわないだろうか。俺に愛を示してくれるチャニに、泣けてしまわないだろうか。
あの子だけは、苦しめたくないのに。
悩むことはたくさんあるけど、確かに、今求めてるのはチャニだ。あの子に愛してほしかった。素直に、ただそれだけ。
ドンウはもしかしてわかってたの?凍ってしまった俺たち、もう限界だって。俺がチャニを求めてたって。
俺は利己的だね、すごく。
ドンウが俺を想って切り出してくれたって、そう思わせて。そしたらその分俺は、チャニを大切にできる気がするんだ。
素直に愛してるって言って、言ってもらって、恋人らしく、たまには二人で出掛けて。ドンウとできなかったことを、チャニと。
ドンウがそれを望んでるって、そう思うことにするよ。
…そうじゃなくてももう、本当の気持ちなんかわからないから。
_