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□サユリさん
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「あ、サユリさんだ」

急に呟いた成歩堂さんの言葉に、なんとなく視線を向けた。
ただ、知り合いでもいたのかなという簡単な発想だったのだけれど。
その視線の先にあったのは何故かペットショップだった。
あれ、今。女性の名前を呼んだ気がしたんだけどな。

「知り合いでもいたのかい?」
「知り合い…?いや、残念ながら今初めてみたね」
「初めて…で、名前が分かるなんて、可笑しな人だね」

くすりと笑うと、成歩堂さんはきょとりとした顔で首をかしげた。

「名前、名前なんてないんじゃないかな。まだ誰かに買われる前だろうし」

なんだか話がかみ合っていない気がした。

「ペットショップに女性がいたんじゃないのかい?

」尋ねると、暫く考えたあとで、ああ!と軽く叫ぶ。

「はは。違うよ。サユリさんていうのはね、彼女のことさ…いや、彼かもしれないけどね」

薄い笑いを浮かべたな成歩堂さんの言葉の意味がわからなくて、なんだかイライラする。

「なんだか情けないけどね、ぼくも気が長い方じゃないから、回りくどい言い方はよして教えて欲しいんだけどな」

にっこりと、芸能人スマイルを浮かべて言う。僕が成歩堂さんにその笑顔を見せるときは、ある意味おどしかけているとき。同じ笑顔を夜の空気を感じさせるために使っている。
愛想笑いとはちょっと違う。
ただ、明確な意思があるんだぞ、と伝えるための笑顔だ。
勝負に挑む顔、とでもいうのかもしれない。

「…響也くん、別に変な過去とかじゃないよ。言っておくけど」
「被告人がさ、根拠を示さずに言いわけするのって、返って怪しまれるんだよ。ね?」

今度は明確な脅しかもしれない。
早く吐かないと"有罪"にしちゃうよ、っていう。
まぁ、僕としてはそれでもいいんだけどね。どっちにしろ今日は彼をあのお譲ちゃんやおデコくんに返すつもりはなかったし。

「…怖いなぁ…まぁ、別に本当に大した話じゃないんだ」

そう言って成歩堂さんは過去に経験した、複雑な事件のことを話してくれた。
たっぷりと数十分。
途中でいくらなんでもそんな話題を往来でしたらまずいと判断して連れ込んだ喫茶店で頼んだコーヒーが完全に冷めるくらいの時間をかけた思い出話のあとで、ようやくサユリさん、が何なのかを理解した。
っていうかさ

「それって【サユリ】っていう名前のオウムを過去に尋問した、っていえばいいだけじゃないの?」

成歩堂さんの小学校時代の思い出にまでさかのぼった話を延々と聞かされた僕は、正直心がささくれだっていた。
別に、話が長かったからじゃない。
恋人の他愛もない話に付き合えないような甲斐性のない男じゃないと思ってる。
ただ、僕がいらついたのは。成歩堂さんが話の中で、彼曰くの親友について触れるとき、ふわりとその顔が和らぐこと、だ。
あの事件以来身についてしまったらしいだらけた顔とは違う、初めて逢った――法廷で向かい合った時のような生き生きとした顔。

「昔のめちゃくちゃな裁判なんて聞いても参考にならないしね。用件だけかいつまんで話してくれないかな。スマートにさ」

自分から出る声が酷く遠い。何だいこれ、全然カッコ良くないじゃないか。自己嫌悪に陥りそうになって、成歩堂さんがそれに気づく前にと思ったのは、既に遅かった。

「・・・あれ、響也くん」

目をくりっとまるく開いて僕を見つめる黒い瞳。くたびれたニット帽に隠れた特徴的で艶やかな黒髪とは違って常に表にあるくせに、膜を張ったように光をひそめてうずもれようとするその黒い瞳に、ちらりとからかいの色が宿る。

「もしかして、嫉妬したのかい?」

ち、と思わず下品にも舌うちなんてしてしまった!
普段はのらりくらりと遠回りにしか語らない癖に。何でこういうときばっかりストレートなんだい、この男は。

確かに僕は、自分が引き出せない成歩堂さんの穏やかな顔に、この顔を想い出だけで引き出すことができる男に、嫉妬していた。




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