「僕さ、御剣のこと、ずっと好きだったんだよね」 それは何でもない、ただ都合があったから飲みにでも行こうかとどちらともなく誘って居酒屋に出かけた夜のことだった。 言おうとしたのではないだろうと分かる一言だった。 声に出した後で、はっとしたように口元を押さえた成歩堂の表情がそれを告げている。 御剣は一瞬、言葉を理解することができなかった。 それまでの会話の流れから切り離された、どうしてその言葉が出たのか成歩堂本人にすら分からない告白。しかし、一度世の中に出てしまった物は現実には取り消すことはできない。 ぴたり、と動きを止めた御剣の顔に、成歩堂は酒で紅潮していた顔を一気に真っ青にしてぷるぷると震えだす。 はくはくと、音もなく開閉するばかりの口は空回りして意味を為さない。 「なるほ――」 名前を呼ぼうとした言葉は最後まで紡ぎきることができなかった。 「ごめん、ぼく……先に帰る」 投げ捨てるように言って、ポケットから取り出した財布から適当に掴んだ紙幣をテーブルに叩きつける。 御剣の返事を聞くこともなく、店を慌ただしく出て行った。 その出来事があったのが、数日前 それから御剣は成歩堂にあからさまなまでに避けられている。 電話は全て呼び出し音が鳴りっぱなしのまま放置され、メールもなしのつぶて。事務所に寄っても明らかに人の気配のある所長室の手前で真宵に止められるという始末だ。 「……あまりにも勝手だと思うのだがな」 ぼそり、と零れた低音の独り言に事務官がびくりと肩と心臓を揺らす光景が何度も確認されていた。 どうせまた、あの弁護士と何かがあったんだろう、そんな噂が実しやかに流れている。 人付き合いがいいとは言えない御剣検事が、順調に進んでいる仕事以外で感情を荒立てるなどということは、あの弁護士以外にないと。すでに、検事局では認知されていた。 予想はついても、解決できるかどうかは別。 御剣自身でさえも連絡が取れないと言うのに検事局の他の人間がどうにかできるはずもない。 とにかく早く何とかなってくれればいいのにとだれしもが口に出さずに考える日々だったが、それも今日でなんとか区切りがつきそうだった。 今日は――成歩堂が法廷に立つのだ。 裁判はいつも通り。無罪を主張する成歩堂による劇的な逆転劇で幕を閉じた。 そそくさと荷物をまとめ、礼を言う依頼人への挨拶もそこそこに帰ろうと法廷を後にする。 (見つからないうちに、急がないと……) 息を潜めるようにして静かに、けれど急いで足を動かす。 けれど―― 「待ちたまえ。成歩堂」 しん、とした廊下に響いた低音に、びくりと身体が跳ねる。 一目散に逃げ出したいのに足は何故か動こうとしてくれない。 呼吸をすることすらも憚れるほどの緊張感が周囲を包んでいた。 「成歩堂、こちらを向きたまえ」 「……話があるなら聞くよ。このままで」 それが非礼だとは分かっていても、正面から向き合うことができなかった。 御剣は眉間の皺を深くする。 「この前のことだ。……出来れば場所を移動したいのだが」 たまたま廊下には誰もいない。 けれどいつ誰が通りかかるか分からない場所で切り出すことはできない。 だが成歩堂は振り返ることなく、また首を縦に振ろうとはしない。 「ここで出来ない話なんて聞けないよ。僕も一応忙しいし。お前はもっと忙しいはずだ」 そんな理由のはずがないのに。 「成歩堂、話を聞きたまえ」 「……聞いているだろ?」 背を向けたままで嘯く成歩堂に、御剣の我慢の限界は静かに超えた。 ぐ、と掌を握り締めて息をつめたかと思うと成歩堂が気配を察して逃げ出すよりも早く動いてその腕をとる。 びくりと反応した腕が御剣を振り払おうとしたが、後ろ手に掴まれた手にはうまく力が入らない。 「来たまえ!」 引きずられるおうな形で使われていない部屋へと押し込まれた。 後ろ手に鍵を掛けられ扉を背に立った御剣に入口を塞がれ、成歩堂は唇を噛む。頑なに顔を合わせないようにして斜め下に向けた。 「成歩堂!」 法廷を除けば斜に構えていることが多い御剣にしては珍しく荒らげた口調に居たたまれなさを覚える。 「ごめん……」 「何に、謝っているのだ?」 思わず口をついて出たのは謝罪の言葉だった。考えてだしたものではないそれに、御剣の容赦のないツッコミが入る。答える言葉を成歩堂は持たなかった。 それでも無言でいると沈黙がのしかかってきて辛くて、なんとか頭の中を絞り出して口を開く。 「……君に、不快な思いをさせた」 「全くだな。この数日、私は貴様のおかげでろくに仕事にも集中できなかった」 「わるかった、よ」 ふん、と鼻で笑う御剣にぎゅっと自分を抱きしめるように腕を回す成歩堂。 居たたまれない、逃げ出したい。 なんであの時、あんなことを口にしてしまったんだろうと後悔ばかりが胸を突く。 「わるかった、か。相変わらず貴様は的が外れているな」 「なんだよ、それ――ーっていうか、もういいだろ?お前が僕を見てムカつくなら、極力姿を見せないようにするから」 すごく、寂しいことだけど。 そう心の中で呟きながら口調は毅然とした態度を貫こうとする。 師匠の教えであるふてぶてしい笑顔を浮かべようとしたが、口元が引きつってろくに動かな い。結局視線を合わせることはできなかった。 「じゃぁ、僕はこれで行くよ。……次の依頼人がきてるかもしれないし」 扉の前に立ちふさがる御剣にどいてよ。と小さな声を投げる。 御剣がゆるりと体を動かして、ホッとした次の瞬間―― 「いたっ」 成歩堂は思いきり腕を掴まれていた。服越しに食い込む指先が痛い。 咄嗟に文句を言おうと口を開いたけれどその前にぐいっと勢い良く体を押される。ぐらつく体を支えきれず、壁に背中を打ちつけた。 「いったぁ!なにする――」 ダン! 耳元で大きく鳴った音にびくりとする。暗くなった視界に反射的に顔を上げれば。 直ぐそこに迫った、御剣の顔があった。 え、と思う隙に触れる熱。 頭が混乱して状況の判断が追いつかない。 ただ、信じられないくらいに熱く湿ったものが乱暴に唇を割って入る。呼吸することすらできないくらいに激しく蹂躙された。 ぬち、と濡れた音が体を伝って直接脳に響く。 「ん……んぁ……っはぁ」 僅かに時折開く隙間から空気を取り込もうとするが、御剣はより一層成歩堂に体をかぶせてくる。逃げようと顔を横に向ければ片方の手が顎にかけられ引き戻される。 なんでなんでなんで!? 混乱する頭も次第に何も考えられなくなっていく。視界がホワイトアウトしかけた時、ようやく御剣が体をゆっくりと話した。 てらりと口元から伸びる銀糸。ふつりと切れたそれが顎に落ちる。 拭うことすらできず、はぁはぁと粗くなった息を必死に整えた。 「成歩堂」 何かを考えることすらできないくらいに切羽詰まった成歩堂とは違う、余裕の感じられる低音に無意識に反応して顔を上げた。 (あ――) 久しぶりに。あの飲みの席でうっかりと内心を漏らしてしまったその時から初めて、顔を目を合わせる。 真剣で鋭く、成歩堂の心の奥底までを射抜くような強い視線に捉えられて――そして。 成歩堂はそれまでずっと混乱に騒いでいた心の中がすっと落ち着いていくのを感じていた。 御剣の表情を、感情を、ずっと見ないようにしていた。 うっかり漏らした告白は意図したものじゃなく、それゆえに、いやそうでなくても。 決して届くことのない一方通行の矢印だと信じていたからだ。 でも。 「ようやく、私を見たか」 にやりと口元を引き上げて笑う御剣を無言で見返す。 その視線で成歩堂の内側の変化を感じ取ったらしい、御剣は顎にかけたままだった手を滑らせて頬に当てると至近距離で真直ぐに瞳を合わせた。 「ならば分かっただろうが。だが片方だけが言葉を貰うのはフェアではない。 成歩堂――私は、君を愛している」 どうして、と。 一言が成歩堂の脳裏に浮かんだ。 どうして――、そう、どうしてもっと早く。 御剣と向き合わなかったのかと。 苛立った声の調子やオーラに惑わされる覗きこめば、その澄んだ色素の薄い瞳には確かに自身に向けられた愛情が在った。 「君が私を好きだと言ってくれて。本当に嬉しかった……」 壁についていた残りの片方の腕を下ろし、成歩堂の固まった手をとる。 ゆっくりとした動きを視界の端で捉えていると次第に中央に近づく自身と御剣の手。 見せ付けるような動きで、御剣は成歩堂の目の前でその手――薬指の第二関節に唇を押し当てた。 「成歩堂、改めて言おう。私と付き合ってはくれまいか?」 懇願する口調に溢れる思い。 目頭の熱と共に視界が揺らいだ。 ぐっと喉からこみ上げる何かに言葉も上手く紡げないけれど―― 何度もコクコクと頷いて、感情を伝えた。 破顔する御剣は愛おしげに成歩堂の頬を撫でて、距離を近づける。 成歩堂は僅かの間だけ視線を彷徨わせて手をぐっと握ると。 「御剣が、好き」 影が重なる寸前に零れた言葉に御剣が柔らかく笑んだのは、触れ合う熱に備えて閉じた瞳ではみることができなかった。 Fin. ここまで読んでいただいて有難うございました! このお話はTwitterなどでお世話になっている尊敬する「ハリセン」のたかなさまへ勝手に捧げる誕生日SSです。 無理やりリクエストしてもらった「壁ダン!でキスする男前ミツ」という素敵な内容に悶えまくって楽しく書かせていただいた、の、ですが上手く書ききることが出来ていないような気がして申し訳なかったり… 拙い文章書きですが、これからもお話していただけたら嬉しいです! 2012/07/25 |