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□6月26日
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その日は久しぶりに二人ともに予定を開けることができた日曜だった。
午前中はだらだらと家で過ごし、午後から買い物など適当にぶらぶらした後、向かったのはとある高層ビル。
せっかくゆっくりできるのだからと、予め御剣は成歩堂が好みそうな雰囲気の、高すぎないレベルのレストランを予約していた。

「このビルの最上階にあるのだよ。イタリアで修行を積んだシェフが提供するピザや生パスタはなかなかのものだと評判らしい。検事局で知り合いに聞いて、それならば君と味わいたいと思っていたのだ」

ビルの側で最上階の窓を指差しながらそう言えば、成歩堂は嬉しそうな顔をしながらも、でも…と顔を曇らせる。

「でもお前、ここどう見ても最上階って数十階はあるぞ?そんなエスカレーターもないだろうし。階段じゃいくらお前でも辛くない?」

御剣のトラウマであるエレベーターについて心配してくれているのだろう。
恋人のそんな気遣いを嬉しく思いながらも、御剣は大丈夫だと頷いて見せた。

「心配には及ばない。実はここのエレベーターはガラス張りなのだ。外が見通せれれば閉塞感は少ない。もっとも、それでも情けない話だが独りならば耐えられないだろう。けれど――」

言葉を切ると、御剣は成歩堂へ笑顔を向けた。

「君と居れば大丈夫だと思う」

なんだかすごく恥ずかしいことを言われた気がして、成歩堂は赤く色づいた顔を隠すように斜めに顔を逸らした。

「まぁあんまり無理しないでね」

若干の早口でそれを言うのが精いっぱいのようだった。そんな様子も可愛らしく思いながら、御剣はふと空を見上げた。
朝から晴れていた空は、夏の夕立ちのためか厚い雲に覆われている。灰色の濃いそれはあまり性質のいいものではなさそうだった。

「それより早く行こう。雨が降りそうだ」
「うん」



いざエレベーターに乗り込むと扉が閉じて上昇を始めた瞬間からはやりほんの少し、緊張が御剣を縛った。
透明なガラス越しに見える外に意識を向け、浮遊感には気付かないふりをする。
長い時間ではない。少しの辛抱だ。
御剣が自分に言い聞かせていると、ふわりと手に温かな感触が触れた。

「御剣」

同時に聞こえた優しい声に手元をみて、焦る。

「な、成歩堂!」

成歩堂は普段、家の外で、人前で触れあうことを基本的に嫌がる。
二人は男同志であるし、社会的な立場上からも関係がばれることは好ましくない。
それは御剣も理解しているので不満に思った事はあっても、強制したことはなかった。だから――このような密室とはいえ外で、成歩堂の方から触れあってくると言う事は。
例えそれが手だけだとしても酷く驚き、嬉しく思うことだった。

「大丈夫。ガラス張りっていうかマジックミラーみたいだし、これ」
「マジックミラー…そうなのか」

エレベーターという空間に耐えることに必死でそこまで気が付いていなかった御剣だが、成歩堂の洞察力に感謝する。
御剣を安心させるように手を握る成歩堂。その温かさに全身を覆っていた緊張が緩んだ。ぎゅっと握り返し、数字の増えていく階数表示を見上げる御剣。
その時――

ゴロゴロ… ピカッ ドドーン!!

マジックミラーの窓越しに鋭い光が差し込んできたかと思うと、直ぐに激しい轟音が鳴り響いた。
そしてそれに追従するようにエレベーター内の電灯が全て落ちる。
どうやら落雷が送電設備の何処かに支障を与えて停電を招いたらしい。
がくん、と一つ揺れて上昇を続けていたエレベーターは止まった。

瞬間的に昔のトラウマが蘇り、青くなる御剣。
何年たっても完全には抜けきってくれない悪夢が、今再びその身を襲う。

「な、なる、ほ――」

絞り出すような声で呼んだが、隣にいるはずの成歩道から返事はなかった。
ふと繋いだ手が小刻みに震えていることに気付く。
御剣は自身が震えているためかと思ったが直ぐに違うことに気付く。震えは、繋いだ手の先、成歩堂から伝わってきていた。
慌てて恐怖に竦む体を軋ませて隣を確認する。

「な、るほど…」

そこには床にへたり込む成歩堂の姿があった。
繋いだ手と反対の手で頭を抱え込んで小さく丸まり、震える成歩堂。
ピカッと再び光り遅れて鳴り響く雷鳴。
ひぃ、と小さな悲鳴が漏れ、同時にびくりと大きく揺れる肩。
恐怖に周囲の状況を確認する余裕もない彼に驚く。
そして、御剣は以前に聞いていた言葉を思い出した。
それは御剣が過去に巻き込まれた陰惨な事件のためにエレベーターに乗れないことにたいして、何かの折に詫びた時のことだ。
気にしないでと言って見せても何度も繰り返して申し訳ないと唇に乗せる御剣に呆れたように溜息を漏らして。

『人間誰にだってトラウマも、苦手なものもあるよ。僕だって雷はどうしてもダメなんだよね』

何故とか、そういう理由は詳しくは知らない。ただ、大学時代に彼が巻き込まれた事件に理由があるらしいと言う事は、知っていた。
そして御剣はガラス越しの空に目を向ける。
ゴロゴロと唸る黒い雲、その隙間を時折金色の光が走る。
遠くで。近くで。
空が光っては轟音を上げて地上に落ちる雷。

曇り空からの薄暗い明かりしかないエレベーター。
停電で止まり、空調もきかなくなった室内に煽られる恐怖と過去に御剣の足も竦んでいた。
……しかし震える成歩堂の顔色は青白いを通り越してもはやビリジアンになっている。

「成歩堂!」

名を叫び足を叱咤して御剣は両手を広げると成歩堂を包むようにして抱きすくめる。
耳を自分の胸と、繋いだままの手を動かして二の腕を使って塞いだ。雷鳴を耳に入れないように。
そしてもう一方の手で全身を安心させるように撫でさする。

「成歩堂、大丈夫だ、私がここにいる」

なんどもなんども、腕の隙間から耳に直接囁いて聞かせた。




そのうち、御剣の腕の中で強張っていた体が次第に緩みだした。
胸にただ当たっていただけの成歩堂の顔は、すりすりと厚い胸板に擦りつけられる。御剣の顎にはツンツンと尖った髪が刺激する。
徐々にだが、落ち着いてきた様子の成歩堂にホッとした。
そして、同時に――
成歩堂の名を呼び、腕の中の温かさを感じるうちに御剣の中の恐怖心と震えもまた薄れて行った。
トクトクと互いの心音だけが耳に残る。
いつのまにか、雷鳴轟く密室の世界は消え去り、二人だけの柔らかな空間に浸っていた。



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