「ああ、もうどうしてこう思い通り行かないのかしら!」 ぎりぎりと歯ぎしりが聞こえてきそうな形相で「それ」を睨みつける彼女に、僕は思わず笑ってしまった。 一応、バレないように押し殺したつもりだったんだけど、案外にそういうのに敏感な彼女は僅かな空気の揺れも感じ取ってしまったようで。 ビシィ!と勢い良く指を突きつけるようにして僕を指した。 「成歩堂龍一!何を笑っているのかしら?」 「いやだってさ……まさか、狩魔検事にこんな弱点があるなんてね」 知らなかったなぁ、と軽く笑って言うと彼女の顔にぽっと熱がともる。 「煩いわ!馬鹿が馬鹿なことを言って馬鹿な結論を出さないでちょうだい。私に弱点など――ない!」 「えぇ?だって、どう見てもそれって……」 「だから今、直している所でしょう!黙って見ていなさい」 ギッときつく睨んで再び手元に視線を戻す彼女に、クスクスと笑う。 その白い手の中にあるのは、僕の夏用のシャツだった。 5月も半ば、ようやく温かくなってきた、と言うよりは既に暑すぎる日が増え始め、僕はようやく衣替えを実行することにした。 とはいっても、基本的にはスーツが仕事着だし、日常に切る服はそんなに多くない。だから二人で出かけた休日の夜、彼女が食事の後片付けをしてくれている時間にささっとやってしまおうかなと思っていたんだけど。 使いまわした防虫剤(そもそもそれが間違っていると怒られたけど)は、期限がとっくに切れていたらしい。 仕舞いこんでいたシャツはどれも、それぞれ違う場所に小さな穴が開いていた。 まぁ、スーツそのものと違ってそんなに高いものじゃないし。買い直せばいいのだけども。 取り急ぎ、明日裁判所へ着て行くものがないっていうのが困るところなんだよね。 (ちなみに冬用のシャツは洗濯中だったりする) と、いうわけで小さな穴を繕って凌ごうと言うことになったんだけども。 何気なく、僕は好奇心半分惰性半分で彼女に聞いてみたのだ。 「……ねぇ、裁縫とかってできたりする?」 ぴくり、と彼女の肩が跳ねた気がした。 その反応になんとなぁく、あ、もしかして?とは思ったんだけど。 僕が空気を読んで撤回する前に、彼女は自分から飛び込んでしまったわけだ。 「狩魔は全てにおいて完ぺき、なのよ!出来ないわけがないわ」 視線が何処か焦点を結びきれていないし。 これはどう考えてもつよがりだよなぁと思ったんだけど、そこでツッコミを入れるほど僕だって命知らずじゃない。 「証明してみせようじゃない。貸して御覧なさい!」 奇麗に真直ぐ差しだされた手に、半笑いで一番穴の小さかったシャツを渡したのは1時間ほど前のこと。 それから彼女は必死で……本当に必死の形相で、その小さな穴を塞ぐために何度も針を布に通している。 その割に、穴はふさがる気配はないけど。 いや一応塞がったりはしているんだけど、表裏がくっついて着れなくなったり、引きつった布のせいで前衛的なデザインになったり、何度も糸を解くうちに逆に穴が広がってたりして……まぁ、そんな状況なわけだ。 「この針、使い辛いわよ!」 ごくごく普通の針に愚痴る彼女が可愛くて。 思わずもう一度くすくすと笑ってしまう。 彼女は僕を再び強く睨んだけれど、羞恥に染まった頬や焦りで水分過多になったグレイの瞳じゃ迫力に欠ける。 「まぁまぁ、落ち着いて。……というかさ、もう良いよ?」 「良いってどういうこと。まさか、穴のあいた服で神聖な裁判に臨むつもりじゃないでしょうね」 別に穴があいてたって、ばれないとは思うけど―― そうじゃなくて。 僕は苦笑を浮かべながら、手に持っていた一枚のシャツを広げた。 それは彼女に渡したものよりもちょっとだけ大きい穴があいた一枚 ただし、それはついさっきまでの話。 「……これ……」 茫然としながら、ぱちぱちと瞬きを繰り返す彼女に微笑みかける。 「うん、直してみたんだけど――これなら良いだろ?」 穴が開いていた場所は、小さく切った布を当てて周りをくくってある。 もちろん、見た目として元通りってわけじゃないけど上着をはおればとりあえず問題ないし。 言っとくけど、さっき彼女に裁縫できる?って聞いたのは本当に興味本位でやらせようとしたわけじゃない。一応一人暮らしだって長いし、僕でも奇麗にとはいわないけど繕うぐらい出来るんだよね。 「……出来るならなぜ最初から言わないの!馬鹿ッ!」 どうしてと言われれば、それはやっぱり彼女に縫ってもらうっていうのは男のロマンみたいなものじゃないのかなーと思ったからで。 それに、縫物をする彼女の姿なんて、他に見たことがあるやつなんて多分殆どいない。 そんな誰も知らない彼女をみられることへの独占欲なんかも感じちゃったりしたから、なんだけど。 まさかこんなに不器用なんて思わなかったからなぁ。 御剣と言い、狩魔の一門ってもしかしてみんなこうなんだろうか? 「いや、君がそんなに裁縫が苦手だって思わなくて。ごめんね?」 一応謝ってみたけれども、彼女はすっかりへそを曲げていた、 まぁ、当然かもしれないけど。 不貞腐れた顔で、でも悔しそうに僕のシャツを握り締めて―― 「痛ッ」 「え。もしかして針刺したの!?見せて!」 急に叫んで手を握り締める彼女に慌ててシャツを放り出して駆け寄る。 彼女は僕の勢いに押されたように手を差し出す。 白くてほっそりと奇麗な、華奢な指先に小さな赤い点が一つ。 ああ、と何にともなく嘆きが漏れる。ぷくりと膨れるその赤に思わず顔を寄せて―― 「ちょッ……いきなり何をするの!」 いきなり指先を口に含んだ僕に、彼女は顔を真っ赤に急騰させて叫ぶ。 ちろり、と鉄錆と甘さの滲むそれに舌先を添わす。 決して変な意味と下心はない――もちろん本当に――から、直ぐに唇を離して彼女と目を合わせた。 「消毒、かな?」 呟くとカッと目を尖らせて、彼女は手を振り払った。 「馬鹿が馬鹿なことを!余計に雑菌が入るわ」 そう短く行って、彼女は急に立ち上がるとパタパタと立ち去る。 向かった先はキッチン。指先を洗いに行ったのだろうけれど。 僕は、くすりと笑った。 多分彼女は冷水で、雑菌だけでなく不意に溜まってしまった熱もすすいでくるだろう。 意外にも、不意打ちに弱いから、恋人になって肌を触れ合わせても、咄嗟の接触には照れてしまうのだ。 そして、変なところまでプライドの高い彼女は羞恥に震える自分を見せたくないらしい。 そんな所も可愛いんだけどなぁ。 でも、彼女が見せたくないと隠すなら、まぁ見ないふりをしておいてあげようと思う。 ――今のところは 彼女の弱点は裁縫ではなくて、案外僕なのかもなぁと にやつく頬に手を当てて、遠くから聞こえる水音に耳を澄ませた。 読んでいただいて有難うございました! 5月23日は「キスの日」らしいです。 TLでそういうのが流れてきて、おお!なんと素敵な///と挑戦してみたのですが; キスっていうか、指先の怪我に吸いついてみただけという… 相変わらずのがっかり展開でした><; 残念すぎる私でごめんなさい しかも、結局23日に間に合わなくてごめんなさい← 2012/05/24 0:13 |