鋼の錬金術師

□act.4 雨空の下
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グレイ達が現場に到着するのと入れ違いに、エルリック兄弟を乗せた車が発車した。雨で濡れた車窓の向こう、2人の表情を知ることは出来ない。

それをすれ違い様に見やったグレイは、大佐の後から家の中へ入った。

昨日と何一つ変わらない玄関の光景が広がる。それなのに何かが違うと感じてしまうのは、あちこち歩き回る軍人が、和やかだった昨日までの空気を乱したからなのか。それともここで起きた悲劇が、少なからず衝撃を与えている証拠なのか。

自分から来たいと言ったものの、それを後悔しているかのように足取りが重くなっているのをグレイは感じていた。

錬金術師と合成獣。この2つの単語が重なると、グレイの心の中にもやもやとした嫌な感覚が沸き起こる。それが徐々に自分を覆い尽くそうとしているような感覚が嫌で、僅かに眉間に皺を寄せた。




****




そうして一人で葛藤するうちに、先頭を歩く大佐の足が止まった。広く、物が乱雑に置かれたリビング。「お母さんがいた時はもうちょっときれいだったんだよ」 とニーナが言っていたことを思い出す。

ドアの外に立つ憲兵の横を抜けて中に入ると、頭から背にかけて長いたてがみを持つ犬のような生物と、それに向き合うようにしゃがみこむタッカーが目に入った。こちらに気付いていないのか、反応がない。

「ショウ・タッカー、話がある。そこの椅子に座れ」

大佐に冷たく呼び掛けられて漸く顔を上げた彼は、ゆっくりと立ち上がって自らの前に立つ3人の軍人を見つめた。

その頬は赤く腫れてガーゼで手当してあり、鼻や口には出血の痕。エドがキレて殴ったのであろうことは、さほど付き合いの長くないグレイにも容易に想像出来た。

そのせいか、どこか覚束ない足取りで彼が席に着くのを確認し、大佐はグレイの方を向く。

「クラウド、娘の方を頼む」

「はい」

その指示の意図を理解して短く返事をすると、彼はニーナを連れてリビングの隅――彼女の父が座る椅子から最も遠い位置に移動した。

この部屋から出すわけにはいかないが、合成獣となって尚言葉を理解するという彼女の耳に、残酷な現実が少しでも入らないように。




****




さて、何を言えばいいのだろうか。

少女を前にして言葉に詰まった。何か話さなければ、気を引かなければ相手をする意味がないのに、適当な言葉が見付からない。表向きの感情ならばいくらでも偽り、言葉に出来るというのに、何故か今はそれが出来なかった。

結局俯いたまま頭を撫でてやることしか出来ないグレイは、自分の情けなさに歯を食い縛る。その時だった。

「やく……そ……く」

聞き取り辛い声に顔を上げると、長いたてがみの奥で光るニーナの瞳がこちらをじっと見つめていた。

「……そうだね、約束だったね。今日もここに来るって」

自分にとっては些細な約束。彼女にとっては大切な約束。別れ際に見た明るい笑顔が鮮明に思い出された。

どんなに今日を楽しみにしていたのだろうか。また来ると言ってくれた客人達と遊ぶ、ごく普通の一日を。

そう考えると、またあの感覚が沸き起こる。言葉に出来ないようなものが、尽きること無く滲み出る感覚が。

そんな時にふと感じた、ホルスターの重み。日常にすっかり溶け込んで久しいそれは、この時ばかりは何か違って思えた。

「…………」

"この子は、いっそ死んでしまった方が幸せなんじゃないか?"

小さな囁きが耳元で聞こえる。

合成獣となったニーナの行く末は、現段階でははっきりしないが、少なくとも良いものは望めないだろう。実験動物にされる可能性も低いとは言えない。

しかし、グレイは自分に引金を引く権利が無いことを知っていた。

――ごめんね……俺は何もしてあげられない

出来る限り優しく、何の問題も無いかのように微笑みながら自分を撫でるグレイに、ニーナは嬉しそうに尻尾を振った。

「あそぼうよ」

自らを待ち受ける運命を知らぬままに、ニーナは言う。

"どうしたの?早く遊ぼうよ"

そう言っているかのように首を傾げて自分を無言で撫で続ける軍人の顔を覗き込む仕草は、彼女の知らぬ間にグレイの心を抉っていた。

心に沸き出る感覚は、次第に広がっていく。


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