鋼の錬金術師

□act.3 犬と少女
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慣れない軍服や真新しい軍靴に戸惑いながら、事務に立ち寄って部屋の位置を聞く。話によれば最上階らしく、グレイは普通の運動靴よりも重い黒靴を前へ前へと動かして階段を上ることになった。

やや低めの段差の連続を上りきると、長い廊下にドアが並ぶ。事務で得た情報を頼りに端から数え、グレイは何枚目かのドアの前で立ち止まる。そして深呼吸を一つしてからノックした。

コンコン、という控えめで軽い音の後に、「どうぞ」 と声が聞こえる。

「失礼します」

挨拶をしてから一歩踏み入れると、そこは思ったよりも殺風景な広い部屋だった。まず正面には、窓を背にして置かれた大きな机。その手前には来客用らしきふかふかのソファがあり、壁際には難しそうな本が詰め込まれた本棚がそびえ立っている。

そしてこの部屋の主――マスタング大佐は、正面の机に付属した立派な椅子にゆったりと腰掛けていた。

作業机が並ぶ雑然とした仕事場を想像していたグレイは、そのギャップに驚いた。しかし更に驚いたのは、大佐の机の前に並び立つ軍人達の姿だ。駅で知り合ったホークアイ中尉を始め、5人の軍人達は、突然の訪問者に皆注目していた。

「……えーっと、失礼しました」

何やら邪魔してはいけないような雰囲気を感じ取ったグレイは、速やかにドアを閉めて退室しようとする。しかし閉めきるよりも早く、大佐から慌てたような声がかかった。

「待ちたまえ!!」

その全力の制止に、閉じかけたドアを元に戻して改めて部屋に入る。するとやはり、先程と同じ好奇の視線が突き刺さった。さながら初登校の転校生が登場した時のような空気に放り込まれたグレイは、居心地悪そうに軍人達を見回す。そんな新米の様子に微笑ましげな視線を送った大佐は、しかしすぐに表情を引き締めた。

「君のことを待っていたんだ。彼等は私の部下――つまり、これからは君の同僚で先輩になる。自己紹介してくれ」

大佐の部下が同僚で先輩になるということは、やはり配属先は大佐の下ということである。エルリック兄弟の情報の速さに内心苦笑を浮かべながら、グレイは声を発するべく息を吸い込んだ。

「初めまして。新しくマスタング大佐の下に配属されたグレイ・クラウドです。よろしくお願いします」

取り敢えず軽く自己紹介をして不慣れな敬礼をしてみせると、相手方も自己紹介を始めた。

黒縁眼鏡で小柄な男がケイン・フュリー曹長、長身で糸目なのがヴァトー・ファルマン准尉、少しズボラで小太りに見えるのはハイマンス・ブレダ少尉、大柄で煙草の臭いを漂わせているのがジャン・ハボック少尉と、特徴も合わせて頭に叩き込む。

名前と顔の一致がある程度済んだところで、ハボック少尉の声が耳に飛び込んで来た。

「てか、昨日駅で会ったんだよな、こいつと」

その言葉に、グレイはほぼ反射的に記憶の糸を手繰り寄せる。しかしいくら手繰り寄せても、マスタング大佐とホークアイ中尉以外の軍人は思い当たらなかった。いつの間にか物忘れするようにでもなったのかと頭を捻る新米軍人に気付いたハボック少尉は、笑いながら 「思い出せなくて当然だ」 と手をひらひら振った。

「会ったっつっても俺が見かけただけだからな」

「あぁ……」

ほっとしたような、紛らわしいことを、というような気分に浸りつつ漏らした言葉は、曖昧な感じで空気に溶ける。しかし、その思考の一段落も、次の瞬間の少尉の言葉ですぐに終った。

「にしても、正式採用前とはいえ、軍人だったなんてなぁ。一般からだったんだっけ?」

こんなことを言われるのは2度目で、グレイの口から 「はぁ」 と声が漏れる。軍人になったのは不可抗力で、軍人に志願したことなど皆無なのだが、これはどういうことなのか。

「怪我して配属遅れてたんでしょう?せっかく試験に受かったのに、災難だったね」

グレイの混乱が治まらないうちにファルマン准尉がそう答え、会話はどんどん進んでいく。

「そうか成程、怪我ですか。この時期に一般から来るなんて珍しいと思ったんですよね」

そう言って一人納得するフュリー曹長。その横では話を聞いていたブレダ少尉が 「そうだったのか」 と口を出す。

「道理で若いと思ったら志願兵かよ。あの兄弟とテロリスト共を制圧した "一般人" っつうから、ごついおっさんかと思ってたぜ」

ムキムキの、と力瘤を作ってみせる彼に、ファルマン准尉も同意した。一方話題となっているグレイ本人の脳裏には、別れ際の軍人の言葉が浮かんでいた。

――話を合わせるって、このことか……

どうやら、

"軍に採用された後配属前に怪我。復帰間近でテロに巻き込まれた"

と、いうことになっているらしい。後付け設定に着いて行けず、グレイは心なしか頭痛と眩暈を覚えた。こんな大それた嘘に合わせる労力を思うと、あの軍人には苛立ちを通り越して殺意すら覚える。その黒い感情を押し込めることになんとか成功した時だ。

「うぉっほん!」

部屋に響き渡る大きな咳払いに会話も思考も遮られた。


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