桜の本棚
□可愛い嫉妬
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家路を一人で歩いていたさくらの携帯が着信音を鳴らした。彼氏の小狼と親友の知世からの着信音は他の人のと違って特別で、鳴ったらすぐに気付けるようにしている。
肩から下がっている学校指定のナイロンバッグからさくら色の薄い最新型携帯を引っ張り出す。着信音は小狼からメールの知らせだった。
『今日はごめん。試合が近いみたいで、どうしても断れなかった。言い訳にしかならないと思うけど、明日は絶対一緒に帰る』
小狼らしい、小狼なりのメールだった。それだけでも嬉しくて、暗く陰の差していたさくらの心を慰める。
小狼は恥ずかしがり屋だから気持ちを伝えるのが上手くない。そんなのこと、もうとっくに知っている。だから、
「もう少し、我慢しなくちゃ」
さくらは携帯を握り締めて、歩調を速めた。
*
事の発端はある後輩の女の子だった。
一年生で新しく入部したという彼女は、サッカー部のマネージャーを務めていた。一年生だからさくらが学校一の美少女と騒がれていることを知らないらしい。それは珍しくない。
二年生だが小狼とさくらは学校でも人気者で、恋愛関係のことではやっかみを噛まれることが多い。
よく天然だと言われるさくらは小狼に言われるまでそのことに気付かなかったが、よくよく考えてみれば嫌がらせと呼べる行為をやられていることが多いような気がした。
だから、それはさくらを大切に想っていて優しい小狼の小狼らしい提案だった。
学校では友達の振りをしよう。
言われたときはピンと来なかったが、もう少し付け足されて納得した。
小狼が大切にしてくれているのが分かった、小狼の優しさだというのも分かった。だから頷いた。
それからさくらと小狼は付き合っていることを秘密にし、知っているのは小学校の頃から仲の良い五人だけとなった。
だから、その子が知らなくて小狼に想いを寄せていたのはしょうがない。そのときはそう思った。
付き合っているのを隠しているが、やっぱりお互いに一緒に登下校したい。だから途中まで一緒だからだの理由を付けて、いつも昇降口で待ち合わせている。
さくらは中学でもチアリーディング部に所属している。小狼は基本帰宅部だがその運動神経を買われてほぼ全ての運動部に仮入部することになった。
それでも仮なので断ることは自由だ。さくらが部活のないときに誘われるとそれは断ってさくらと一緒に下校してくれる。それがすごく嬉しかった。
そして今日はその一緒に下校できる日で、さくらは一人昇降口で小狼を待っていた。知世はコーラス部所属で今日は部活だ。
夏の太陽の暑い日差しから逃げて昇降口の屋根の下にいると、小狼がやって来た。
学校では互いに苗字で呼ぶように気をつけているが、今は二人きりだ。名前で呼ぼうと口を開きかけたが、それは小狼に遮られた。
「あ、木之本」
苗字で呼ばれてびくんと肩が跳ねた。それは辺りに誰かいるということで、――誰がいたかというのはすぐに分かった。
靴箱の陰から現れたのは小さな女の子だ。学年ごとに違う色のリボンが赤いことから、一年生だろう。その子は迷惑そうな小狼の腕を掴んで嬉しそうに笑っていた。
さくらよりも小さく、背中まで垂れる長い黒髪。明るく積極的そうなイメージの可愛らしい子だった。
「ねー李くん。どうしたの?部活遅れるよー」
小狼のほうが先輩なのに馴れ馴れしい口調で小狼の腕を引く。
小狼がそれをすこし迷惑そうな、険のある表情で振り払うが、女の子は気にせずまた腕を掴む。
「あれ、知り合い?」
小狼の視線を追ってやっとさくらの存在に気付いたらしい女の子が、まるで彼女のような台詞で小狼に訊く。
その位置は私のなのに。小狼くんの隣は私だけの特別なのに。
怒鳴ってしまいそうな自分を懸命に抑え、にっこりと笑みを作った。
「李くん、これから部活?」
苗字で小狼に問いかける。
「あ、ああ。サッカー部に呼ばれてて、それで、その、」
小狼はさくらに言いたいことがありそうだったが、女の子がいては喋れない。
「沖田、悪いけど先に行っててくれないか?」
その子を苗字で呼んだことにほっとした。小狼が名前で呼んで許す女の子は苺鈴だけだ。
しかし女の子はえーと不満そうに唇を尖らして、掴んでいた小狼の腕を自分の腕と絡めた。
「一緒に部活行こう?遅れちゃうって」
絡まれた腕を見て、ちくんと胸が痛む。泣かなかったのは自分的に上出来だった。
「ごめんね、部活送れちゃうよね。じゃあ李くん、また明日」
さくらは踵を返して振り返らなかった。何も言わず、逃げるように立ち去った。