駄文
□愛別離苦
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それは突然。
和らいだ春の陽気が分け隔てなく降り注ぐ中。
遠くから聞こえる春告げ鳥の朗々たる鳴き声に耳を傾けるでもなく、匂い高く薫る梅が枝を愛でる事もなくただひたすらに書を認めている人影が一つ。
風貌は玲瓏にして怜悧。
微笑めば佐保姫もかくやの美しさに違いあるまいが、今は眉一つ動かすことなく黙々と執務を行っている。
さらさらと流れるように書の最後に印された『石田三成』の名と花押。
彼こそが秀吉が懐刀、石田三成。
次から次へと舞い込む執務をそそと熟していると傍らに置かれた硯がかたかたとなった。
「地鳴り…か?」
一時手を止め、辺りを注意深く伺う。
直ぐに硯は黙り、しんと、嫌な静けさが耳に痛い。
一つ溜息を吐いて再び書をと思った刹那。
「…!?」
ごごご、とまさに鳴動というべく何処からとも知れない不気味な音と共に襲う、嵐に遭った船上のような振動に立つ事はおろか座っているのもままならない。
机上は積み上げた書物が崩れ、硯ががたんと床に落ちる。
襖の向こうからは侍女の悲鳴、男の狼狽する声も聞こえた。
武を重んじる将に比べれば非力だがそこは一国一城の主。
丹田に力を入れ思いきって立ち上がる。足元が覚束ない幼子のような歩みだが柱に縋り、襖に爪を立て何とか障子に手を掛けた。
「な…んなのだ…あれは」
襖の向こうの景色に三成の怜悧なやや吊り上がり気味の双眸が見開かれる。
見上げた天は目に優しい瓶覗き。
雲一つない青空に一点。
『穴』と呼ぶのが相応しいのかも知れない。
そこから暗い、死の淵を思わせる暗い紫が紗のように十重二十重に霹いている。
「さ−…!!?」
右腕とも呼べる家老を呼ばろうと声を張るが不気味な大地の咆哮が邪魔をし、大きな揺らぎの後にどすんと、例えるなら大きな手に押さえ付けられているような、岩の下敷きになったような圧迫感と鼓膜の痛みに膝が崩れる。
「左近…!」
朦朧とする意識の中で呼んだ声は誰にも届かず、三成の意識は薄墨から全くの暗闇へ落ちていった。
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