駄文

□忘却の名、覚醒(おこ)す声
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ぐっ、と眉間に刻む皺を深くする。
機嫌が急激な下り坂を下りていっている。


「貴様の目は腐「そんなもんかね」


三成の悪言を隠すように言葉を重ね自分の体を仕切りのように割り込ませる。
それはいきり立った獣を落ち着かせる為に獲物を隠す動作に似ていた。


目標の獲物が見えなくなった三成は後ろで殺気すら放っていた。
消化不良気味の感情が後からぶつけられるのが脳裏に浮かぶ。


別れ際に「美人な嫁御を大事にな」と留めの言葉を残して突然の野分は去っていった。


「痛っ!?」


頭を扇の一番痛い所で叩かれた。
ずかずかと乱暴な足取りで先を行く。
知人も悪いが『女』と見間違えるのも仕方が無い。
熨斗目色の着流しは華奢な体と白い肌に映える。長い睫毛に切れ長の目、女でもこれだけの美貌の持ち主はなかなかいないだろう。
やはり自分の目に狂いは無かったかと内心自画自賛しつつも、斜めになってしまうとおいそれとは直らない主の機嫌をどう取るかの試行錯誤を開始した。






−−−−

「殿。冷めてしまいますが…」


土産として買って来た三成の好物の茶が芳しい香りの湯気を燻(くゆ)らせる。
その茶に左近に背中を向けて三成はじっと壁を見詰めている。
野分の知人に出くわさなければ今頃機嫌が良いと少々警戒が甘くなる三成を床に誘い睦言を交わしていたかと思うと惜しい事をと涙と落胆の溜め息が出そうだ。


「『勝猛』とは何なのだ…」

背中を向けたまま冷たく低い、不機嫌な時の音声が無音であった部屋に響いた。


「本名です。」


自分でも忘れ去っていた自分の名。
少しばつが悪そうに揉み上げを掻きながら告げると背中ごしに視線を向けられた。


「俺が今まで呼んでいた『左近』というのは何だ…」


瞳は警戒する獣のような猜疑心が滲んでいる。
困った体を見せると再び視線は壁に戻っていった。


「『左近』てのは通り名ってやつでして…」

「…俺は『左近』が真実名だと思っていた」

刺を含んでいて何処か寂し気な声音が左近の心に染みる。


「すみません…恥ずかしいですが『左近』に慣れて名を忘れていた節があります。」



「……」




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