駄文

□水魚之交
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「左近…」


「はい」


言葉が足らない己を叱らずにじっと待っててくれるのも三成には嬉しくて尊敬できる左近の美点の一つだと思う。


「お前は『水』のようだ」


「『水魚之交』ってやつですか?殿に言われるとは…嬉しい限りですな」


己が『水』だとしたら三成は『魚』、しかも清水にしか住めない香魚や岩魚。


「俺は『魚』だ」


幾千、幾万の犠牲は厭わないと決めたのに−


「『魚』は『水』が無いと生きてはゆけない…だが」



「殿?」


自分を振り返った顔は力強い瞳を宿しながらも愁いを含んだ長年共に過ごした左近でも見た事の無い、危うい均衡で成り立つ表情を浮かべていた。





「『水』は『魚』が居なくとも生きてゆける−…」



−彼の者一人だけは犠牲に出来ない。したくはない−



三成の体が左近に向き直る。太閤が天下を治めていた頃と比べたら随分と痩せてしまっている。


見上げている顔は凜としていて何かしらの強い決意が滲み出ていた







のが一瞬、今まさに散ろうとする花の儚さが凛々しさに勝った。




「だから生きろ…!」

ぎゅう、と三成が左近の陣羽織りを、子が不安で親の着物の裾を握るそれに酷似した動作だ。




「お前は俺−魚−が居なくとも生きてゆける。俺とは違う…生きてゆけるのだから…」



三成の気持ちが痛い程伝わる。
天下を二つに隔けた戦。相手は数多の英傑に揉まれた『古狸』徳川家康。
生半可な策は通用しない。全身全霊、余力を残こせる事は無いだろう。


どれ程の重荷か。


三成の肘の辺りに掛けていた手に力を込める。見詰め合う。


三成の覚悟が揺らがない為にも。



「生きろ。生きてゆけ。そしてまた俺のような奴の『水』になってやってくれ…」


「左近は……」



負けるつもりも無い。死ぬつもりなど毛頭無い。
勝つ。唯それだけ。


これは別れの言葉でも今生に遺して逝く言葉でも無い。





これは三成から左近への真の言葉。





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