其ノ弐

□小咄詰め
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紅涙 虎を刺す・2010-09-16
清正+ねね

清正の言葉に、今は高台院と呼ばれるねねは、ただ短く、そう、と返した。

その声音は無関心のようでもあり、放心したようでもある薄くか細いものだった。

きぬ擦れの音も無い間に、胸がきゅうっと詰まるのを感じながら、清正は先程から一度も交わらないねねの双眸を見つめていた。


「よく、生きて帰ってくれたね」

不意を突かれた言葉に、どん、と胸を叩かれた気がした。

ねねの浮かべたこれまで見た事が無い儚く悲しい笑顔に、清正は沸き上がる悲しみを、唇を噛み締めてせめて流れ出してこないように堪える。


何て馬鹿なのだろう。

あの戦で一番傷付いたのは、己や三成ではなく彼女だったのだ。

せめて男親であれば戦場で息子の最期を看取る事が、共に死ぬ事が出来るだろう。

しかし彼女は母だ。
女のあの方は、ただただ手を合わせ、必死の思いで祈る事しか出来ないのに、それすら我らは奪ったのだ。

三成死ぬな、と祈る事も、清正勝ってと祈る事も出来ない。どちらかを選べばどちらかが死ぬ。
神仏に縋る事も、どちらを案じる事も出来ず。彼女は一体どんな気持ちであの日を過ごしていたのだろうか。

その思いに至った瞬間、どうっ、とねねの裂けんばかりの葛藤が流れ込んでくるようだった。

ねねは、顔を上げ、開け放たれた部屋から空を見上げた。
つられて清正も後を追う。柔らかく涼やかな色の秋の空に、滲ませたような薄い雲が美しい。

「もう…秋だね」

視線を彼女の横顔に戻す。
あの人の瞳は、あんなに暗い色だったろうか。


「三成は寒がりなのに…可哀相にね…」


一寸の間の後、彼女はごめんね、清正と言った。

何を?と聞きたくても、悲しみが喉に絡んで声が出せない。無理に言葉にしてしまえば、涙も付いてきそうだった。

ねねは言う。ごめんね、ごめんね、と。

戦に勝ったのに上手く褒めてあげられなくて。
三成の事ばっかり思って。

責めるように涙を流して。


彼女の涙を初めて見た。
はたはたとギヤマンを砕いたような涙が零れる。
清正の心を刺す、ギヤマンの涙が。

次に、顔を手で覆う。
堪えきれない嗚咽が悲鳴のような長いものに変わる頃には、ねねは背中を丸めて小さくなって泣いた。


だが清正には、ねねを慰める事は出来なかった。

−彼女を慰めるには、己は罪深過ぎる−
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