その他

□遺した言の葉、伝える心
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「分からない…分から…ない!」


苦しかった。
とにかく、息をするのも声を出すのも兄の真っ直ぐな眼差しを見つめ返すのも。

「あの方はなぁ…春永」


握られていた手が己の頭を撫でる。僅かに震えているのが分かった。


「あの方は己の遺した言葉で後を託した者を惑わせる為に、あんな事言ったんじゃあない…」


一瞬、脳裏に小さな自分に合わせる様に小首を傾げて笑んだ彼の女(ひと)が浮かんだ。

優しく軽やかな笑み。


「…あれは誰より強いあの方の最初で最期の弱音なんだ」


彼の女は決して泣いたり怒ったりする事がなかったという。
いつも穏やかに笑んで、その様は柔らかな花弁を持つ花の如き。


それもこれも何にも揺るがぬ芯の強さがあってこそ。


この話しには続きがあると兄は話す。







−ああ、いけないわ−

己が怖くなってそうと席を外した後だという。


−あの子…怯えていた…私、酷い事をしてしまったわ−


つぅ、と花を伝う露玉のように涙がろうけた肌を伝う。
もう、定かではない視線。

やはりこの女丈夫でも死は怖いのか。兄はそう思ったという。

だが。









−怖い思いをさせてしまった…あんな幼い子に…消えてしまいたい、だって…もう私にはあの子を追い掛けて“ごめんなさい”と言う力なんて残っていないもの…−






「…っ春永」

喘鳴と共に漏れる己の名に今度は反らす事なく双眸を向けられた。


「あんな優しい方…鬼になるなど天が落ちて、神が地に伏しても有り得ない…あの方が怯えた事は唯一つ、我等が自分の為に傷付く事だ…」


「…はい」


「誇りに思え。天衣無縫のあの方が愛して下さって、綻びを見せる事を許した。その事を」


「はい」


問いに応える事しか出来なかった。
けれどその声音に揺らぎはなかったと、少しだけ彼の女に似ていると思った。

それは兄も同じだったらしい。
珍しく呆けたような顔をした後、兄は屈託のない、年少の己にも幼いと思わせる爛漫な笑みをみせた。


「…今のお前、氷那子に似ているなぁ。そっくりだ」





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