その他
□遺した言の葉、伝える心
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瞬きの間であったと思う。
躊躇ったその隙は鬼であれば鈎爪を己の喉笛に伸ばすには充分であった。
毒々しい爪の色が間近に迫る。
咄嗟に目を瞑る。
が何時まで経っても肉がえぐられる衝撃も熱い血潮が溢れる感覚も襲ってはこない。
おそるおそる目を開けるとそこには−…
「あに…うえ?」
「兄上様!?兄上様!!」
己の頬を紅い露が落ちる。
一つ、二つ。
見上げると苦痛に耐え、歯を食いしばる兄の顔があった。
「貴様…っ!!」
姉の瞳が秋水の如き光りを帯びる。
がしゃと兄の鎧の一部が血糊にまみれて血に落ちると体もぐらりと揺れた。
何が起きたのか理解するのに時間を要した。
「は…る…永…」
ぼたぼたと血が地に染みる。
やっと現状が理解出来ると次いで言い知れない恐怖と声にならない悲鳴が腹の底から沸いた。
「春永!お雫を!!早く!」
分かっている。
分かっているのに歯の根が合わずがたがたと真冬に冷水を浴びたように全身が震え印を結ぶのもままならない。
気持ちだけが急いて、とうとう耐え切れず大粒の涙が頬を伝った。
「春永…」
しっかりとした声音。
震える手を握りしめた手は紅く濡れていても力強く、大きかった。
「鬼が…あの方に見えたか…?」
兄は優しく、しかし酷く泣きそうな複雑な面をしている。
兄の揺れる瞳を初めて見た気がした。
「兄上…血が…傷が…っ!!」
「答えなさい。見えたのか?」
じくり、また紅い染みが一周り大きくなる。
治癒の法力を使おうとしても片手が自由にならなくては未熟な己にはどうしようもない。
兄も答えを聞くまでは離さない。例え体の血が全て流れ出ても。そういう人なのだ。
見えたわけではない。
しかし最期の言葉が頭の中で反芻している。それとも見えたからそうなったのか。答えに窮した。
焦りと恐怖と理解出来ない己の思考に、胸が押し潰されんばかりの苦しさに泣くばかりになってしまう。更にそんな不甲斐なさに鳴咽までもが出る始末であった。
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