駄文

□忘却の名、覚醒(おこ)す声
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「勝猛!」


聞き慣れない名に反応を示したのは隣りを歩くよく知った男であった。



城下の民の生活ぶりを探るべく忍びの視察に下りた三成はどことなく心が湧いた。


執務で忙しい上に元来が出無精なのか、城下に下るのは何時ぶりか、三成本人にも付き従う重臣島左近にも分からなかった。



「そんなにはしゃぐと転びますよ」


苦笑いをしながらも主のいとけない姿に頬が緩んでしまう。
注意を促された三成はというと淡い熨斗目色の着流しに職人の腕が輝る模様が施されており、控え目ながらも上質な着物は三成の端正な顔を一層引き立てている。
後から続く左近はと言えば、黒に瑠璃の波模様の着流しを三成よりも胸元をゆるりとさせ、羽織りを腕を通さず肩に掛けたままでさながら任侠、渡世人の様だ。



三成は少し歩いては琵琶法師の琵琶の音に足を止め、また少し歩いては今度は猿まわしに感心したりと世話しなくあちらこちらをふらふらしては振り返り左近に慣れないような笑顔を見せた。



もう既に視察というより物見遊山に近くなっていたが、あの気難しい三成が楽し気にしているのだから良しとしよう。


日暮れが迫り、城下で土産を買い、意気揚々と−三成の場合傍目からは分からないが−家路に二人着こうとしていたその時であった。




「勝猛!」





懐かしい名だ。
確かそう呼ばれていたのは遥か昔、以前仕えていた時には今皆が呼ぶ名になっていた。


自分の名を忘れていた。己が名を忘れるのは可笑しな事にも思える。
が、幼名から元服して名を変えたり、位が上がり姓や名を変えたりと一度二度名を変えるのは当たり前の時代である。



「勝猛!久しぶりだな!!」


人込みから手を上げ駆け寄ってくる男が一人。
左近は一気己の頭の中にある年譜をめくってゆく。間違いでなければずっと昔の同僚だ。

「勝猛!懐かしいな!今は何しとる?」


「あんたこそ。」


強く肩を叩かれる。お互いの近況やらを語っていると、左近の隣で腕組みをして怪訝な顔をしている人物に気付いた昔の馴染みは悪びれずに言い放った。




「美しい方じゃのう。勝猛。お前の嫁か?」


悪気は全く無いのだ。



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