企廓書庫

□桜の雨、涙の花
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春の化身が空を舞う。

手弱女の手扇のようなか弱い風にも薄紅の花弁を散らす。頃は春も終わり。
暖かな陽射しに大量の花弁がちらちらと光を照り返す。蝶の大群か、或は美しい龍の背のようだ。

そこに立ち尽くす男がいた。


広い背中に見えるのに、ふとした瞬間に消えてしまいそうな程かそけく見えるのは何故だろう。
幼い頃は白皙の美少年と讃えられた肌は白皙と言うよりいっそ青白い。

それより心配してしまうのは、その瞳。

世は匂い立ち華やぐ季節であると言うのに、彼の瞳は鈍く、かつての輝きを放ってはいない。


そうやって、彼。直江兼続はもう半日程も桜を見上げ立ち尽くしていた。
微動だにせず直立している様は、彼の周りだけ刻が止まったかのようだ。

真実、止まっているのだろう。

二人の友を失ったあの日、あの刻から彼が周りを動かしても、彼自身は止まったまま。取り残されたまま。
彼の魂は、二人の友と共に黄泉路へ向かった。

言うなれば、彼は抜け殻。志に殉じる事も出来なければ、太平に滲む事の出来ない哀れな傀儡のようなものだ。
彼を慕う民達が、辛うじて傀儡の彼に生を繋ぎ止めさせていた。


「私は桜が嫌いだ」

昔、桜花の如く散ろうとする友にかけた言葉を呟く。
桜は兼続の言葉など聞こえぬとばかり、咲いた己を省みる事なく散り続けている。大坂に散った友のように。


「あれから桜をますます嫌いになったよ」


誰もが羨むように、清らかに、誇り高く咲き。
散るな行くなと叫んでもその時が来てしまえば何を惜しむ事なく散り行って。

花弁になって空を舞えば、拒むが如く手を擦り抜けて、残滓さえも手に入らぬ。

そうして世間は誉めそやす。

美しかった。鮮やかだった。と。


「三成、幸村」

二人の友の名前を呼ぶ。
不意に、彼の瞳がきらめいた。


「まるでお前達のようではないか」


きらめきは黒い瞳からこぼれ落ちる。
つらつらと、絶え間無く兼続の頬を伝っては滴となって落ちていく。




涙も桜の花びらも、またたいては、土へと還っていく。



終。



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