誘われたら乗っておくのがおつきあい
□其の二
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新八は、自宅の縁側から庭の隅々を、じっと目を凝らして眺めた。
庭に植えられた松は、秋を感じさせる高い空へ、ゆうゆうと腕を伸ばすような枝ぶりで、根元の庭石にも、その先の塀にも、別段変ったところはない。
しかし、きっと居るに違いないのだ。
商店街の通りへ向いた塀の向こうから、先程まで大声が聞こえていた。
すっかり顔見知りになったらしい近所の人と親しげに世間話をして、わっはっは、と笑う声が部屋まで届いた。
静かになってしばらくたつので、そろそろかな、と思う。
足もとの床下の気配を、探る。
「新ちゃん、お茶はいったわよ」
にっこりと微笑んで、新八に声をかけた妙は、弟が持っている冊子に気がついた。
「あら、なぁに?」
十代の娘らしい、鮮やかな桜色の着物に初秋らしくからし色の帯をあわせて、居間に正座する妙は、首を傾げる。
黒髪を高く束ねて化粧っ気のない笑顔は、幼さを残すが美しい。
手にした冊子の表紙を見せて、新八も笑いかける。
「海外旅行?」
「まぁ、社員旅行っていうか」
旅行代理店から選んできたハワイのパンフレットを広げて、つとめて自然にかつ、陽気に声を張り上げて
「いやぁー、おおぐちの仕事で儲けがあるから、万事屋みんなで行っちゃおうかなって。あっ、姉上も一緒に行きませんか?ハワイ」
そう話す新八の楽しげな様子に、妙も、まぁステキ、と喜ぶ。
すると、人影のない庭から
「青い海、白い砂浜」
と、男が会話に参加してきた。
障子を開け放した居間から見える、縁側のふちに指をかけ、顎髭の男がにゅうっと顔を出してきた。しかも、鼻血を垂らして。
「そして、お妙さんのサッパリした水着姿」
「あら近藤さん」
いきなり床下から現れた近藤に、とくに驚くでもなく、妙は返事する。
先ほど往来で賑やかに大笑いしていた近藤は、想い人である妙に会うために、足繁く志村家を訪れる。
猛烈な求愛をしているが、強烈な肘鉄をくらわされて、それでもあきらめず執拗に思いの丈をぶつける彼を、人はストーカーと呼ぶ。
いいや俺は愛の追跡者(ハンター)だ、そういってアプローチするも、まったく相手にされない近藤は、
妙のバイト先や志村家の床下、コタツの中や天袋(てんぶくろ)など、趣向を凝らして現れる。
それもすっかり、日常になってきていた。
急須(きゅうす)を片手に、床下の近藤を見下ろすように膝をついて、にこやかなその笑顔からでているとは思えないドスを利かせた声で
「サッパリしたって、どういう意味?」
そう聞き返す妙に、水着姿を思い描いているであろう近藤が
「決して俺は、貧相だなんて思ってなッぶわあぢぢぢぢぢ!」
あっけらかんと、そう言う近藤の顔に、手にした急須のお茶を、じょぼぼぼぼぼと注ぎながら
「ハナヂ出してんじゃねーよ」
と、妙は今日も、近藤を一蹴した。
そんな二人のやりとりを眺めて、やれやれ、とため息をつく新八。
それもすっかり、志村家の日常風景となっているのだった。
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