近藤さんとお妙さん
□輪ゴムって便利
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時計は十八時十五分を少しすぎたあたり。
開店して間もなく、スナックすまいるの小上がりで帯紐を整えていた妙は指名を告げられて、ホールへとむかう。
従業員が出入りする扉をひらいてすぐ、右手に刀をぶらさげてスタッフに案内されながら席へと歩く着流し姿の近藤がいた。
「お妙さん、どうも」
「あら近藤さん、いらっしゃいませ〜」
そうじゃないかな、とは思っていたが予想通りの常連客に妙は心の中で、しまった、と呟く。
先月のクビ騒動以来、マメに店に顔をみせる近藤にちょっと気後れしていたからだ。
防災イベントのあの日。
昼間、近藤と親しげな女性の「遊園地デートでご一緒だったではござりませんか」との話を小耳にはさんで、妙は無性に腹が立ってきた。
一途に想いを寄せられていると感じていたのは嘘だったのだ、と。
なによりも、いつの間にかそんな風に近藤を信じてしまっていた自分自身に、腹が立って腹が立ってしかたなかった。
夜になってすまいるに近藤がやって来た時も、こんりんざい顔など見たくもないと、いっそ目の前から消えてくれたらいいのにとさえ思った。
だから
店長から「今月中にどっちか一人、店やめてもらうから」と言い渡されて、辞めるなら自分がと考えたのだ。そうすれば店で近藤と顔を合わせなくてすむ。
真向(まっこう)から勝負しても、裕福な旦那連を贔屓に持つ阿音に勝つことはない。しかし、あまりに力量の差があれば店に残る阿音に同僚からの風当たりが強くなるだろう。
この勝負、下りるとイッパイ食わせておけば角もたたないのではないかと計画した。
「お妙さん、なんか飲みますか?」
受けとった刀をおさめている妙に、機嫌良さげな近藤がメニューを開いて声をかける。
「…いいえ」
「じゃぁ食べたいものないですか?」
「…いいえ」
「そう?そんじゃ俺も先に飲んでからにするかな」
パタリとメニューを閉じて、テーブルに肘をかけ水割りを待ちながら
「今日、来る前に総悟と久しぶりに立会ったもんだから、喉、カラカラ」
と、気さくに話すこの男は何もかもわかっていたのだろう。
最初に妙がテーブルに着いた時には知った素振りも見せなかったくせに、松平の登場で気風良くドンペリを注文していた。
誰からいつ聞いたとも言わなかったが、しっかり財布に準備をして。
勝負の最中は、近藤の誠意のなさが頭にきていたところだったので勢いに任せてずいぶん散財させてしまったが、すべては自分の早合点。
先日それを気付いてからは、なんとも気まずい。
「どうぞ」
近藤は本当に喉が渇いていたらしく、水割りを大きくひとくちに含んで飲み下してまた、もうひとくち、ゴクリと飲んで
「んあー、うまッ」
ソファの背もたれにからだをトンと凭(もた)せ掛けながら、にっかり、笑う。
「稽古つけてくれなんて言われてもさ、総悟は腕がたつもんだから、やってるうちにどっちが稽古つけられてんだかわからねえようになってきてさァ」
なんで笑っていられるのだろう
勝手に誤解されて
この世に一片のDNAも残さずに消え去りなさいゴリラなんて言われて
身ぐるみ剥がされて
そんな事が、どうってことなかったみたいに
「だがムラッ気があっていけねえ。二本三本とやっていくと、いっつも最後はふざけるんだよ、レーザーブレード、とか言って」
聞きながら妙は、後ろめたさに愛想笑いを浮かべ、うつむく。
「人をからかって面白がってんだから困ったもんだよ」
話の区切りで、またひとくちグラスを傾けた近藤が
「…ところで、お妙さん」
と、のんびりとした声で名前を呼ぶので、はいと返事をした妙が顔をあげると
近藤はその涼しい目元を伏し目がちに、妙の膝にそろえて置いている手を見ていた。
「なんで今日は手首に輪ゴムまいてるの?」
…えっ?
*