近藤さんとお妙さん
□やきすぎたたまごやきの理由
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のろのろとおしぼりで手を拭う妙に、笑いを含んだ声で
「ねぇねぇ、近藤さんって凄いよね」
と、話しかけてきた同僚に
「何が?」
と、返した言葉は、自分でも驚くほど取り繕った声だったが、相手は気がつかなかったようだ。
「鍛え方が違うっていうか、たくましいっていうか…身体が出来てるって言うのかしらね、ああいう人の事」
「そう?」
「あんたも見せてもらったら?結構イイ身体してると思」
「別に興味ないわよ、あんな……ゴリラ」
話を遮るように、少し声を張った妙のセリフがよほど同僚の想像を言い当てたのか
「ゴリラ?あははははっ!なるほど!」
楽しそうな笑い声を背に、妙はやけに姿勢を正してフロアへ戻った。
スタスタと足早に近付くその姿に、ついていたホステスが近藤の肩のあたりを指先で押し、顔を寄せて何事かを小さく囁き、立ち上がった。
「いてて」
と、近藤は苦笑いを浮かべている。
近藤の左隣、入れ替わるようにソファに座るが、座面のぬくもりに不快感が湧いて、近藤から離れるように少し、ずれて座りなおす。
「お妙さんに会えるまでの時間、いやぁ長かったなァ」
「そーですか」
「何か頼みましょうか」
「いーえ、結構です」
妙の冷たい相槌にもめげず、ニコニコと笑う近藤は、グラスに手を伸ばすと、残っていた酒を飲み干した。
無理やり空いたグラスに、水割りを作る。
右頬に近藤の視線を感じるが、知らんふりをする。…が、しかし
なんで私が、気にしてやらなきゃいけないのよ
そう思い直して、にっこりと笑顔を作り、出来上がった水割りを近藤に勧めることにした。
「どーぞォ」
近藤が、右手を伸ばしグラスを持ち上げ、くちに運ぶ。顎を上向けて、じつに美味そうに、妙が注いだ酒を味わっている。
その横顔を、妙も笑顔で見つめた。
ひとくち飲み終えて、近藤も微笑みそのままに妙に顔を向ける。
傍から見れば、なんと和やかな二人だろう。
「明日はね、非番の連中全員で、花見に繰り出すつもりなんだよ」
「あら、何のお花見に?」
「桜ですよ。これがさァ、毎年の恒例行事になってるんだけど、みんな楽しみにしてんだよね、結構」
「楽しみって何をですか?」
「え?えーと、花見です。といっても、野郎ばかりでただひたすら呑む、色気のないモンなんですがね。
それでも今年は、丁度満開の日に当りそうで、いやぁ、よかったなァって」
「まあ、何か良いことでもあったんですか?」
「え?いやいや、あったってゆーか、そうなるんじゃないかなーって。明日の話だから」
「明日どうかされるんですか?」
「ちょお妙さん、俺の話…」
「…なんですか?」
妙の笑顔を見た近藤は、聞いてるのかな、と喉まで出かかった言葉を、酒で流し込んで
「いや、いいんだお妙さん。こんなムサい花見の話なんかより、俺ァお妙さんと桜が見れたらどんなに綺麗なもんかと思うよ」
隣に座る愛しの人を、優しく見つめる。
「晴れた暖かな日差しの中、手作り弁当を広げてさァ。のんびり横になって、桜を眺めて…
そこにあなたがいてくれたら、今まで見たどんな桜よりも綺麗な桜が見れるんじゃないかとね!」
近藤の口説き文句を聞きながら、ついさっき見てしまった光景が、妙の心の内で苛々へと変わっていく。
「そんなふうに…いろんな女性を誘ってるんですか」
「ん?」
周りの声にかき消されたのか、妙の声は、近藤に届かなかったようだ。
それとも、聞こえないふりを、したのだろうか。
「しらばっくれないでください、見たんですから。さっき…お店の女の子と、あんなに近くで…何をしてたんですか」
眉を上げて微かに微笑んだ近藤の、キュッと引かれたくちびるに目が行く。
ちょっと上目使いに、思い出すような仕草を見せて、ああ、と言うと如何にも人が好さそうに、歯を見せて笑った。
そんな近藤の余裕な態度が、癇(かん)に障る。
「お妙さんも、興味、ありますか?」
近藤は短くそう言うと、さらにひとくち、飲んだグラスをテーブルの奥の方へ置いて、身体をひねって妙に向き合った。
少し素面(しらふ)に戻ったような表情で、妙の側の左腕をゆっくりと上げるその動作に
妙は思わず、テーブルの上のアイスペール、水割り用の氷の入ったバケツ、あれを取り上げ、近藤の顔面におもいきり叩きつけた。
ゴッ
鈍い音がして、ストンと落ちるアイスペールから痛みに歪んだ近藤の顔が現れる。
ここで丁度、一時間。
「お時間、どうされますか?」
ボーイが近付き、近藤に声をかけた。
「え?あ、延長」
「いーえ、今日はもうお帰りだそうです」
冷たいバケツを抱えた近藤の代わりに、妙が返事をする。
直接的ではないが、遠まわしというにはあまりに直接な、妙の帰ってくれ発言に
「ええ〜…?」
身体の大きさに似合わない小さな声で、ため息のように近藤が異論を示したが、それは誰にも聞こえなかったようだった。
*
つづく
*