友達ん家に泊まると大抵寝ない

□其の一
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月光があたりを蒼く照らす。




厠を出てきた銀時は、廊下の一枚だけ開けられている雨戸から精一杯身を乗り出して、手水(ちょうず)で指先だけを濡らし、
あくびをしながら、ぴっぴっと水を払った。


三月の夜。溜め水の冷たさに身体を震わせる。


ガサーッ


大きな生き物が枝を擦るような気配に、びくっと肩を強張らせ、恐る恐る音のした方に視線をやる。
庭の隅、寒々と葉を落とした欅の梢に人程の黒い塊を見つけた銀時は、緊張でどきどきと打つ胸に手のひらを当てて目を凝らす。



重みでゆらゆら揺れる枝にうずくまる影が、ギラリ、と鋭く銀時を見た。



金色に光る鷹の様な眼差しに射抜かれて、銀時は声にならない叫びをあげ、ゆっくりと冷たい縁側に倒れると、意識を失った。













吉田松陽が自分の住まいを開放している寺小屋には、大勢の子供が集う。
武家だけでなく、大商や豪農のみならず、学びたい志さえあれば誰にでも門が開かれる松陽の塾には、身分にかかわりがない。
庭に子供たちの笑い声が響き、勉強を終えてから日が暮れるまでの時間を思い思いに過ごす。

風もなく暖かな春の陽が差し込む和室の隅で、文机に頬杖をついた銀時は、ぼうっと外を眺めていた。



「きさま!いつも以上にボーッとしおって」


くちを半開きにしたまま横を向くと、隣に膝をつき、桂小太郎が銀時を見つめている。
長く艶やかな黒髪を高く束ねて、可愛らしい容姿に真っ直ぐな瞳が利発そうな印象を受ける。実際、いつも姿勢正しく真面目に勉学に励む。


「シャンとせんか」

「放っとけ、なんか寝た気がしねーんだよ」


眠たそうな半眼で桂を睨んだ銀時の頭上から


「お前!」


と、声が降ってくると同時に、頭を軽く小突かれた。


「松陽先生にお世話になっている身の上で、寝れないとは何様のつもりだ」


言い捨て立ち去る高杉晋助の後ろ姿に顔をしかめて


「何なんだよあのボンボン。機嫌悪ィな」


新入りの銀時に、何かにつけて兄貴風を吹かせる高杉に、聞こえるように文句を言う。


「高杉殿は今、留守をしている両親の帰りを待っているそうだ。少々感傷的になっているのだろう、気にするな」

「ふーん、いいじゃねーか。帰ってくるからこその留守番なんだしよー」

「………」



抑揚なく言った銀時の言葉に、桂はその心情を思い遣る。


子供心にも、通いで来る自分達と違って松陽と暮らす銀時には、身寄りがないらしいとは感づいてはいたが、
実際、それがどういう事か、まだ幼い桂には計り知れない。
気だるげな目で高杉を追う銀時からは、寂しさも悲しさも、汲みとることはできなかった。




「ごめんください」



不意に聞こえた男の声に、銀時と桂は玄関のほうを覗く。和室から少し身体を傾ければ、縁側の先に玄関の庇が見える。


大きく背中が丸まっているのに、やけに背の高い来客が立っている。

見かけないその風貌に、二人は客の横顔を窺う。


松陽が敷居の外へ出て迎えると、深々と頭を下げたが、肩で切り揃えられた髪が不自然に揺れた。
額と、鼻からくちまでを覆った手拭いで、伏し目がちな瞳だけが見えるばかり。若いのか年寄りなのかすら判別がつかない。

何気なく様子を観察していた銀時は、その瞳を目にするや否や慌てて桂の後ろに隠れた。


「何だ、どうした」


ドタバタと自分の背後に小さくなった銀時に、桂は迷惑そうに訊く。


「昨日の夜、見たの、アイツだ」


桂の右肩からそっと顔を出す銀時が、声を潜めて答える。


「アイツ?」

「裏山からバサッてきてジロッて」

「要領を得ないな、順を追って話せ」


怯える銀時に合わせるように、桂も声を落とした。



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