短編
□1.お前のためじゃない
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「おい!」
「はいぃっ!」
「何度言えば分かるんだ、この音符はこうしろと言っただろうが」
「ごめんなさーい!」
放課後の教室。電気を消していたため、窓からの夕陽が照明。オレンジ色の柔らかい光が差し込み、教室の中は幻想的な雰囲気を醸し出す。しかしその雰囲気は砂月くんの罵倒によってすぐに台なし。教室のピアノに私は座り、伴奏を弾きながら砂月が歌う。しかし砂月くんはスパルタで、何小節かしか歌っていなくとも気に入らない箇所があれば、楽譜をばん、とピアノに打ち付けた。その多くは、私に責任があるのだが。
「じゃあ、もう一回Aメロの入りからお願いします」
「ああ」
♪〜
彼が歌っているとき、那月くんとはまた違う魅力があった。迫力があるのは勿論、内側からどんどん溢れ出す歌への情熱が、全て旋律にのって聴く者の心を捉えて離さない。
「あ、ねぇ砂月くん!ここ、こうしたらいいと思わない?」
「あ?」
「ほらここ!…っぎゃあ!」
立って歌っていた砂月くんに楽譜を見せるため、立ち上がろうとした私は、片足を捻って転げそうになる。そこを、砂月くんが咄嗟に腕を掴んで支えてくれた。
「なんつー声出してんだ」
頬が少し緩んだ砂月くんを睨みつけながら、私は彼に楽譜を見せ、ボールペンで位置を示した。すると彼は、いいかもしれないな、と呟き私の頭をぽんぽんと撫でた。
「だが、今日はここまでだ。見ろ、もうこんな時間だ」
慌てて私が腕時計を確認すると、既に時刻は10時をまわったところだった。今日は見たかった番組があったのだが、それさえ忘れてしまうくらい集中して練習できたことに私は満足する。
「じゃあ帰ろっか!」
「ああ。…仕方ないから部屋まで送ってやるよ」
荷物を片付けながら、私と視線も合わさずにぶっきらぼうに呟く砂月くん。私はそんな彼の優しさに嬉しくなって、ありがとーう!と大声で礼を言う。
「…っ!ほら行くぞ莉音」
「はーい」
校舎から出ると、辺りは真っ暗だった。電灯も所々点いていない。早乙女学園の敷地内に寮があるとはいえ、流石に少し怖かった私は無意識に、隣の彼の袖口を摘んだ。
「なんだよ莉音…もしかして怖いのか?」
「…」
「図星か?」
急に私の顔を見ると、彼は仕方ないな、と言って私の手をぎゅっと握った。そして部屋までだからな、と言ってずんずん歩いていく。
「砂月くん…優しいんだね」
「勘違いするな、俺は…」
「那月くん…のため?もう聞き飽きたよその台詞は」
「…お前のためじゃないことだけは確かだ」
「うわ、ひっどー!」
彼の頭の中はいつも、那月くんでいっぱい。本人曰く、練習に協力してくれるのも、私の曲にアドバイスをくれるのも、全て那月くんのため。じゃあ、今手を握ってくれてるのは…?私のため、じゃないの?
言葉では軽く彼をあしらってるけれど、私の頭の中は砂月くんでいっぱいなのに…
「おい、何ボーッとしてんだ」
「ひゃっ」
歩きながら、私の頬をぷにっと摘んで彼は少し笑った。その少しの笑顔が私にとっては貴重で、体温が上昇し繋いだ手が熱くなるのを感じる。
「いや、なんでもな…おっと」
何もないところで躓きそうになり、私はまた彼に縋り付く。すると彼はやれやれ、と首を振って私の腰に腕をまわし、ぐいっと自分の身体に引き寄せる。
「本当に危なっかしいヤツだな。俺がいなかったら今頃ケガだらけだぞ」
「砂月さまさまー」
「ったく…おだてても何も出ないからな!」
私がくすっと笑えば彼もつられて、口端をすっとあげた。しかしそれが、少し切ない微笑みに見えたのは私の気のせいだったのだろうか。
「あ、部屋ここだから…砂月くん今日は遅くまでありがとう、あと…送ってくれて」
「お前にケガがあったら那月が困るからな」
「砂月くんも気をつけて帰ってね、おやすみ」
那月くんの名前が出る度に、私の胸はズキと痛む。しかしそれを振り払うように、無理矢理笑って彼に手を振り、ドアを開けて部屋に入った。そして私はそのままベッドにダイブして呟いた。
「砂月くんの…馬鹿」
(砂月くんは私のことなんてなんとも思ってないんだ)