クロネコ喫茶店
□迷う
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―――今朝のは、一体……
晃は早朝より頭を捻(ひね)っていた。
どうも先の黒猫が気になるようで、あっちへ行ったりこっちへ来たりと狭い部屋の中を徘徊している。
猫が喋るわけもないし、ましてや迎に来るだとか有り得ない。などとぼやいてはうろうろ。人差し指の腹で顎をなぞるあたりは、まるで探偵のようだ。
何度目かに部屋の入り口付近へと赴いて、やっと彼の足は止まった。
「朝早かったし、きっと寝ぼけてたんだよな」
長い苦悩の末、とりあえずここに落ち着いたので、晃は制服のブレザーに袖を通し学校の準備に取り掛かることにした。
教科書よし。ノートよし。筆箱に、あとジャージもか。
七時丁度。晃が支度をしていると、出入り口の扉を軽快な音が跳ねる。
それは彼の長い一日を知らせる呼び鈴でもあった。
「晃、おきてる?」
「今日はA社との会合の後、B社の社長とランチの約束だったかしら」
目の前に座る女は得意気に言うと、こちらをちらりと見て満足そうに笑みを浮かべている。
「まったく、我が息子は多忙でいらっしゃる」
女に続いてその隣に座る男も、嘲笑いさえしないものの勝ち誇った顔つきだ。
「母さんも父さんも食事中なんだからそんな話はよしてよ」
謙遜めいた口調で彼らをなだめるのは、隣に座る青年。
これが、俺の「カゾク」だ。
気持ちの悪い談笑が、ダイニングを占める。それは薄笑いを浮かべる晃を包み、すでに吐き気をもよおすほどに耐え難いものとなっていた。
だが、ここで逃げ出すわけにはいかない。
晃は、口角を上げた。
――――まぁ、当然か
「はぁ」
店員の声に押し出され、コンビニを後にすると気が抜けたのか、久々に溜息が出てしまった。
腕にぶら下げたビニール袋の中からおにぎりを取り出す。
比較的朝は、いつもあんななので出された朝食には手も付けられない。なので時々こうして、家を出た後コンビニ食を買って食べている。
笑うのはあまり得意ではないのだが、営業スマイルは別だ。これは、一日を通して何度も繰り返すからか、四六時中張り付いたままになっている。
人通りの少ない通学路をおにぎりをくわえてあるく。
冬はやはり冷え込む。そろそろマフラーと手袋を装備しなくては。などと考えていたら、見知った青年が俺の肩をかすめていった。
――――あれ、今の……
青年は晃に目もくれなかったが、おそらく宿毛春樹だ。
彼は、小学生以来の葉月・兄の友人であり幼馴染でもある。話に聞くところ、親友でもありオヤとも面識があるらしいとか。
いつもなら玄関前で見掛けるのに。振り返りざま、おにぎりの包みを握りつぶして思い出す。
声を掛けられたことも掛けたこともないけれど、あのひとはいい人だ。あのオヤに流されないし、いつも葉月の傍らにいる。
その葉月は逆に流されまくりというか、天然というか。
――――葉月がミスするとすかさず、春樹さんが現れて
「仲いいよなぁ」
さらに思い出した。
宿毛春樹、という名前は都大会名簿にもお馴染みの知る人ぞ知る、いわば有名人の名だ。
種目は弓道。彼の背にはいつも弓がぶら下がっているという。
兄は優等生で、俺の幼馴染でもある春樹さんは有名人。
正直、そんな肩書きは重たい。
だって俺は、――――。
ふわぁ〜、と欠伸をひとつ。
今朝は早く起きすぎた分、いやそもそも起きた記憶すらないのだが、寝なおして取り返そうと思っていたのに、それは叶わなかった。
何せ、口を利く猫に遭遇してしまったものだから、それどころではなかったのだ。
気が付けば、とっくに朝日とご対面。
学校に到着し、自分の席に座って早々睡魔が、俺を襲う。
普段よりも早くに着いたせいか、いつもなら声に溢れている教室も鳥のさえずりしか聞こえてこない。
そして遂に、晃は机に突っ伏した。瞼をそっと閉じて、気が付けば安らぎに身を投げ出していた。
そして、彼は夢をみる。
――――――
「お母さん」
「お父さん」
僕はそうやって両親を呼んだ。
そうやって、いつの日も呼び続けた。
嬉しいことがあったときも、辛いことがあったときも。
絶えず、呼び続けた。
あの日だって、僕は呼んだんだ。何度も、何度も。
一体、幾度叫んだ?
幾度、涙を流した?
どれほどさよならを告げたら、別れなんてものが悲しくなくなるのか。
誰か、誰か僕に教えて。教えてよ。
「ずっと、傍にいるから」
――――――
「あーきらっ!と、寝てんのかい」
晃が眠ってからまもなく、クラスメイトの一人が現れた。
彼は晃の背にのしかかると、寝顔を覗き込む。
少年がのしかかってきた直後は少し悶えた様子だったが、今は静かに眠っている。
「まつげ長っ」
怪しく笑うと、少年は晃の首筋に口付けた。
「油断大敵〜」