treasure

□秋受け
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「あなたには洒落っ気が足りないと思うの」
夏未の家に招かれ、当たり障りのない話題を選んで話していただけだ。突然こんなことを言われるなんて、秋はまったく予想していなくて、とりあえず口をつけていたティーカップをかちん、とソーサーに戻した。ゆらりと震えた紅茶の水面が、秋の動揺した顔を映して、歪ませる。夏未はその動作をじっくり眺め、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「秋さん、あなたには洒落っ気が足りないと思うの」
「…夏未さん?」
「ねえ、可愛い服を着て歩きたいとか、髪型を変えたいとか、メイクしたいとか、そういうものはないの?」
畳み掛けるように一般的な女子の欲望を上げられ、秋は僅かに表情を曇らせる。確かに、そんな欲望が秋にも多少はあるけれど、それを実行するには少しばかり勇気とか大胆さが足りない。地味でいたいなんて思っていないが、そういうことは似合う人がやればいいのだ。例えば、髪型を変えるなら、夏未くらい髪が長い方がいいに決まってる。外に跳ねてちっとも落ち着いてくれない自分の髪をつまんで、指を滑らせた。それにほら、自分の髪は少し傷んで枝毛だってあるのだ。
可愛い服だって、自分が着るのはもったいない。春奈みたいに明るくて元気で、女の子らしい女の子に似合うはずなのだ。明るい色だがシンプルすぎるワンピースの裾をそっと撫でつける。申し訳程度に添えられたレースは、結構気に入っているけれど。
「なら、メイクは?」
「私にはきっと似合わないよ」
「違うわね、それはあなたが自分に似合うメイクを知らないだけよ」
「でも、できないもの」
「やってあげるわ」
「中学生なのに、そんなの早いと思うの」
「そんなことないわ、ねえ、逃げないで」
一般的な女子が飛びつくような事柄に対して、秋はいつも逃げ腰だ。夏未はそれを知っている。そしてそれを、焦れったく思う。そもそも秋には、自分自身を過小評価する癖があり、周囲がそれを受け入れているのが最大の問題なのだ。それでは、いつまで経っても秋はどこにも行けないではないか。もしかして、それを望んでいるのかもしれない。新しい何かを知って、どこかに消えてしまわないように引き止めていたい。いつだって優しくて、誰彼分け隔てなく笑顔を向ける彼女に恋慕する者が、想像以上にたくさんいることを、本人だけが知ろうともしないのだから。
「試して見るだけよ、興味が無いわけでは、ないでしょう?」
夏未の良く言えば根気強い説得で、とうとう秋は折れた。
夏未は、要するに人形遊びの延長だと思っているのだ。秋はそう無理矢理自分を納得させながら、しかしそれだけでは到底理解できない息苦しさを感じていた。それは、夏未の真剣すぎる表情だとか、部屋に漂う化粧品の匂いだとかが原因なのかと思ったのに、決してそうではない。目を瞑っても鼻をつまんでも、息苦しさは消えない。罪悪感、のようなものなのだろう。何せ、秋はまだ中学生なのだ。幼い頃に母の口紅を勝手に使って怒られて以来、化粧品とはいっさい無縁だったので、今顔を滑っている化粧道具がくすぐったくて仕方ない。眉を寄せて我慢していたのに、夏未の指が眉間の皺を伸ばしてしまった。
「少しくすぐったいのね」
「そういうものなの、我慢してちょうだい」
夏未は秋の密やかな主張なんて無視して、自分の思うように秋の顔を飾っていく。本当は純潔を形にしたような服も着替えさせてしまいたいのだけれど、秋はきっと嫌がるだろう。そのことを残念だと片付けながら、化粧品の中から秋に似合う色のグロスを探り出す。
選び取ったのは、「キスしたくなる」などという謳い文句で売り出されたものだった。
「じっとしててね」
そう言ったはいいものの、今まで何の気負いもなく進めていた手が止まった。肌に触れるのは何の罪悪感もないのに、唇に触れると思うと羞恥と、背徳感に近いものが湧き上がってくる。そうなると、自分のしていることが秋を汚しているように思え、秋が心配気な声を上げるまで、どうしても手が動かなかった。
「夏未さん?」
「え、あ、何でもないわ」
躊躇いを振り捨てるように、仕上げと称して秋の唇に色をつける。狭い面積のことだからすぐに終わって、少し離れて見ると満足のいく出来映えになっていた。あくまで、夏未の気分としてはだが。鏡を見た秋は、驚くでもなく、ただ単純に戸惑うような視線を巡らせ、最後納得したように(させた、が正しいかもしれない)鏡の中の虚像にむかって笑いかけた。微笑みは、はっとするほど美しく、夏未はあのグロスを選んだことをよくやったと褒めると同時に、後悔した。きっと、今日の彼女はせっかくだからとあのまま帰るだろう。すぐに落としては夏未の気を損ねるとか、そんなことばかりを気にして。その帰り道、彼女にライク以上の好意を持つ者に出会ってしまったら。そう思うと、知らず、拳をぎゅっと握っていた。彼女にキスしたくなるのは、夏未だけでいいのに。
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