朽木さんち
□自分の事には不器用で
1ページ/2ページ
「白哉様…。これを……」
PM10:20
家路に着き、食事より先に風呂を済ませた白哉に、妻の緋真が眉を垂れ下げながら歩み寄ってきた。
ソファに座りタオルで髪に残る水滴を拭き取っていた白哉は、何だ?という顔で緋真を仰ぎ見る。
緋真がエプロンのポケットから取出し白哉に手渡したのは、ぐちゃくちゃにされた一枚の紙だった。
「父兄参観…?」
紙を開くと目に飛び込んできたのは、娘の通う幼稚園の父兄参観のお知らせ。
読み進めれば、それは今週の日曜に開催されるという。
今日は水曜日。
間違っても今日渡されたものではあるまい。
白哉は険しい表情を浮かべながら、緋真に視線を送った。
「今日和由の部屋を掃除していましたら、出てまいりまして……」
緋真はちょこんと白哉の横に座ると、彼の手にしているプリントに目を落とした。
これを発見したのは本当に偶然だった。
父親に似て几帳面な和由のおもちゃ箱が少し開いていて。
珍しいと元に戻そうとしたところ、このプリントを発見したのだ。
「……明日和由と話をしよう」
プリントを目の前のテーブルに置くと、白哉は小さく息を吐いた。
白哉の勤めている高校ではもうすぐ文化祭が開催される。
ルキアのクラスの副担である白哉は普段の授業の準備の他、連日文化祭の準備等があり帰宅時間が遅いのはもちろん土日返上で働いている。
和由はそんな白哉に遠慮をして父兄参観のことを隠していたのだろう。
(まだ幼いというのに……)
一番親に甘えたい盛りの時期に気を遣わせるとは辛い思いをさせてしまったと、白哉はもう一度ため息を吐いた。
◇◇◇◇◇◇
「とうさま、かあさま、おはようございます!」
翌朝、ルキアと共に二階から降りてきた和由はいつもと変わらずにこにことした笑顔で両親に挨拶をした。
ルキアにやってもらったのであろう。
綺麗な黒髪を二つに結び、少し長めの前髪を斜めに分けウサギの付いたピンで留めている。
「……和由」
ソファに腰掛け新聞に目を通していた白哉がテーブルに新聞を置き、緋真にルキアに整えてもらった髪型を自慢している和由を自分の元に呼んだ。
和由は小首を傾げながら白哉の元に駆け寄る。
「なんですか?……あ!」
最初は不思議そうにしていた和由だが、白哉が手にしているプリントを見て言葉を失った。
確かおもちゃ箱に隠したはずなのに……。
和由の顔にはまさにそう書いてあった。
「何故隠していた?」
俯いてしまった和由の顔を覗き込みながら白哉は聞いた。
理由は大方分かってはいるが、やはり本人の口から聞かなければならない。
「……とうさま、おしごとたいへんだから……。だから、なゆ、わがままいっちゃだめだとおもって……」
今にも泣き出してしまいそうな声でそう呟く和由。
叱られると思っているのであろう。
洋服の裾をぎゅっと握り締め、身体を硬くして黙り込んでしまった。
「無用なことを……」
暫し娘の様子を黙って見ていた白哉だが、これ以上話す気が無いのを悟ると短く息を吐き、和由の小さな身体を抱き上げた。
和由は驚いた顔で白哉を見上げている。
「お前は私に来て欲しくはないのか?」
膝に座っている娘の結ばれた髪を指先で弄りながら、白哉は妻と義妹によく似た瞳を己の瞳に映した。
和由はまんまるとした目を更に見開き、父の瞳を見返した。
「きて…ほしいです……っ」
幼稚園の友達は皆、父兄参観にはお父さんが来ると言っていた。
それがすごく羨ましくて、でも白哉が忙しく休みの日にも仕事に行かなければならないことは和由は十分に理解していた。
だから、父兄参観に来て欲しいなんて言っちゃいけない。
でも父兄参観のことを言ったら白哉は無理をしてでも行くと言ってくれるだろう。
それなら最初から父兄参観があると言わなければいい。
そう思い言わなかったのだ。
だけど、本当はやっぱり来て欲しい。
大好きな父様に幼稚園での自分を見てもらいたい。
ポロポロと涙を溢しながら、和由は来て欲しいと何度も呟いた。
「必ず行こう」
可愛い愛娘のためなら、仕事とてどんな手を使ってでも休みを取る。
朝から大泣きする和由の小さな背中を擦りながら、白哉は仕事は海燕にでも押し付けてやろうと考えていた。
「姉様、兄様が和由を泣かせております!」
先に朝食を取りながら二人の様子を眺めていたルキアが、食パンを噛りながら緋真に声を掛けた。
もちろんルキアも緋真も白哉が和由を泣かせたわけではないことなど分かってはいるが。
「あら、駄目ですよ白哉様」
ルキアに合わせ、緋真はくすくす笑いながら娘をあやす夫を見やる。
そんな二人に白哉はあからさまに眉を寄せた。
「……泣かせてなどおらぬ」
からかうなと視線で訴える白哉を見て、ルキアと緋真はより一層笑い声を大きくした。
それにより、白哉の眉間の皺は更に深くなる。
「とうさま」
ルキア達に視線をやっていた白哉だったが、和由に呼ばれ視線を移す。
泣いてウサギのように真っ赤に充血してはいるが、その瞳からはもう涙は零れていない。
ごしごしと目元を拭うと、
「だいすきです」
はにかみながらそう言うと、和由は少し背伸びをした。
何をするのだろうと思っている白哉の耳に、ちゅっと可愛らしい音が聞こえた。
「…ああ。私もだ」
ほんのり赤く染まった柔らかな頬にお返しのキスを。
横からまたからかうような声が聞こえたが、白哉の瞳は優しく細められただけであった。
fin