パラレル

□封印解放
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ギギ、とくぐもった悲鳴を上げて、古い地下の扉がゆっくりと開いた。
細かな装飾は埃を被り、取っ手の鍍金はところどころが剥げてざらついている。
部屋の中からは古い紙とインクの匂いがした。

本棚に書き物机、天蓋つきの寝台。

「出てこい、吸血鬼」

書斎と寝室が一つになったようなその広い部屋に、人影は見えない。

しんしんと降り積もってきたであろう空気の中に、その声は思いのほかよく響いた。
静寂をかき乱して、マクシミリアンは床に敷かれた毛皮の上を踏んで歩く。

「……誰、だ」

誰もいないと見えた部屋の奥から、細い声。
寝台の厚い帳が揺れて白い手がのぞいた。
はだしの足が床を踏み、長く真っ直ぐな黒髪がさらりと肩に流れる。
すっきりと整った美しい面に、漆黒の瞳。

「お前が吸血鬼か」

こんなところにただの人間がいるはずがない。
とは知りつつ、そう尋ねずにはいられなかった。

目の前の寝台に座って艶やかな髪をかき上げているのは、まだ17、8ほどにしか見えない若者だ。
吸血鬼の年齢など外見では判じられないが、この若者の透き通るような眼差しは、とうてい人の生き血を吸う化け物には似つかわしくなかった。

「そう言うあんたは、何者だ」

いままで眠っていたのか、どこか気だるげに問う相手の髪を指先でさらりとすくって、

「わたしはこの城に巣食う吸血鬼を退治するために来た。お前がそうかどうか、答えろ」

まるで貴族の令嬢を口説くような声音で、耳元にそう囁いた。

「この城にいるのは、俺ひとりだ」

す、と胸に突き付けられた銀の剣を恐れる気配もなく、黒髪の吸血鬼が、くす、と笑う。

「わざわざこんなところまでやって来るとは、もの好きな男だな。そうとう商売が暇とみえる」

「そうでもないぞ。現に今しがたも依頼を受けてきたところだ。街の娘を殺した恐ろしい魔物を退治してくれ、と。確かに面倒だが、ちょうど退屈をしていたところだ――」

言いかけた途中を腕を掴んで遮られる。

「娘を殺しただと?」

「お前がやったことではないのか」

「そんな覚えはない。俺はここでずっと眠っていた。それに……まだ、人の血を吸ったこともない」
「どうせつくなら、もう少しましな嘘をつけ、吸血鬼。現に死んだ娘の首には噛み傷があった。加えて、この辺りに吸血鬼が住むのはこの城だけだそうだな」

まだつまらない言い訳を吐く気か、と胸に浅く剣を刺されて、吸血鬼は首を振る。

「本当だ。この場所に封じられて――もうどれだけ眠っていたのか分からない」

ひら、と細い指でつまみ上げたものを見れば、異形封じの術式を描いた札である。

「あんたが扉を破ったせいで剥がれたんだろう」

街で聞かされた話によれば、以前に街の人間が吸血鬼に血を吸われたというのは百年も前だという。
目の前の吸血鬼が目覚めたのがたった今だとすれば、

「では、他にも街の近くに吸血鬼がいるということか」

真犯人は別にいるわけか、と呟いて、マクシミリアンは剣を引いた。

「俺を殺さないのか?」

「犯人でないのなら、わざわざ殺してやる義理もない」

誰に礼がもらえるというわけでなし、と嘲笑うマクシミリアンをじっと見つめた後、吸血鬼は細い眉を寄せて膝の上に視線を落とした。

やがて、ぐ、と顔を上げ、

「真犯人を探すんだろう。俺にも手伝わせてくれ」
驚くほどに真っ直ぐなまなざしに射抜かれて、マクシミリアンは呆れて肩をすくめた。

「……何を言い出すかと思えば。死んだ娘に憐れでももよおしたか。どういうつもりか知らんが、いま街に降りてもし正体を知られれば、人間どもに袋叩きにされるのが落ちだぞ」

「覚えのない罪を疑われたままでは気分が悪い。それに、こうして目が覚めてしまった以上、俺もいつ人の血を吸ってしまうか分からない。そのときは、あんたが」


――俺を殺してくれないか。


潔いまなざしを受け止めて、マクシミリアンは、に、と唇の端を上げる。

面白い。

呆れるほどに澄んだ瞳をしたこの吸血鬼が、人の血を吸わずにどこまで耐えられるものか。

ついに身の内に眠る欲望に負けたとき、絶望に塗れた姿はどんなに、と思ってみて、大声で笑い出したい衝動に駆られた。

「わたしの名はマクシミリアンだ。吸血鬼、お前は」

「……飛蘭」


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