睦月

□Der Wind der Anfang
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「あ…………あの時の……」
<我は、いつでも主をみていた>
「え………?」
<泣き虫は変わらぬようだが、成長したな、結衣>



幼い頃、優しい声音とその白い着物でふんわり抱きしめてくれたみたいに、今も抱きしめられている。しかし、昔より断然背も伸び、男の子らしくなったのだ。なのに彼女は変わらず抱きしめ、結衣を易々と包み込む。
彼女が身に纏う香のような香りに、結衣は酔っていた。彼女もまるで、結衣の思考を奪うかのように香を嗅がせた。しかし、結衣はそんな彼女の意図も分からず母親のような温もりに身を潜めていた。否、いたかった。

両親はいつも忙しく海外へ飛び回る有名な演奏者だ。楽壇入りしたといえど、所詮は神奈川での話。地元では取り上げられても、県外へ行けば結衣を知る者はいないだろう。両親も、昔は結衣を応援していた。しかし、音楽に対してだけは厳しかった両親。幼い頃から楽団に入ったため、その厳しさをずっと一身に受けてきた。小学校中学年、その頃から両親は結衣を甘えさせてはくれなかった。抱きしめてもくれないのだ。小規模とはいえ、神奈川では1番大きな楽団で楽壇入りしたのに、一言も褒めてはくれなかったのだ。

蟠りを、彼女が解してくれているような気がして、結衣は母に似た温もりに、浸っていたかった。しかし、そんな結衣の思いも虚しく、彼女の策略に嵌まった結衣は、段々と意識ん落とし始めた。



<結衣、すまぬっ………>



意識が失って行くのと、彼女のその言葉で、結衣は彼女が自分をどうしたいのかは解らなかったが、自分にこれから何かが起こるということは解った。彼女の背中の着物をきゅっと控え目に掴む。そして、身を任せるように結衣は彼女にもたれ掛かる。そして完全に、意識を無くした。





<すまぬ、結衣………>



我が身の温もりに安心しているのを余所に、結衣を嵌めた罪悪感が彼女に……――否、この狐にはあった。本当に小さな頃から結衣を見てきた。楽壇入りしても、当たり前のように言われ、抱きしめるどころか、褒めてすらもらえなかった結衣。何度、己が抱きしめてあげたかったことか。人のしらぬ間、陰でこっそり泣く結衣に、何度声をかけたかったか。強力な妖である我が身が、結衣に近づけば結衣が危なくなる。結衣の心を支えてくれる、幼馴染みの司。彼が羨ましい程だった。



<結衣……――主を一時の楽園へ放ってやろう。この呪縛から、少しでも身を休めるといい。……主のお上達は、少し苦しめてやるといい。これからの出逢い、主にとっては忘れられぬものとなろう……>














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