A総受け

□その背を見つめて
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 今日の講義もまた、生徒数が少ない。
 広い教室に数えるほどしか参加しない俺の講義が、生徒たちから「つまらない講義」と言われていることは知っている。
 それでも教壇に立つのは、俺を信頼してくれる学校理事のオヤジのためでもあれば、俺の講義を聴きに来てくれる生徒のため。
 何度かやめようと思ったし、同僚のサッチによく転職の話題を振られる。
 あいつは俺に大学教授なんてやめてほしいのか、なんて思うほどサッチは何度も何度も辞めてしまえというもんだから、つい本気で蹴り飛ばしたら「お前のために言ったんだぞ」と切れられたな。
 それでも俺は、ここから離れられない理由がある。
 俺の講義があるのは月曜と木曜の二回。
 その二回とも出席し、かつ、休むこともない生徒が一人いる。
 食堂で何度か騒ぎを起こした事のあるこの男、ポートガス・D・エース。
 食事と会話の途中で寝ると言う、何ともふざけた男だ。
 食事中にスープの中に顔面ぶち込んで眠っていたという、嘘か本当か、そんな伝説の大馬鹿。
 その男が俺の講義中、絶対に寝ないことは気になった。
 広い教室の教壇前の席なんて誰も座りたがらないのに、エースは必ずその席に座り、真剣な目で俺の講義を聴く。
 その目にいつの間にか惹かれていたことを自覚したのは、大学の戸締りをしている最中だった。


「おいエース、聞いたぜ。お前あのくそつまんねぇマルコの海洋学の講義取ってんだって?」


 とある教室ででかい声で喋っているグループがあった。
 その中心にいたのがエース。


「マジかよ、マルコの講義って本当に受講者が少なくて、そのうち無くなるんじゃないかって噂されてるぜ」


 確かにその通り。
 これ以上高い給料をもらいながら受講者の少ない講義をしたところで、大学には何の利益もないだろう。
 辞表の二文字が頭を過ったことは何度もあった。


「マルコってさ、絶対教師とか物教えるのに向いてないよ」


 げらげらと楽しそうに笑う奴らは、俺がドア一つはさんだ向こうで聞いているとは思ってもみないんだろう。
 でも、こいつらの言う通り、人に何かを教えるなんて、俺には向いていないのかもしれない。
 その結果が現在の状況なのかもしれない。


「マルコの授業はくそ真面目なだけでつまらねぇことはねぇ。ためになることを言ってるし、要点がまとまってる分聞いてて飽きないんだ。マンネリした古典の授業より全然いい」


 涙が出るかと思った。
 つまらないと生徒たちに言われ続け、傷つくなんてマヒしていた心に、ジンと染み渡ってきた。
 一番前の席で真剣な目を向けてくれるエース。
 あいつがそんなふうに思っていてくれていたなんて、思いもよらなかった。
 何が良くて一番前に座るかなんて、どうでもよかった。
 ただ、自分の授業に真剣に向かい合ってくれていることが、嬉しかったんだ。


「よ、マルコ。戸締り終わったか〜」
「サッチ」


 でかい声で名前なんて呼んだら・・・


「え? 今サッチの声したぜ」
「マルコ呼んでたってことは」
「話聞かれた?」


 やっぱり・・・
 余計な事してくれやがって。


「おい、お前ら。ここ閉めるから出ろよい」


 仕方なく姿を見せると、エースの眉間にしわが寄るのがわかった。
 嫌われたか?
 そう思った瞬間だった。


「おい、エース!」
「ここ三階だぞ!」


 窓からエースが飛び降りた。
 慌てて俺とサッチが窓へ駆けよると、猛ダッシュで大学の門を抜けていくエースの姿が見えた。
 行動の不思議さに開いた口が塞がらない。


「エースの奴、何でああ何だかな」
「なんだ、お前ら。あいつの行動の意味分かるのか」


 サッチが生徒に問いかけると、あっさりと生徒の一人が説明した。


「エースって、基本的に明るいし、礼儀正しいんだけどよ、褒められたりすると恥ずかしいらしいんだ。で、ああやって走って逃げる」


 つまり、俺のことを褒めたことを、本人に聞かれてたことが恥ずかしくて逃げた?


「単純」


 サッチがそう言って笑う横で、俺もまた、違う意味で笑っていた。


「可愛い奴だよい」


 自分よりいくらか年下のガキに褒められて嬉しくなって、褒めた本人は恥ずかしさのあまり逃げ出して。
 捕まらない。
 逃げていくあいつを、俺は追いかけることができるんだろうか。
 捕まらなくてもいい。
 それでも、お前が俺の講義に来て、真剣に授業を聞いてくれるなら、俺は教壇に立ちつづけよう。
 いつまででも・・・
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