ZS小説
□声に出して
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1. それが答えと言うのなら
いつだって自分のことを後回しに考える男だった。
自分が辛い時に辛いと口には絶対しない男だった。
仲間のために自分の野望も何もかもかなぐり捨てて敵に命すら差し出すほどの男だった。
そんなあいつの背中が愛おしく思っていた。
こんなに自分の心がざわめいたことはない。
こんなに誰か一人を一身に想ったことはない。
そんな俺の心は、目の前の現実にガラガラと音を立てて崩れ去っていった。
「今何て言ったんだ、チョッパー」
「ああ、だから、ゾロが記憶喪失になった」
記憶喪失。
その言葉は俺にとどめの一撃を食らわせた。
「まったく、昨日の不寝番中に何があったのよ」
ナミさんがため息をつきつつそんなことを言っても、当人であるゾロは全く覚えがないと言ったふうに首を傾げた。
「でもよ、俺のこと覚えてんだろ」
ルフィが船の手摺に座りながらそう問いかけると、ゾロは軽く頷いて自分の記憶について語った。
「俺が覚えてんのはルフィが俺を海賊に誘ったことと、ナミが仲間になったこと、ウソップの村を出たところまでだ」
つまり、俺と出会ったことをすっかり忘れてくれちゃってるわけだ。
その後も、チョッパーの問診を受けていたが、体に異常は見られず、何が原因かもわからない。
そして、俺を含めグランドラインに入ってからの仲間の記憶や戦いの記憶もなくなっているらしい。
ゾロは今まだ信じられないという顔で海を眺めている。
信じられないのは俺の方だ。
昨夜、不寝番のゾロのところへ夜食を届けた後、ゾロに何かが起こった。
そう考えるのが妥当だが、何が起こったのかがわからなきゃ対処しようがない。
それに昨夜は俺はあいつに思い切り・・・この先はまあ、言わずもがな。
俺が部屋に戻って眠って、今、起きてくるまでに何が起きたのか、グルグルと思考は回転して気持ち悪くなりそうだ。
「それにしても、何も覚えてねえってのはちと厄介じゃねえのか、麦わら」
フランキーが腕を組んで深刻な顔でそう言った。
「何が?」
チャラけた声を上げるルフィとは正反対に、ロビンちゃんもフランキーに同意する。
「この先の海へ進むのに東の海での記憶しかないとなると、自分が懸賞金のかかった賞金首だということも分かっていないのでしょう」
「つまり、この一味での主戦力とも言えるゾロがこれまでの死線を忘れてるとなると、自分が何で賞金首になったのかさえ分からず、混乱したままってことか」
あの男の場合そんな混乱なんてするようには思えないが、実際問題、俺、チョッパー、ロビンちゃん、フランキー、ブルックの存在はあいつの中ではいきなりできた仲間ってことになる。
それじゃあ今まで何のためにこの一味がここまでの絆を築いてきたかわかったもんじゃない。
あいつが一人で先走るフォローしたり、あいつが原因で誰かが傷つく可能性すら出てくるわけだ。
「船長としての意見ってのはねえのか、ルフィ」
俺も相当焦れてるらしい、語調が強くなってしまった。
「んなこと言われてもよ、覚えてねえってんだからしょうがねえだろ」
しょうがねくねんだよ。
俺にとっては大問題だっつの。
俺の貞操を奪った男が俺のことを覚えてねえなんて許されるものか。
「そもそも、こいつ本当に不寝番として役立ってたのかよ」
今までゾロが不寝番をして寝なかったためしがない。
俺の一言にこの船の全員が納得した声を上げる。
「そうよね、あのゾロが寝ずにいられるわけないのよ」
「ゾロだもんな」
「ゾロだからな」
「ゾロだしな」
「うっせえなてめえら、何なんだよ一体」
切れたゾロが怒鳴る。
こんなところだけ見てると、いつもと変わらねえってのに、現実は残酷だ。
何で忘れてんだよ。
俺はその場にいるのが嫌で昼食の準備を言い訳にキッチンへと逃げた。
「ったく、あの野郎は」
文句を言いながら、俺は昼食の準備を始める。
ルフィのリクエストは基本肉料理だから無視するとして、今朝はまだ煮込みがもう少しだと思ったビーフシチューを昼食に出そう。
魚は生け簀から出してきたふぐを刺身としゃぶしゃぶにするといいだろう。
チーズもあったはずだから、揚げてつまみの準備もしよう。
スパゲティはサラダに使って、炒め物はどうしようか。
最近は随分とこってりとしたものが続いたからな、ここはふぐしゃぶにあわせてさっぱりしたしょうゆベースのドレッシングを使っておこう。
料理をしている間が俺を解放する特別な時間だった。
グルグル悩んだところで何も解決はしないのだから仕方ないと、割り切れれば簡単だったはずなのに、俺の心は俺の考えをことごとく無視していった。
準備ができれば匂いを嗅ぎつけてルフィが一番にキッチンへやってくる。
「サンジ、めし〜」
「おら、ちゃんと座れ、準備できてるよ」
テーブルに並べられた料理の量は相変わらずパーティーセット並みだ。
これを毎食分用意するのが俺のこの船での役割だ。
なんてったって俺はコックなのだから。
そして、それを一番うまそうに食ってくれるのがルフィで、レディ達はにこやかに美味しいと褒めてくれる。
うまいうまいとルフィと張り合うように食べるチョッパーやウソップにブルック。
フランキーは意外とおとなしく食事を取る。
そしてあいつは黙々と食べることだけに集中してるんだ。
口に目いっぱい突っ込む割にテーブルを汚さないその食べ方は、意外と綺麗だと、初めてこいつにあった時から感じていた。
見た目に反して色んなところが他と違っていて、俺はいつだって釘付けなのだ。
考えないようにするなんて、初めっから無理な話だ。
「食い終わったら皿は重ねておいてくれ」
そう言い残して俺はキッチンを出た。
食事にあまり参加しないわけではないが、作っている方が俺はちょっと楽しいからそれでいいし、うまいと食べてくれる奴らに少なからず感謝している。
でも今はそんな気分には到底なれない。
キッチンを出て甲板で海を眺めながら煙草に火をつける。
紫煙を吐きだすのと一緒にため息を織り交ぜると、心の奥に小さな穴があいたような気分になった。
「ったく、感傷って言うのかね、こういうのは」
我ながら自分の心がいまいち掴めない。
このまま俺も、何もかも忘れてしまえたらこの心は楽になるんだろうか。
くだらない感傷にもういちどため息をつくと、後ろから声を掛けられた。
「おい」
振り返らなくてもわかるその声に、俺は振り返ってやらない。
「なんだ」
「お前、何か俺に言いたいことでもあんじゃねえのか」
そりゃあ沢山ありますよ。
何忘れてんだとか、ふざけんなとか、ばかじゃねえのとか、それから・・・
「言いたいことがあるなら言え、目も合わせたくないくらい俺が気に食わねえのか」
真逆。
「別に、俺は今海を眺めて楽しんでるとこなんだよ」
俺はそのまま海を眺めつづけた。
ゾロは何も言わない。
ただ俺の後ろ二メートルから近づくことも離れることもしない。
それがお前の答えなんだろうか。
俺のことを忘れて、新しい心で先へ進む。
俺はお前のことが忘れられないまま、この先へ進む。
お前と俺は仲間だから、俺はお前を好きでいる。
恋人には今更なれない。
気づかされるだけのこの距離に、俺は泣きだしそうになって、ワザと煙草の煙を深く吸い込んだ。