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□Byebye, Harry
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「おかしい。シリウスの顔ったら」
その白く小さなうごめくものを前にして、シリウスは床に根が生えたように立ち尽くしていた。
「……これが赤ん坊……か」
「ものじゃないんだ。たのむよ、名づけ親」
ジェームズは、リリーの腕の中のわが子を見て、ますますご満悦そうににっこりした。手をのばし、ふくふくした頬に指で触れた。
「僕に似てハンサムだ」
なにもかも小さな造作や、頭髪の色は黒く、ジェームズと同じで、目の色はリリーの緑を受け継いでいた。
ふたりを知る者がひとめ見て、このふたりの子どもだとわかる。
それもシリウスをその場に縫い付けるだけの、引きもきらない感銘の要因になった。
「リリーは、すごいな」
「ああ!すごいよ、本当に! もっとだ、褒めてやってくれ」
ふふ、とリリーが笑い声をこぼした。ジェームズの大声に反応して、赤ん坊の表情が心なしかむっつりしたように見えた。
「シリウス、この子の名前はもう決めてあるの?」
「うん」
抱いてみる?とリリーに声をかけられ、シリウスは緊張にこわばりながら、どうにか首をたてに振った。
まっしろなおくるみに包まれた、両腕ですっぽり抱えられる、ジェームズとリリーの命をわけた赤ん坊。
ジェームズがシリウスを気の毒に思うほど、彼は慎重に、額に汗にじませながら赤ん坊の首と頭をそっと左手でささえ、右手で背のあたりを抱いた。
「……シリウス、ジェームズより上手よ」
シリウスがほーっと長く息をついていくらか緊張がほぐれたようすが、見守っているふたりにも伝わった。
ジェームズとリリーも思わずつめていた息を吐きだした。
「ハリー? ……僕はシリウスって言うんだ。よろしく」
緑の目がシリウスを見て、ゆっくりとまばたいた。
深い闇がけぶり、雨と風が悪意をもって、天の下を行くものを叩きつけてその足をくじかせた。
闇と雨とが混ざり合い、なにもかもをかき乱し、洗いながすように荒れ、広がり、その夜をおおいつくしていた。
荒れ模様の空は、襲いかかる不安にのみこまれそうなシリウスの心を映していた。
シリウスは打ち消そうとしても浮上してくる不吉な予感と闘いながら、オートバイで空を駆け、ゴドリックの谷にある家の前に立った。
どうしてジェームズにあんな話を持ちかけたんだ?
リーマスを疑って……よりにもよって、最悪の選択をしたのは、僕だ。
時すでに遅く、ようやく真実を悟り、悔やんでも何も変わりはしなかった。なにもかもがシリウスの目の前から過ぎ去ったあとに。
夜中にもかかわらず、明かりも灯らないポッター家のまえに、誰かが立っていた。
ハグリッドの大きな背中の向こうで、屋敷は竜巻が通り抜けた後のように廃墟と化している。
「おまえさん……」
ハグリッドは体を縮こまらせて、赤く腫らした目をしょぼしょぼさせて口を動かした。雨に混じって、おおつぶの涙がその頬をぬらしていた。
シリウスはハグリッドを見てはいなかった。
かつて、玄関にたって訪問を告げるとリリーが微笑んで開けてくれた扉は無残に破られ、亀裂がはしり、突風に揺さぶられていた。
窓ガラスが割れている。吹きこむ雨で、あらゆるものが散乱した床が水びたしになり、シリウスが水たまりを踏むたび、ぴしゃりと鳴った。
2、3歩足を踏み出したとたん、シリウスの息が変になり、胸のうちまでつめたい雨が浸みこみ――嵐が侵入してきた。
ジェームズだった身体が、扉の奥に横たわって、雨と風に吹きさらされていた。
熱いものがシリウスの喉もとまでせり上がり、急速に世界がゆがんで、死体も、暗い景色も一様にモザイクになる。
くずおれそうになる肢体をはげまして、シリウスは意識を保とうと強く願った。ひざをついてはいけない。倒れてもいけない。
ハリーの小さなてのひらのやわらかい感触がよび起こされた。涼しいリリーの声を思った。