その他×ツナ 1

□時を、越えて
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暗く、うっそうと茂った深い森のなか。
古びた洋館には、いささか不似合いな異国の笛の音が響く。

この地には珍しい白装束に身を包んだ奏者は目を閉じ、音の世界に身を委ねている。

彼が即興で奏でる曲には技巧が凝らされており、1本の横笛の上を器用に滑る長い指から紡ぎ出される音を聴けば、どんな素人でも、奏者が名手と呼ばれるに相応しいとわかるだろう。

何より音楽を愛し、どんな楽器でも天性の勘の良さで自在に弾きこなせる彼が、ここイタリアに渡ってから特に横笛を好んで吹くのは、同じ室のソファに座る友人がそれを望むからに他ならない。



“音楽には、国境がなくていいな―――”



綺麗な顔を少し歪めて彼がそう言ったのは、たしか激化した領土争いの仲裁が終わった頃だったか。






最後の曲を終えて、浅利雨月はほぅと一息つく。

ふと見ると、ソファに凭れて規則正しい寝息をたてるジョットの姿があった。読んでいた書類が手から滑り落ち、足元に散らばっている。



衣擦れの音にさえ気を配り、起こさないようそっと近づくと、雨月は紙を拾い集めた。
そして、屈んだまま、その端正な顔をじっと見上げる。

黄金色の柔らかい髪。陶器のように白く滑らかな肌。
閉じられたまつ毛は長く、その端正な顔はまるで精巧な人形のようだ。

常よりも幼く見えるその顔には、明らかに疲労が浮かんでいて、雨月の胸が軋む。


(―――だいぶお疲れのようでござるな)


雨月の長年にわたる友人であり、立場としては己の上司であるドン・ボンゴレ。
その重すぎる宿命を負った彼は、いつでも己をすり減らして、大切なものを守るために闘い続けている。

常に多忙にあるボスの為に、異国の人間である自分が力になれることは、決して多くない。
今手の中にある書類も、大体の内容は解るものの、全てを確実に理解することは難しいし、日常会話には支障がなくとも、交渉の場でもってまわった言い回しをされると、相手の意図がさっぱりわからない。ただ、それについては、言葉の問題じゃなくて性格の問題だとGに鼻で笑われたのだが・・・。

せめてもう少し語学が達者であれば、その重責を分かつことができるのだろうか。



そこまで思い至って、ゆるく首を振る。



(―――考えたところで、詮なきこと)



わかっているのだ。

もっと頼ってほしいと願うのは、友情という名に収まりきらないほどの想いを、彼に対して感じてしまっているからで。

彼にはもう、誰よりも彼を知り、彼を支えることができる唯一の存在がいる。







「・・・・ん・・」



伸びた前髪から覗く透明な琥珀色の瞳が自分を捉え、雨月は息を呑む。
何度か瞬きをして、ぼんやりと視線を雨月の手へ移したジョットは、ハッとしたように腰を浮かせた。

「すまない。眠ってしまった」

「いや。ほんの数分でござるよ」

雨月は柔らかな笑みを浮かべて、ジョットが立ち上がる前に書類を手渡し、その動きを制した。
たまたま一番上にした紙に、見慣れたサインがあることに気付き、わずかに目を見開く。

「もしや、それは、Gからの・・・?」

「ああ。今日届いた。この様子だと、向こうでの交渉は手応えがあったようだな」

嬉しそうに言って、ジョットが目を細める。
その、まるで淡雪が溶けるようなふわりとした微笑みに目を奪われ、とっさに相槌がうてなかった。



彼の右腕にして、ボンゴレのブレインとも云われる嵐の守護者は、今、遠い地で、とあるファミリーと交渉中だ。
その内容を伝える簡素な報告書にもかかわらず、まるで口頭で伝えられたかのように顔を綻ばせることができるのは、やはり兄弟同然に過ごした故の絆の深さだろう。

離れていても相手が見える程の、絶対の信頼を見せつけられるようで・・・・たまらなくなる。


「・・・それは、何よりでござるな」

無理して作った笑顔と、少しだけ沈んだ声音に、ジョットは気付かない。

「ああ。本当は俺が行くはずだったんだか・・・どうやらGに任せて正解だったようだ。
まったく。やっぱり交渉事はGに敵わないな。

―――昔から、あいつには頼りっぱなしだ」


口惜しさを滲ませながらも、どこか誇らしげにも聞こえるその言葉に、今度こそ胸の奥が焼ける。


じくじくと膿んで。


いっそう息苦しくなる。






「もし・・・」





ぽつりと。



無意識に、聞き取れないほどのささやかさで、嘆息とともに独り言を洩らしていた。




「・・・私がこの地に生を受けていたなら、何かが変わっていたのやもしれぬな」




もしも彼と共に育った相手が自分だったなら、その信頼は自分に向けられていたのだろうか。

言っても無駄なことだと、うらやんでも、どうにもならぬことだと知りながら。
とっくの昔に心の奥に封印したはずの本音が口をついてしまい、雨月はらしくもなく動揺する。



「あ、・・・・・」



その声を拾ったジョットはきょとんとした顔をして。
真面目な顔で顎に手を当て、数秒押し黙った。



「ジョット、その、・・・・・・」


「それは、困るな」


「は?」


返事を返されるとは思っていなかった雨月は、軽く面食らう。



「・・・・・・困る・・・・・・とは?」


「雨月がこの国の人間なら、俺は一生、雨月の吹く笛の音の心地よさを知らなかったはずだからな。そんなの、勿体ないと思わないか?」


「・・・・・・・・・」


多分彼は、なぜ雨月がそんなことを言ったのか、何を思って言ったのか、これっぽっちも理解していなくて。
至極真面目に、本気で、思ったことを言っているだけで。

その殺し文句に、雨月は絶句するほかない。



「それに・・・」



ちら、と目線を上げたかと思うと、ジョットの指が撫でつけられた髪に触れてきた。


「俺は雨月の黒髪と黒い瞳が、すごく好きだ」


とても、美しい。


そう続けて微笑んだジョットこそ、あまりに綺麗で。


「・・・・・っ、」


頬の表面に血が上るのを感じる。



(まったく、かなわない)



無意識のたった一言で、こんなにも自分の心を掻き乱し、高揚させるのだから。



他でもない彼がそう言ってくれるのなら。
遠い地に生を受けた者同士、めぐり合えた奇跡に、自分は感謝せねばなるまい。
共に過ごした時間は浅くとも、心が深くつながってさえいれば、きっとそれは、さほど重要な問題ではないはずだから。




「ならば、ジョットが私の国に生まれたなら良かったのやもしれぬな」


くすくすと笑いながら提案すれば、ジョットは嬉しそうに目を細めた。


「それはいいな。俺も一度、雨月の国を見てみたい」







いつか、行こう――――












笑顔で交わした、他愛ない約束がその後果たされ、


彼らの意志を受け継ぐ末裔達が、その地で再び巡り合うこととなるのは、誰も与り知らぬ遠い未来の話―――――









END.

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