行方知れず
□優しく笑う
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それは、真選組にお勤めする事が決まってから一週間程過ぎた、蕾だった桜が1つずつ花開き始めたある日の事だった。
銀時君、新八君、神楽ちゃんの3人は借りてきた漫画を黙々と読んでいて、部屋の中はシンと静まっていた。
私はというと、動いていないと落ち着かないので、本棚の埃を拭いて掃除したり、晩御飯の下準備をしていた。
あまり物音を立てないように、と慎重に野菜を切っていた、その時。
突然、静まり返っていた部屋に黒電話のコール音が響いた。
窓際に置かれた、専用の机の上に足を乗せて本を読んでいた銀時君が、何度かコール音を見送ってからゆっくりと受話器を手に取る。
「はいはいーこちら万事屋銀ちゃんで……オイオイこちとら仕事中ですよー公務執行妨害ですよお巡りさん」
『……! ……!』
「オメーこそやかましいんだよ怒鳴るなら受話器離せ電話はメガホンじゃねーんだぞ!」
銀時君が受話器に向かって大声を上げるものだから、部屋にいた皆が彼の方に顔を向けてしまう。
彼は不快そうに眉間にしわを寄せたまま、一度受話器を放すと、私の方に顔を向けた。
「央。お巡りさんがお前に代われってよ」
「えっ、私? な、何で……」
「知るか。自分で聞け」
そう言って受話器を押し付けてくる銀時君。自分の用ではないと分かると、また漫画を読み始めてしまった。
お巡りさん……確か、真選組の人達の事を皆お巡りさんと呼んでいた気がする。
何かやってしまったのかと心当たりはないのに一抹の不安を覚えてしまい、ごくりと唾を飲み込む。
「……もしもし。お電話代わりました、霜田です」
『央さん、土方だ。突然電話して悪ぃな』
「あ、トシ君!」
受話器に耳を当てて聞こえてきた声は、慣れ親しんだ声。ほっと胸を撫で下ろし、安堵からつい口元が緩む。
「どうしたの? お仕事は確か明後日からだと聞いていたんだけど……」
『あぁ。日程はそれで問題ないんだが……履歴書と保険証のコピーを持って来て欲しい。口座番号が分かるモンもな』
彼の言葉に、体が強張る。
笑っていた顔が引きつっていくのが嫌でも分かった。
履歴書、保険証、口座番号。どれも現代ではよく聞く言葉で、この時代に来てからも何度か耳にしていた。
けれど。私は、本来この時代にはいないし、近代的になったここに来てからまだ2か月程しか経っていない。
その2か月も働かず万事屋にお世話になっていたのだ。保険証や口座など、作る機会が全くなかった。
……一瞬、全ての音が遠のく。
「……保険証……」
繰り返すように小さく呟く。
電話が置いてある机で漫画を読んでいた銀時君が、ちらりとこちらを見るのが視界の端から確認出来た。
冷や汗が背中をつうっと伝っていくのを感じ、はっと我に返った。
『急に言ったもんだからとっつぁんが伝え忘れたらしい。来るのは明後日だが……準備出来そうか?』
「うっうん! た、多分大丈夫だと思う! 忙しいのにわざわざありがとうね」
『これくらいどうって事ねーよ。じゃあ、また明後日にな』
「うん、明後日はよろしくね。……失礼します」
見えていないのに勝手に首を縦に振ってしまう。少し俯きながら軽い挨拶を交わし、受話器を戻す。
「央ー! どうしたアルか? 冤罪容疑で捕まったアルか?」
神楽ちゃんのからかうような声が、近いはずなのに掠れて小さく聞こえていた。
32:笑顔を見せる
「ここが町役所ですよ」
新八君に連れられ案内された町役所は、平日の昼間なのにも関わらず沢山の人で混雑していた。
ここ――かぶき町という聞き慣れた名前ではあるが全く別の町――に現在住んでいる訳だが、実は全く何があるか知らない。
町役所はおろか有名な場所や銀行なども、案内された日には特に気にもしていなかった為に覚えていなかった。
保険証の手続きをしようにも町役所の場所が分からないのなら本末転倒である。
そこで、銀時君よりも詳しくかぶき町を案内してくれていた新八君について来てもらったのだ。
「ごめんね新八君、無理言っちゃって……」
「良いんですよ、どうせあの仕事先にいたって漫画読む位しかやる事ないですし」
「……銀時君にはきつく言っておくからね……」
はははと空笑いをしながら後頭部を掻く新八君に、少し罪悪感を覚えてしまう。
万事屋……つまり何でも屋という事は、依頼がないと仕事にはならない訳で。不安定な仕事である事は確かだ。
収入もままならないのに毎日足を運んでくれる新八君と、今も尚住んでくれている神楽ちゃんには感謝しなければならない。
……かくいう私は、出て行った所で行く先などありはしないから、万事屋にいる。
本当は銀時君を叱れるような立場ではないのだけれど……。
頭の中でぐるぐると考えていると、新八君が町役所に向かって歩き始めるのが目に入った。
「央さん? どうかしたんですか?」
「あ、ううん! ちょっと考え事を……新八君もここに用事があるの?」
案内してくれるだけかと思い首を傾げると、新八君はきょとんとした表情でこちらを見る。
「へ? あ、いえ僕はないですよ。央さんの手続きの手伝いをしようと思って。住所とか、分かります?」
「……分からないです。凄いね新八君。私、案内してもらう事しか考えてなかった」
「良いんですよ。まあ僕地味ですし、よく皆に忘れられるし、眼鏡しか取り柄ないしそう思っても仕方がないというか」
「えっえ!? 違うのそんな事思ってないよ何かごめんね!?」
新八君の隣に並び歩みを進めていると、顔を伏せながら早口でそう言われ、手を横に振って慌ててしまった。
眼鏡しか取り柄なかったらもう眼鏡になってしまう……!
ずーんと暗い雰囲気を醸し出して目を虚ろにする彼の姿に、何か地雷を踏んでしまったのかと不安になる。
「新八君は地味じゃな……地味って言うと聞こえが悪いよね。新八君は、縁の下の力持ちなんだよ」
「縁の下の力持ち……?」
「そう。銀時君と神楽ちゃんだけだと、万事屋はやっていけないと思うの。新八君がいると、丁度良いバランスになるんだよ」
虚ろな目でこちらを見つめられ一瞬冷や汗をかくが、平常心を保って彼の背中を優しく叩く。
「私も沢山新八君にお世話になってるもの。気付かれず周りを配慮するって、実は凄く大変な事なんだよ?」
本来なら同い年位の年齢の男の子に、大人のような慰めをするのは気が引けた。
偉そうな事を言うなとか、そんな大層な事言える立場か、とか。
言われてしまえば、それまでだ。そんなの、自分が一番……よく、分かっている。
それなのに言ってしまうのは、私が我儘だからだ。
そう、大口を叩いた自分に言い訳をしていると、新八君の身体が震えている事に気付いた。