くるりんぱ

□機
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 人生何が起きるか分からない、そんな言葉がある。まさしくその通りであると私は思う。

 これから先起こる事など、予想したって当たる事などほとんどないからだ。

 が、時折予想以上の出来事がその身に降りかかる事がある。そう、思いがけない事件が。

 それは、他人事ではなかった。


 何故なら――今まさに、その現象が、起きてしまっているからだ。






   01:機





 夏の暑さというものは時に残酷というもので、熱中症により倒れる人が多数いる。

 おかげで家にいるというのに救急車のサイレンが絶えず聞こえ、更に夏の風物詩とも言える蝉が鳴き声をあげとても五月蝿い。

 テレビの音を時々かき消すように通り過ぎるその音に、溜息をつかずには居られなかった。

 胡座を掻きながら机に置いてあった今日のおやつであるポテトチップスを頬張る。


 今現在、家には自分1人しかいない。もちろん家族がいないだとかそういう暗い話は皆無だ。

 両親は現在、海外旅行中である。久しぶりの夏休み、という事もあり私達が提案したのだ。

 私達、というのは。私には10離れた兄がいて、その兄と私の事を指す。

 兄は現在仕事で単身赴任中だ。恐らくしばらくは帰って来れないであろう。

 これが私がこの広い一軒家で1人の理由。もちろん学校は夏休み中なので1日中何もする事がない。


 家族は私が1人でいる事を心底嫌がった。

 が、1人だという事実を知ったのは両親が既に旅行のチケットを買った後、兄が単身赴任先に出かけてすぐの事であった。

 私は元々分かっていたが、どうやら3人は全く気づかなかったらしい。つまり、気づかなかった本人達が悪い。

 高校生だったらどうなってた事か。これでも一応20歳のため、3人は仕方ないと了承してくれたのだ。大人万歳。



 誰もいないというのに騒がしい我が家でのんびりと過ごすというのは何て心地が良いのだろう。

 ポテトチップスを一撮みし、口に放り込もうとテレビを見ながらそれから手を放した時であった。

 ――事件は、本当に突然に起きたのである。

 

 背後から聞こえてきた、サイレンとは別の物音。何かが落ちてしまったような音が、家の中に響いた。

 突然の事で飛び上がるように驚いた私は、何だ何だと辺りを見渡す。

 何事もなかったかのように再び静寂が訪れ、蝉の鳴き声とサイレンが遠のく音が耳に入る。

 音は恐らくここ、リビングの上にある物置からしたのであろう。

 親がいないから窓などは鍵をかけてある。泥棒などが入ってくる隙などないはずだ。

 しかも上は2階。隣の家とも少し離れているため、普通の人間では到底2階から入ってくる事は不可能だ。



 気づかない程の地震が起きて物でも落下したのであろう。

 特に気にする様子もなくそのままテレビをぼうっと見つめながら、再びポテトチップスをぱくぱくと食べていった。

 危機感などありはしなかった。親もいないし兄もいないというのに、本当に油断していた。

 だから、この先後悔してしまう事になるのだ。




「動くな」

「大人しくしろ」




 首元……ちょうど頚動脈辺りに、突如金属独特の冷たさが襲ってきた。

 あまりにも突然の事に驚愕し、声も上げぬままびくりと全身を震わせる。

 2人の、低い男の声が頭上から降りかかり、恐怖に慄き体が化石化したかのように固まった。

 一体何が起きたのか、さっぱり分からない。

 首元に走るチリリとした痛みは、私の恐怖を更に煽り、背中に冷や汗が伝う。

 背後から刺さる鋭い視線は、俗に言う殺気というものだろうか。

 男のドスの聞いた声を聞いて、抵抗など出来るはずもなかった。ただただ、怖かった。



「殺されたくねぇならここがどこだか答えろ」

「余計な事話すと首が飛ぶよ。アンタ、何者?」

「ぁ……わ、たしの家……で、す。私、は……風舞、紅……です」



 死に直面しているせいか、上手く話をする事が出来なくなっていた。

 今では蝉の声もサイレンの音も、テレビから聞こえる話し声さえも耳に入ってこない。

 誰もいないこの家で、助けを呼ぶ事など出来るはずもなく、涙も出ないままこの状況に流されるしかなかった。

 どうしたら良いのだろう。この家に誰か……郵便屋が来てくれる事を祈るか? いや、きっと来ないだろう。

 私宛の郵便物など稀にしか届かないのだ。ほとんど両親や兄宛。

 そんな3人はこの家におらず、郵便物も彼らがいる場所に届く。つまり、このタイミングで届くはずなどない。


 かすかな希望さえも打ち砕かれ、もはやこの胸には絶望しか残っていなかった。




「てめぇの家だぁ? どこの国の奴だか知らねぇが、俺達を攫うとは命知らずな女だな」

「紅、って名前は聞いた事ないけどねぇ。所詮箱入り娘ってやつ? けど、聞きたい事はそんな事じゃないんだよ」



 相変わらず低い声の男達。首元の金属が更に近づく。ぷつり、と皮膚が切れる音がした。

 血が少し流れるのが分かる。この男達は本当に、私を殺す気でいる。

 そう思った瞬間、もう何も考えられなくなり、気がついたら私は悲鳴をあげていた。




「い、わあああああいやあああアアアアっ!!」




 今まで上げた事がない程の高い悲鳴が家中に響き渡り、外に漏れたであろう声は枯れる事を知らず叫び続けた。

 嫌だ、死にたくない。ただその一心で声を上げていると、男の1人が私の口を力強く手で塞いだ。

 鼻も覆われているせいで、必要な分の酸素が吸えず苦しくなる。

 男は少し焦った様子で、助けを呼ばれたかもしれねぇな……と呟いた。




「余計な事してくれるねぇこの女。どう始末してくれようかな……とりあえず服脱がして貞操奪う位はしとかないと」




 ようやく私の前に現れた男……いや、男ではなかった。声こそ低いけれど、見た目は明らかに少年。

 橙の派手な髪色をしているものの、その服装は不思議なもので、迷彩柄のポンチョをしているように見える。

 だが、そんな事よりも。幼い顔に似合わず、今この少年は何と言った?

 ていそうをうばう?

 一度も男性と事に至った事のない私が、このような状況で貞操の危機に瀕している。それは紛れもない事実であった。


 抵抗しようとすれば、後ろにいる男に力強く両手首を押さえられ、動けなくなる。

 座っている私を見下すようにして立っている少年の目は、声が出なくなってしまうほど、冷たいものであった。


 あぁ、駄目だ。これで私はもう、死んでしまうのであろう。

 やっと、今まで出てこなかった涙が、溜まっていたかのように大粒となって流れ出した。



 途端。




「さすけえええええええええいっ!!」




 ドガン、とらしくない音を立てた扉が、勢いよく開かれた。
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