はなし

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馬鹿みたいだ、と口を動かした。しかしそれは、口の動きだけで、更には1人で部屋にいるものだから、誰にも気付かれなかった。
史雄は、胃の辺りがむかむかしつつも、自室のベッドに潜り込んでいた。陸弥は、あの長いキスをも、甘えの行為だと解釈したからだ。それからはすぐに帰り、勉強は勿論漫画にも手をつけられず、あっという間に夜になってしまった。
こちらとしては、甘えなんかとっくに越えていて、その先に行きそうな勢いだと言うのに。自分の感情に、史雄はそこまで疎くない。ただ、自覚が出たのはキスをした時だったが。悪戯心だけでキスまでしない事は、史雄自身が一番よく知っている。
同性に、まだ決定的な確信は持てないが、恋をしたという事に、別段戸惑いもなかった。元々そこまで偏見を持つようなタイプでもないのだ。

それなのに、あいつときたら!

史雄は心の中にいる陸弥に罵声を浴びせながら、寝返りをうった。
あれほど鈍感な人間を、史雄は見た事がなかった。だからこそ、ここまで苛立っているのだろうが。
赤黒い髪の少年の穏やかな笑顔が浮かぶたびに、史雄は無意味と分かりつつも、掛け布団を蹴りたくなった。

『史雄は甘えん坊なんだな』

キスの直後に言った第一声。史雄は深い穴にでも突き落とされた気分になった。
なにが、甘えん坊だ。史雄は寝転がったままベッドのシーツをぼすんと殴った。先日見た白チワワの写真が脳裏に浮かぶ。俺はチワワと同類か?冗談じゃねぇ!俺は人間だ、そんな事も分かってねえのかあいつは!
分からせてやる。絶対に。

史雄は心の中でめらめらと炎を燃やした。

因みに、本来の目的はと言うと、少し前に果たしていた。同時に諦めていた。先日、陸弥そっくりで従兄であるという、更に背の高い黒土弦士という人物と会い、背の高さは遺伝である事を思い知ったからだった。





「史雄、聞いてくれ」

陸弥の部屋の定位置で、いつもは受け身の立場が多い陸弥が、不機嫌そうに話を切り出した。珍しい事だった。史雄の前では穏やかに笑う事が圧倒的に多い陸弥が。だが史雄は驚きを顔に現す事はなく、あくまで無関心を装う。

「何だよ」
「今日……クラスメートに言われたんだ。史雄とあまり関わらない方が良いと……」
「ま、それが普通だよな」

陸弥が目を伏せているにも関わらず、史雄は平然と返した。それこそ、本当に普通で、いつも通りだったからだ。
その反応が予想外だったのか、陸弥はがばっと顔を上げた。切れ長な目が丸く見開かれている。

「な、……何故だ」
「何が」
「普通ではないだろう。悪口だ」
「だから、普通なんだよ。んな悪口は。承知でこんな格好してんだし」
「……辛くないのか?」
「過度なプレッシャーかけられるより100倍マシ」

言った瞬間母親の顔がよぎって、史雄は苦々しく舌打ちをした。いつもならそこでご機嫌取りでもする陸弥だが、今回ばかりは、腰を下ろしてあるベッドのシーツをぎゅっと握った。

「辛い事に、万が一慣れたとしても……絶対、それで良い気分になる事はない……」
「……ま、そうだな」
「だから、俺は嫌だ。正直……そのクラスメートを殴ってやりたかった。史雄に謝れと、言いたかった」
「……そいつはお前を心配して言ってんだから、それは畑違いじゃねえの?」
「だが!史雄は……俺の、大切な友達だ!友達の悪口を言われて、穏やかでいられる訳がない……!」

そう言って、陸弥は何かを堪えるように歯を食い縛った。嘘、には見えない。史雄は、何故か心の奥が暖かくなった。同時に、霧がかかったようにもやもやした。
つくづく当たり前を覆してくれる奴だと、史雄は僅かに笑みを浮かべた。

「そこまで気にする事ねえよ。言わせたい奴には言わせとけば良いだろ」
「だが、」
「良いんだよ。俺はこうしてるだけで。……お前みたいな馬鹿を見つけられただけでな」

そこで、初めて、史雄は目を細めた。馬鹿にしたような笑いではなく、心から嬉しそうで、偽りのない笑みだった。
初めて見た史雄の笑みに、陸弥の顔が淡い赤を帯びた。史雄、と弱々しく名前を呼べば、史雄は椅子から立ち上がって、陸弥の左隣に座って、擦り寄るように近付いた。

「こうしてここで下らねぇ事喋って、馬鹿みてーに過ごして、それで良いだろ。他人なんか気にすんな。俺は気にしてねぇし。気にしたら髪にメッシュ入れねぇよ。地毛にして欲しいのかよ?」

見上げながら尋ねれば、陸弥はゆっくりかぶりを横に振った。ただでさえ希少価値のある赤い髪だ。陸弥からしてみれば、赤髪仲間を失いたくなかったのだろうか。

「し、史雄。……俺はどうすれば良い?」
「だから、他人の言う事なんて――」
「違う。そうじゃない。」

陸弥は珍しく史雄から目を背けて、おもむろに口を開いた。

「おかしく、なった」
「……は?」
「さっきから、史雄の顔をまともに見れない。見たら、何故か苦しくなる。何故か暑い。……新手の病気かもしれない。史雄、お前は大丈夫か?」

聞きながら、史雄は呆れた。そこは口に出すような表現ではないだろうと。独白で語るような言葉だろうと。更に、こんな時でさえ、他人の心配をして。全くもって、呆れた。そして、期待に胸が高鳴り、口角を上げた。

「……かかってるかもな」
「な、」

驚いてこちらを見るタイミングを見計らい、史雄は立ち上がり陸弥に顔を寄せた。前とは違い、今度はそれっぽい雰囲気だ。

「ひとつだけ訊かせろ」
「なん、だ?」
「俺とチワワ、どっちが良い」
「……分からない。…………好きの種類が、違う」

それを聞いた史雄は、更に笑みを深めて、

「合格」

口が重なるまで、顔を寄せた。



「史雄。結局俺は……どうすれば良いんだ?」

開口一番はそれだった。もやもやの霧が晴れた史雄は、気分良く喉を鳴らして笑った。

「待ってれば良いんだよ。俺がでかくなるまで。それまでは背伸びしてでも捕まえててやるから。……ま、とりあえず……」

今度、どっか行こうぜ。
嬉しそうに、はっきりと言った。





―――――――
続くかは分からない。
陸弥がピュア……というか乙女?







 

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