ウルトラマン闘牙

□第2話「夜は再び」
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第2話「夜は再び」

鼻孔をくすぐる潮の香りが波間から漂ってくる。
陽はまだ高くて、海の淡い青を吸い上げたような空に薄雲がひとすじ、水平線に寄り添うようにして浮かんでいる。凪の海に陽が反射して初夏を知らせる。
さっきから舟虫が一匹、黒光りする陰気な体をせかせかと動かして、海水に浸かったテトラポッドの隙間を出たり入ったりしている。
あの悪夢のような一夜から一年が過ぎた。
俺はつまり高三になり、高校生活も残すところ半年になった。陸上部の部長の座が思いもよらず回ってきて、自分の記録を伸ばすのはもちろん、部の運営にも忙しい毎日だ。
「大輔、あれから随分町は変わったよ。古い町並みはほとんど消えて、みんな新しく建て替えられたし、学校の体育館なんてテニスコート二面敷けるくらいでかくなったんだぜ」
海は答えてくれない。
返ってくるのは穏やかなさざ波の音だけだ。
でも、凪の海に向かって手を合わして目を閉じていると、なんだか隣に大輔が立っているような気がするから不思議だ。
「これさ、駅前の花屋で買ったんだけどな」
白百合の花を海に見せる。
「ほら、お前昔から白百合の花が好きだったろ?買うのめっちゃ恥ずかしかったんだぞ。レジの人に誰にあげるのかって…聞かれてさ」
あいつの前では泣かないと決めたのに熱い涙が止まらない。鳴咽をこらえようと奥歯を噛んでも、歯の根が合わずに顎がガクガク震えてきてしまう。腕で涙を拭っても、また次の涙が頬を濡らしていく。
「っつくしょ」
どうしようもなく首を後ろに反らせて、きつく空を睨む。雫が首筋を伝って夏服の白いカッターシャツに浸みていく。霞んだ視界には何も映らないが、今はそれでいい。
「だから言ったんだ"友達の見舞いなんです"って。…ばかやろう、勝手に死ぬんじゃねえ!」
頭の酸素が欠乏するくらいわめき立てる。
鼻をすすって涙を拭って時間が経てば、少しは心が落ち着く。
そういうものだ。時が経てば、いかなる思い出にも霞がかかっていく。
嬉しいこと、苦しいこと、悲しいこともたくさんあってそれでもいつかは忘れてしまう。大輔の記憶もやがては薄れていくのだろうか?
誰の記憶からもその人が消えるとき、それが本当に人が死ぬときだと思う。なら、世界中の記憶から大輔が消えてしまっても俺だけは覚えていたい、忘れはしない。
俺は大輔の分まで生きていく。受け継いだ"絆"と共に。
な〜んて、未来がどうなるかなんてことは分かんないんだけど、それでも信じずにはいられないじゃないか。少なくとも自分を信じないことには始まらないんだから。
セロファンで包装された白百合からは、ずっと握っていたせいか哀愁の匂いが強くなった気がする。
足場に気をつけながらブロック壁下のテトラポッドに降りる。
とうとう白百合の出番だ。
テトラポッドの上から、肩膝を屈めてそっと水に浮かべる。
透明度の高い水面に白百合が一輪、波に誘われて遠退いていく。
「あ〜あ、言いたいこと言ったらせいせいしたな。じゃあ俺帰るわ」
最後にもう一度、海に向かって手を合わす。
「じゃあ…な」
ざらざらしたコンクリートのブロック壁を登り返す。ブロック壁の上に上がったら、青い海原が眼下に広がる。
浜辺に繋がれている朽ちた漁船は、錆びた体を波にゆだねて気持ち良さげに揺れている。灯台に続く砂にまみれた急勾配の階段からは、今にも一年前の俺が駆け上がってきそうだ。
唐突に、ぐらりと視界が揺らいで、一年前の情景が脳裏に甦った。
「くそっ」
頭を振って幻想を追い出す。
あれは夢じゃなかったのか、たまにそう思う。
大輔は依然行方不明のままで、町は某国のテロリストの手によって焼かれて、美雪の両親はその巻き添えを喰って亡くなって…
でも、そう思うたびに腕の時計が熱を帯びたように熱くなって、焦点のズレた思想を校正してくれる。まるで意識をもっているみたいに。
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