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静かになった部屋で、ふう、と1人息を吐く。
先ほどまで2人で練習をしていた広い一室には、友人の姿は消え、俺1人が部屋に残りただ呆然と、ピアノの前で立ち尽くしていた。


しかし、シズちゃんがあの曲を練習していたとは驚きだった。
俺はピアノの上に置かれた、長い間使われていなかった自分の楽譜を手に取る。


この曲は、俺が最後にステージで歌った曲だ。まだ声が出ていた頃、最後に舞台の上で歌った曲。
本当は、二番目なんかじゃない。この曲が一番好きだ。
それでも、一番というのに躊躇いがあるのは、この曲を歌った直後、声を失ったという負い目があるからだろう。

長く封印し続けたこの曲を、まさかこんな形でもう一度聞くことになるとは、まったく俺も予想できなかった。




シズちゃんは、何も知らない。
俺がかつて舞台に立ち、ピアノではなく自分自身の声でこの曲を歌っていたことなど。
だからこそ、この曲を持ち込めたのだ。当たり前のことだ。


俺は一度閉じたピアノを開き、楽譜を開く。
そしてそっと鍵盤に指を置き、一度息を吐くと静かに演奏を始めた。

でも違う。
頭の中で流れるのは、ピアノの伴奏ではない。




頭の中では、かつて自分の声で歌っていた自分が――






そこまで考えて、俺は演奏を中断し、目一杯の力を込めて鍵盤を両手で叩きつけた。
周りに、耳を塞ぎたくなるほどの音量で不協和音が流れる。構わず俺は鍵盤を叩きつける。ピアノをこんなにも乱雑に扱ったのは、これが初めてだった。



この曲は、もちろん好きだ。
でも、それと同時に俺の大きなトラウマでもある。

声を失った直後、何度も何度も俺はこの曲を歌おうとした。これを続けているうちに、またあの声が戻ってくるかもしれないと思ったから。

それを見た周りの同情の目。両親の哀れむような顔。必死にフォローしようとする、妹たちの顔。
何もかもが不快で、汚らわしくて、まとわりつくそれを拭おうと、何度も何度も何度でも歌おうとした。



それでも、

どんなに声を出そうとしても、口から漏れるのは空しく吐き出される自分の息だけで。
辛くて虚しくて、かつて出来ていた簡単なことが出来なくなってしまった自分が嫌で、哀れで、情けなかった。



そんな自分を忘れてたくて、一度音楽から離れようとした。そうすれば、トラウマからも逃げられる。知られなければ、情けない自分のことを晒すこともないと思ったから。

でも、駄目だった。
音楽から離れることは、不可能だった。
音楽がなければ、俺の価値はなにもない。俺の体の一部がなくなることと同じ。




俺には、音楽しか残っていない。



そんな依存にも近い執着から、俺はピアノを始めた。
かつて歌を歌っていた経験から、ピアノの実力がついていくのに、そう長い時間はかからなかった。

「天才だ」「素晴らしい」
そう褒められ、讃えられて、あの頃に戻れたと思った。

でも、足りなかった。
あの頃にあった、けれど今は確かに欠けている、大切な何か。
俺にはわからなかった。わからないから、その穴を埋めたいがために必死にピアノを弾いた。

我を忘れて、ただピアノを弾き続ける日々が続いて苛立ちが爆発しそうになった頃。


シズちゃんが、俺の近くにやってきた。

シズちゃんはそれこそピアノはまだまだの実力。俺と比べれば、尚更の話だ。
しかし、なにかが違う。
シズちゃんと俺。決定的に違う何か。ずっと考え続けた、あの頃の自分と今の自分の違い。その問いとまるで同じ問題。


それでも、わからない。
今の俺にはまだ、自分に欠けたものがわからない。


俺に欠けたものを持っているシズちゃんが、羨ましい。正直、少し嫉妬しているかもしれない。
シズちゃんのことは嫌いじゃない、むしろ好きだと思う。
けど、心のどこかで妬ましく思っている自分がいる。





バァンッ


また鍵盤を強く叩く。
さっきとはまた違う、気持ちの悪い不協和音が部屋に響く。



あぁ、もうやめよう、


そう口だけでいうと、いつも必ずやるピアノの手入れもせず、俺はベッドに倒れこんだ。








*
久しぶりに更新。
結構途中途中で間が空いてしまったので文の書き方、つじつまがあってないかもしれません。お気づきの点がありましたら気軽に言ってくださいね!
臨也さんの「好き」は果たして今はどちらの好きでしょうかね。

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