short story

□待ち惚け
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もうどのくらいここで待っているんだろう。ユイは時計台を見上げて時間を確認した。
4時3分。ユイがこの広場に到着したのは3時過ぎだったから、丁度一時間くらい、ここで待ち惚けていることになる。
道路をはさんで駅の向かいにあるこの広場には、休日だからか多くの人がいた。散歩中の老夫婦。本を読みふける青年。ランニングする人たち、ボール遊びに興じる子どもたち。
天気も良く、暖かくなってきた春の1日。ユイが一時間以上も太陽の下にいるのには、もちろん理由がある。きっかけは数週間前に届いた一枚の手紙。我ながら馬鹿なことをしているなと思いながらも、ユイはこの場所から立ち去れずにいた。
もう何度目かになる、時計台を振り返った時、ベンチに座るユイの足にコツンと何かが当たった。
ペットボトルに入った黒い液体がシュワシュワと泡立ち、赤いラベルがよく目立つ。
拾い上げると「あーそれ!!」と高い声があがる。
「おねーさん、それあたしの!」そう叫んで駆け寄ってくるのは、赤い風船を持った女の子だった。走る度、ポニーテールがよく揺れる。
「はい、どうぞ」ユイはペットボトルを差し出しながら、落とさないように気をつけてね、と笑った。
女の子はありがとう!と元気良く答えてから、ペットボトルを受け取り大事そうに抱える。
「おねーさん、さっきからずーっとここにいるね。だれか待ってるの?」
「ん?そうだよ、お姉さん人を待ってるの。でも、なかなか来てくれなくて」
ユイは苦笑して答えた。
「ふーん。コイビト?」
興味しんしんといった様子の女の子は、ユイの隣にひょいと腰かけた。
「あはは。コイビト…ではないかな、ともだち」
ユイは周囲を見渡して、女の子に尋ねる。
「あなた一人?お父さんかお母さんは?」
すると女の子は、にんまり笑っていたずらっこの顔をする。
「お母さんにはナイショなの。きょうはお父さんが外国からかえってくるから、あたし、一人でおむかえに来たんだ!」
そういって胸を張る女の子。見た所小学一年生くらいだが、なかなかしっかりした子だ。
「一人で?偉いね。もしかしてそれ、お父さんにあげるの?」
ユイは女の子が大事に抱えるペットボトルを指差した。
「そうだよ。さっきそこで会ったうさぎさんがフーセンといっしょにくれたの!」
そういえばと周りを見れば、黄色や青など、風船を持った子ども達がちらほら見える。近くで配っているのだろう。
女の子の嬉しそうな顔を見ていてふと、ユイは女の子に問掛けた。
「お父さん、外国に行ってたなら会えなくて寂しかったでしょ」
「うん。すっごくさびしかった!でもね、お母さんが言ってたの。《大好きな人が遠くにいるときは、たくさん寂しいって思っていいんだ》って。《 寂しいって思ったぶん、会えたとき自分が幸せだって思えるから》。大好きな人がいるってことは、しあわせでしょ」
女の子が笑うから、ユイもつられて笑い返す。
だけど少女の言葉は、ユイの心をぐらぐらと揺らした。
「大好きな人かどうかわからないからなぁ。私の場合…」
「おねーさん、ぎゃくなんじゃない?」
独り言のように呟いたユイに、女の子は至極真面目な顔を向けた。
「大好きな人に会えなくてさびしい、じゃなくて、あえなくてさびしい、ないちゃうくらいにさびしいって思ったら、その人のこと、大好きなんだよ」
女の子はそう言うと、先ほどと同様にいたずらな笑みを浮かべた。
「やっぱり、おねーさんが待ってるのはコイビト、でしょ?」
得意気に足をぱたぱたさせて、少女はユイの言葉を待っていた。
「私は…」
ユイが口を開いた時、ふっとベンチが巨大な影で覆われた。驚いて見上げるとベンチの正面に、大きな赤い目と耳、そして数十の風船を束ねる糸と、何故か背中に巨大なリュックを持ったうさぎが――うさぎの着ぐるみが、立っていた。
「あ、さっきのうさぎさん」
女の子の声が遠く聞こえる。その無機質な視線は、どこを見ているかなんてわからないのに。
でもユイは、そのファンシー顔の中の瞳が、自分を見ているのだと確信した。そしてその作り物の瞳から、目を反らすことが出来なかった。
「うさぎさーん、フーセンとコーラ、ありがとう!」
嬉しそうな少女の声に、ようやく弾かれたように現実を取り戻す。うさぎの着ぐるみは、ユイから顔を背け女の子の方を向くと、糸を持っていないほうの手で、ゆっくりと自分の背後を指差す。
向こうから、大小2つの影が見えた。
「優依っ!!!」
唐突に名前を呼ばれて一瞬、体がビクリとした。
その声の主はうさぎの指差した方にいて、ユイが確認する前に隣で風が起こる。
「お母さんっ!?なんでいるの!?」
赤い風船とポニーテールを揺らしながら、少女が走っていくのが見えた。
「優依がいなくなったから探してたんじゃない!」
そっか。あの女の子、私と同じ《ユイ》だったんだ。ユイはなんだかおかしくてクスリと笑ってしまった。
駆け寄った《ユイ》ちゃんをだきとめ、女性はほっとしたように息をついた。そして、後ろからついてきた男性を振り返る。ユイちゃんが声をあげた。
「あー!!お父さんっ!お帰りなさいっ!あたしお父さんを迎えに来たんだよ!一人で!」
今度は男性にとびかかり、嬉しそうにするユイちゃん。
「ただいま、優依!ありがとなー迎えに来てくれて」
男性も顔を綻ばせてしっかり少女を抱き締めた。
あ、《幸せ》だ。ユイは思った。
ユイちゃんは間違いなく、今幸せなんだろうな。
大好きな人に会えたのだから。
それにしても、問題はこっちである。
ユイは立ち上がって、それでもまだ高いうさぎの着ぐるみを見上げる。
中の人物が誰か、確信に近いものがあった。
「あんた…」
ユイが全て言い終わる前に、
「真悟!」
大きな声が上がる。
見れば、ユイちゃんのお父さんが大きな体を揺らして手を降っていた。
「優依を見つけてくれてありがとな!また、週末にでも会おう!」
まさか《ユイ》ちゃんのお父さんの口からその名がでるとは思わなくて、ユイはしげしげとうさぎを見つめた。
続いてユイちゃんも、大きく手を振る。
「うさぎさん、おねーさん!バイバーイ!」
最後にユイちゃんのお母さんがゆっくり頭を下げて、そうして三人は夕方の広場に溶け込んで、見えなくなった。
「…あの人、知り合いなの?真悟」
ユイは無機質な瞳を見ながら尋ねる。
「……俺の、師匠。あの人と一緒にあっちこっちまわってたんだ」
着ぐるみの中からも、はっきり聞こえる懐かしい声。何ヶ月ぶりだろう。ユイはまだ夢を見てるみたいだった。
彼がそこにいるという実感がわかない。
…そりゃ、着ぐるみなんてふざけたもん着てりゃ、実感なんてわかないか。
「私、寂しかったんだからね」
ユイはここに来るまで、言わないようにと決めていたことをスルリとくちばしった。口にして初めて、ああ、私は彼がいなくて寂しかったんだと思った。
「寂しかったし、たくさん泣いたし、真悟なんかどっかの国で不法入国で逮捕されればいいんだって何回も思った」
「そりゃ、ヒデーや。強制送還じゃねぇか」
俺はそんなヘマしねぇよって、うさぎの中の真悟はおかしそうに笑い声をあげた。
「連絡なんか全然しないくせに、急に《4月2日夕方 駅前広場》なんてわけわかんない手紙寄越すし」
「暗号みたいでかっこよかっただろ?」
「手紙にかっこいい悪いなんてあるか!私が来なかったらどうするつもりだったの!?」
ユイはいまだ笑い続けるうさぎの素顔を拝むべく、その巨大な頭をむんずと掴み、おりゃっと引っこ抜いた。
「うわっ!びっくりした!」
そこには久しぶりに見る彼の姿があった。頭に巻いた白いタオルの下は、ツンツンと固そうな黒髪が、日に焼けて黒い肌が、そしてよく知る大きな瞳が、そこにあった。
ああ、本当に会えた。夢じゃないや。
ユイは何故かボヤける視界を必死で瞬きでこらえる。
「こんな所で二時間も待たせたのに、何か言うことないわけ!?」
「あ―!」
真悟が声をあげる。相変わらずバカでかい。
「ただいま、優依!」
「お帰り、真悟…って違うわ!」
「ああ、じゃあ…」
真悟はプカプカ浮かぶ風船から赤い風船をユイにずいっと握らせる。
「優依。俺優依が好きだ」
「は…」
突然の言葉。差し出された風船。一瞬思考が停止する。
「俺も向こう行ってる間、何回も優依のこと思い出した。会いたいって思った。寂しいって思った」
真悟は笑っていた。でもいつも以上にゆっくり言葉をつなぐ。
「一年近くほったらかしといて何言ってんだって思うかもしれねぇけど、でも俺、わかってたんだ。お前が俺を待っていてくれるだろうって。手紙書いてる時だって、お前が来ないなんて考えもしなかった。優依は絶対来てくれるって信じてた」
「な、何を根拠に…」
「実際、お前はこの場所にいるだろ」
にやにやと、いたずらっこのように笑う真悟に、さっきのユイちゃんの姿が重なった。
「本当は一時過ぎには着いてたんだぜ?ここに。目の前で着ぐるみ着た男が倒れなきゃ、俺だってこんなオモシロイ恰好してねぇよ。おまけに師匠からは娘を探せとか連絡くるし」
「あんたはつくづく、他人を放っておけないのね…」
呆れた声で答えたユイだが、大変だった筈の彼が笑っているから、自分を待たせたことはもういいか、と思えてしまうのだ。
「ユイちゃん、いい子だっただろ。お前と違って可愛げがある」
「ユイちゃんはいい子だし可愛かったけど、次の一言が余計だバカ」
「でも俺は、そんな可愛げのねぇ、だけど俺のこと信じて待っててくれる優依が好きなわけ」
本日二度目の言葉。ユイの頬を、つーっと何かが滑り落ちる。あれ、なんで泣いてるんだろと、頭の隅で思ったけどユイはそれを拭わなかった。かわりに、風船の紐をぎゅっときつく握る。
「待たせてごめんな。今日も、今までも」
真悟はちょっとだけ真面目な顔をして謝った。
唐突に、先ほどのユイちゃんとの会話を思い出す。
「…大好きな人が遠くにいるときは、たくさん寂しいって思っていいんだって」
ユイの言葉に、真悟は少し驚いた顔をした。
「会えた時に、自分は幸せだって思えるからって」
真悟はユイの頬に手を伸ばし――実際には着ぐるみの手だが――優しく触れると微笑んだ。
「俺は今最高に幸せだって思ってるけど…優依は?」
今までの自分だったら恥ずかしくて口に出来なかったかもしれない。しかしこの言葉をユイは真っ直ぐ、正直に伝えた。
「私も幸せ。だって大好きな人に会えたからね」
真悟が、右手に持っていた風船の束から手を離した。
かわりに、ユイを抱き締める。
空にあがっていく無数の風船。それを真悟の肩越しに見送るユイは、ポツリと呟く。
「着ぐるみ、重たい」
「ははっ、幸せの重みじゃねぇか?」
「バカ」
でも、確かに幸せだ、とユイは思った。


「あっフーセン!!」
赤い風船を持った少女が、空を指差して笑った。

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