雑多
□堕天使には聞こえない
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「大丈夫。しおならきっと…許してくれるよ」
あさひはそう言って私に微笑んでくれる。
だけど無理に作られた笑顔だ。それこそ、馬鹿な私にもわかってしまうほどに。
私は目の前の建物を見上げるふりをして、薄青空に浮かぶ小さな月を眺めた。
この病院の中に、しおがいる。
胸が締め付けられるようだった。
私の可愛い子。
生きててくれて良かった。
無事で良かった。
私が捨てた子。
駄目な私のせいでたくさん傷つけた。
重荷だと思ったのも本当。
どんな顔をして会えばいいというの?
あの子が見つかったのは名前も知らない大きなマンションだった。
火事で大騒ぎになった夜に、おそらくはマンションの屋上から転落したらしい。
知らない女の子と一緒に。
私があの子を置いて行ってからの数か月間、あの子はどうやって過ごしていたのだろう。
知らない誰かとずっとあの場所にいたのだろうか。
私が置いて行ったりしなければ、こんなことにはならなかった?
それとも…
「ごめんねしお…ごめんなさい…」
涙が、溢れた。
もうずっと、流さない日はない涙が、今日も。
しお。あなたと別れた直後、私が何もしなかった果てに、ようやくたった一つだけ行動した「何か」が、人殺しでした。
最初からこうすればよかった。それとも、他の手段があった?
ああ、やっぱりわからない。私、何もわからない。
この汚い手で、あなたの手をもう一度握りたいだなんて。
この期に及んでまだ、しおに希望を求めるなんて。
あさひは泣きじゃくる私に対して、落ち着いてからでいいと言ってくれた。
涙が渇くまで病院の中を散策してから、しおの病室へ向かった。
相変わらず私はしおに会う決心がつかないままだ。だけど、せっかく連れてきてくれたあさひをこれ以上待たせるわけにはいかない。
病室が近くなる程に重くなっていく足を、なんとか引きずって、あと少しというところまできた。
「――目を覚ませ、しお!」
あと数歩先に佇む扉の向こうから、あさひの声が響き渡る。
「あいつはもういない!忘れるんだ!」
カツン、と何か軽い金属が落とされたような音がした。
私は病室に近づいた。何か異様なことが起こっている気がする。
「あいつは、おまえを巻き込んで殺そうとしたんだぞ?!それなのになんでまだあんな人殺しを庇――」
恐る恐る扉を引いた。
あさひが、点滴の棒で殴られた。
「あさ、ひ…!」
点滴棒に押しつぶされる形であさひが倒れる。
突起部分にぶつかったのか、頭から少し血が滲んでいる。
あさひが持っていた花束は、あさひの体重でぺしゃんこに潰れてしまっていた。
もう二度と見たくなかった暴力的な光景に、私は腰を抜かして座り込む。
あさひが、うめきながら阪神を起こした。
「しお…なんで…?」
あさひの前に、しおが立っていた。
病衣を纏った包帯だらけのしおが、あさひを見下ろしていた。
睨むよりも、ずっと怖い瞳をして。
「許せない。私とさとちゃんの愛のかけらを…私たちの愛を汚そうとするなんて」
「…しおが、やったの…?こんな酷いこと…」
しおは私の問いには答えず、病室の隅に歩いていく。
そこにはブルーの石がついた指輪が転がっていた。
それをしおはとても大事そうに拾い上げ、そっと石にキスをした。
「さとちゃん。私、さとちゃんのためにこんなことまでできたよ。さとちゃんも同じ気持ちだったのかな…」
血を流したままのあさひが、しおを見て震えている。
私も震えが止まらない。
しおは、私たちに見向きもせず、青い指輪を光に透かして見とれている。
しおの指にも、色違いの同じ指輪が、ピンクの光を反射していた。
私には、私たちにはその小さな輝きはやけ眩しすぎて。
それなのにしおは、目が眩む様子もなく、いつまでもその輝きを見続けていた。
砂糖のような、甘さに蕩けた笑みを浮かべて。