雑多

□野路菊
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 花の形のチャームを拾った。
 連休が終わったばかりの今日は、空の青が優しく伸び広がっていて、風の程度も心地いい。だから日当たりのいい場所に出ようと思ったのかもしれない。昼休みは通りの少ない静かな校舎裏に徒矢は何気なく趣き、そこでこのような女々しいものを見つけたのだ。
 この花はノジギクだ。徒矢が花の知識がある上で直感したわけではない。これをそう呼んだのは早緑だった。
 早緑というのは徒矢の恋人である同学年の女子生徒だ。そしてこのチャームは、早緑と交際を始めて間もない頃に、徒矢がプレゼントしたブレスレットの部品だ。この高校の生徒が最寄りに使う駅の通りで買ったもの。早緑がこれを見て最初に「ノジギクに似ている」と言った。
 彼女の母は趣味でフラワーアレンジメントをやっていて、家には花の図鑑や書籍があるのだと話していた。
 花なんてたいして興味のない徒矢からしてみれば、花なんてどれも同じに見えているわけで(特に、このチャームの形をした白い花の区別はさっぱりだ)、どうしてこのアクセサリーのモデルがわかるのか不思議で仕方無かった。早緑が適当に直感しただけかもしれないが。
 なんとなく、徒矢は制服の懐にノジギクのチャームを入れ、持って帰ることにした。


 またノジギクのチャームを拾った。
 前回拾ってから二週間もしていない昼休み、同じ校舎裏で、正確には前回チャームを拾った場所から1mほど先の芝生の中で。今度は曇りの日だ。少々肌寒いが、外の空気が吸いたい気分だった。
 徒矢は指でチャームを弄びながら、ブレスレットの形状を思い返した。ぼんやりとだが、確かブレスレットは、3つのチャームで構成されていた。鎖にビーズを交互に混ぜたビーズチェーンに、一定の間隔でノジギクが3つ吊るされていた。そのうち1つが、他の2つより一回り大きく、ブレスレットの中心部分を飾っていた。
 今日拾ったものは前回と同じ大きさのものだ。つまり3つのうち左右の2つが揃ったことになる。
 なぜこれが2つもここにあるのだろうか? 徒矢は首をひねって考えてみるが、当然わかるはずもなく。早緑が落としたとは考えにくい。彼女がここに来ることなんてありえない。あのブレスレットは駅の通りで買ったものだ。同じものを誰かが持っていても不思議じゃない。
 何にしろ、徒矢は彼女にブレスレットを所持しているかを訊くことはできない。
 早緑はもうしばらく学校には来ていない。連絡もないのだ。
 なぜかはわからないけれど。


 次に拾ったのは、ビーズチェーンだった。
 偶然同じ場所で2つもパーツを見つけたのだから、意外と最後まで集まるのかもしれない。そんな好奇心から、徒矢は次の日も校舎裏へ足を運んだ。
 ビーズチェーンはバラバラに引きちぎられていて、金とピンクが連なった紐状のもの(それも長さが均一ではない)を見つけるのはなかなか至難であった。もちろん、チェーンなんて細かいものが、全部集まるはずがない。校舎裏は手入れが薄く、雑草だらけなのだ。それでも、ある程度ブレスレットが形になるくらいには揃った。
 しかし、これほど細かいチェーンが奇跡的に集まりながら、もっと目立ちそうなものが見つけることができなかった。3つ目のチャームだ。一番大きいはずの最後のチャームだけが、どうしても見つからないのだ。
 昼休みでは飽き足らず、放課後にも捜索したが、1時間掛かって疲れてきた。徒矢は座り込み、大きく息を吐く。
 そういえば、どうしてこんなものを探そうと思ったのだろうか? 好奇心にここまで突き動かされ、夢中でブレスレットの破片を探していた事実が今になって不思議でたまらない。それこそ、バラバラだった部品が元の形に直せそうなくらいに探し回るなんて。
 徒矢は部品を適当に並べたり崩したりを繰り返した。こんな女物を集めて、自分はどうするつもりだったのだろう? 
 早緑と徒矢は別のクラスだった。どこのクラスだったかは、はっきり覚えていない。会う時はいつも廊下だったはずだ。早緑が自分から会いに来てくれた。
 最後に彼女を見たのはいつだったか? ……思い出せない程、前ではないはずだが。
 その時、彼女とはあまり話をしていなかった気がする。していたとしても、他愛無い会話の内容なんていちいち覚えていない。だが会話の直後に、何かの拍子で口論になった。いや違う。口論ではなかった。ではあの時、あの帰り道で、彼女が声を荒らげていたのは何だった? そもそもこの記憶が、彼女との一番新しい記憶ではない気がする。自分の勘違いかもしれない。
 どうにも早緑に関することがあいまいだ。これ以上は頭が痛くなりそうなので、徒矢はブレスレットを懐に放り込んで、足早に校舎裏を離れた。
「あら、お久しぶりね」
 表の道を通り、校庭を横切り、校門へたどり着く途中で、見知った顔が自分に声をかけてきた。
 一度だけ、偶然早緑といた時に出会った、彼女の母親だ。記憶より少しくたびれた顔つきをしている。手には花を抱えていた。フラワーアレンジメントを趣味にしている早緑の母は、二人の高校の卒業生でもあって、時々自分がアレンジした花を持ってくるらしい。客人用の昇降口なんかでは、たまに飾ってあるのを見る。今回もそのための花だろうと、徒矢は眼の端に映る籠に溢れんばかりの花の塊を察した。
「ちょうどいいし、一緒に行きません?」
 何を思ったのか、その人は徒矢に同行するよう誘ってきた。少々気が引けるが、徒矢にそれを断る理由はない。
 徒矢は花を預かり、早緑の母の後ろをついて歩いた。お互い特に話をするわけでもなく、その人は職員室の前で徒矢を待たせ、中で少しの間話をしてから出てきた。
 彼女と共に教員が出てきて、自分から花籠を渡すのだと徒矢は思っていたが、そうではなかった。その人は職員室の向かいの階段に徐に近づき、踏みしめるように階段を上がったのだ。徒矢も、花籠でよく見えない足元に注意しながら登った。
 一階から二階へ、さらに次の階へ。その人は無言というより、無心で階段を上がっているように感じた。自分たちの学年の階は通り過ぎた。一体どこまで登るつもりなのか?
 各階段の踊り場を通り越し、着々と次の階へ。登り続けて、とうとう階段は終わってしまった。
 目指していたのは屋上だった。
 彼女は徒矢を一瞥し、屋上の戸を開いた。徒矢はいよいよ訳が分からなくなった。戸の隙間から風が入り込んで、肌だけでなく胸の奥までざわざわするような冷たさに覆われた。暮れなずむ空を背にした街が影絵のようだ。
 早緑の母が、徒矢に持たせていた花籠を取り、影絵たちに一番近い、手摺の下に置いた。よく見ると、花籠以外にも、別の花束や飲み物などが添えられていた。
「今までで一番長い一か月だったわ」
 そこに置かれたものたちの前にしゃがみ、漸くその人は口を開いた。
「こうして、ここに来てくれる人もいたのね。味方がないわけじゃなかったんだわ」
 良かった、と呟くその人の表情は、背中からでは伺えない。
 徒矢は変に落ち着かない思いだった。いやに落ち着かない。その人が何か言うことも聞く余裕が持てない程だ。高所恐怖症ではないのに。
 目の裏にたった一瞬、別の光景が見えた。早緑だ。あの最後の日に仰いで眺めた、彼女の影。いや、そんなのは見間違いだ。あの時は疲れていたのだ。というよりも今疲れている。早緑との最後の記憶は、やっぱり下校中の口喧嘩。そのはずなのだ。
 不意に、早緑の母が立ち上がる。そして徒矢の目を見て言った。
「あなたは『早緑のこと気づいてあげられなかった』って言ってくれた。でも、気に病まないで。あの子はね、あなたには知られたくなかったんだと思う」
 気づいてやれなかった。以前自分が言った言葉らしい。何の話ですか、そう問おうとする徒矢は、供え物の向こうに小さく見つけてしまった。
 手摺の向こうに落ちている白いもの。最後の、ノジギクのチャームだ。

 黙ったままの徒矢に気を使ってか、早緑の母は一人道を戻って行った。冷え切った風が包むのは、徒矢独りだけになった。暮れ落ちた世界は静かに濃く深く色を混ぜ合わせ、自分の影をも巻き込んで黒になっていく。
 向こう側に早緑がいた。柵の向こうだ。彼女が振り向いて、にこりと徒矢を見た。
 やはり自分は正しかった。早緑はちゃんといる。そこで徒矢ははじめて、自分がひどく彼女に会いたがっていたことを自覚した。

 胸の位置程ある柵を超えるのは安易ではなかったが、そんなことは気にもならなかった。
 早く、早緑と話がしたい。大好きな彼女。もうすぐ辿り着く。もうすぐ会える。

 あと、一歩。
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