Evolvulus
□ちょっと見てないうちにそんなことが
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それが決まったのは一週間前だ。
帰宅してすぐ、陸斗が家政婦の橘さんに自分の予定を伝えに行った。
「橘さん、来週の誕生日の予定なんだけどさ、夕方はラジオの公開放送に行こうと思うんだ」
「あら、良いですね。いってらっしゃいませ」
「うん。それで、夕飯はちょっと遅れると思うから作り置いといてもらおうかと思って」
「かしこまりました」
私は側でそれを聞いていて、ちょうどその日私も出かけようと考えたことを思い出した。
「私も来週出かけます。桜谷のところの『モッコ―』専門ショップに行きたくて」
「まじか、俺が行くのも桜谷なんだけど」
「え?」
なんと、私と陸斗は自分の趣味のために考えていた行き先が一緒だったとは。
「まあ。ではお二人とも途中までご一緒に行かれてはいかがでしょう」
ちょうどいいから陸斗にも買い物に付き合ってもらおうと思っていたら、橘さんが先に良いことを言ってくれた。
どうも、私が目当てのキャラクターショップの先に、陸斗の行きたい放送スタジオがあるらしい。
途中までどころか、ほとんど一緒に行動できちゃうじゃないの。
…まぁそんなわけで、9月17日の誕生日、俺は妹と二人で桜谷までお出かけすることになった。
桜谷駅までは電車一本。急行に乗れば30分もかからないで行ける。
そして先に私の用事、『モッコー』の店に行くことになった。
目の前に広がる、絵本の中のような愛らしい世界。
まず何よりも目立つ、真ん中に佇むオブジェ。
星型の切り株の上で微笑む天使――看板キャラクター・桃うさぎのベリーちゃん。
彼女を囲むのは、虹のふもとにいるようなカラフルな壁と天井。
シャンデリアのような花のガーランド。
床には現実離れした愛らしい花畑と、肉球や小鳥の足型。
棚という棚に飾り積められた、ふわふわの愛らしいキャラクターぬいぐるみたち。
キラキラピカピカするようなノート、シール、便箋といったステーショナリーセット。
他にも食器やアクセサリー、お菓子の箱など、デザインは全て『モッコ―』の素敵なキャラクターでときめき一杯に着飾られている。
もちろんその棚だってただの木材やスチールなんかで終わらず、各キャラのイメージカラーで塗られ、淵には小さくキャラクターが身に着けたアイテム風の装飾ステッカーが飾られている。
「あぁ…かわいいっ。まさにかわいいが詰め込まれた夢の楽園、ワンダーランド!」
「ヨカッタネ…」
興奮する私とは逆に、陸斗は引き気味な様子だ。
『モッコー』に興味がない兄にとって、ファンシーキュートな内装は居心地が悪いはずだ。別についてこなくてもいいのに。
「そこのカフェで時間潰してれば?」
「金ないし。モバイルバッテリー忘れちゃったし」
「あそ」
別行動してもし連絡が取れなくなったら私も困るので、これ以上の気遣いはやめてにした。私は私の買い物を楽しもうではないか。
入り口すぐの新商品棚には、『アクマのおやしき』のコンセプトを基にハロウィン衣装でおめかしをした可愛いマスコットキーホルダーたち。
お嬢様のベリーちゃんに執事のライムくん、メイドのカラー、パンジー、マギー、コックさんのきびっち…等々。
「どの子をお迎えしようかなぁ……王道のベリーちゃんはもちろんだけど、メイドトリオで揃えたい気もするし……ああでも、パセリくんの庭師スタイルもサスペンダーがかわいいっ!」
いっと全部持って帰りたいが、予算の都合上そうもいかない。それに、買うものの大まかな目安は決めている。
マスコットを三個。
パスケースを一つ
そして、だっこサイズのぬいぐるみを一つ。
どのシリーズのどのキャラクターを入手するかまでは決めていない。だが、まだ入り口だというのに、シーズン物だけを選択肢にして決めてしまうだなんて、あまりにも勿体ない。
購入の仮候補として、『アクマのおやしき』ベリーちゃんをかごの中へ。私は幸せの森のさらに奥地へと進んでいった。陸斗はその後ろを黙ってついてくる。
何度か同じ場所を巡りながら、森の中の探索は続いた。
パスケースはグッとくるデザインのものがすぐに見つかった。
マスコットは何回かかごを出し入れした結果、『アクマのおやしき』のベリーちゃんと、タオル地でできたコグマのポピー、妖精コンビ・モモとウメがハグをしているマスコットに決めることにした。
「さて……メインイベントよ」
そして私は、ここまで敢えて避けて歩いていた最奥の棚――レジ脇のぬいぐるみ棚の前に立った。
ここは他のキャラグッズ棚と違って、キャラクター毎に棚を一台ずつ分けているわけではない。
ひとつの大きな棚に、『モッコー』のかわいいキャラクターたちが全員集合し、さながら全校集会のように一列ずつ綺麗に並んでいる。
かわいいが、一斉に私を見つめているような…。
尊さに眩暈がしそうな所を何とか持ちこたえる。さぁ、よく見定めて選ぼう。
「…あ。これかわいい」
ぽつりと、陸斗が一言。
「ん?どの子?」
「これ」
陸斗が指差した棚の隅には、アザラシの子のようなたぷっとした形に、イルカのようなヒレと尻尾が這えたどっちつかずのぬいぐるみだった。
「懐かしい、ビスカくんだ…」
ビスカくんは、数年前に新登場したキャラクターだが、『モッコー』のキャラクターとしてはあまり人気がないのか、最近ではめったに新商品を見かけることはなくなった。この子専用の棚も、少なくともこの店にはない。
見た目は前述した通りで、眠そうに横に伸びた目。もっこり盛り上がった口元の真ん中の大きな鼻。
動物らしい愛嬌とユルさが魅力だ。
が……正直私の好みではない。
「うーん…かわいくはあるけど……」
「かわいいよ。見てて和む。キラキラフワフワの『モッコー』にしては珍しいね」
そう言って、ビスカくんの鼻をさっと撫でた。
――珍しい。『モッコ―』に興味がない陸斗が気に入るなんて。
元々興味がなくて退屈だったからこそ、ふと目についたビスカくんがより魅力的に見えているのかもしれない。
まあそんなことはいいわ。
だって新しいぬいぐるみは、私が一番楽しみにしていた買い物だもの。
とびきりかわいい子を、私のコレクションとしてお迎えしないと。
「結構ベリーちゃんはうちにいるから、あまり持っていない子から選ぶようにするのもいいかしらね?」
同じ形のぬいぐるみでも、細かい刺繍の位置や手足の微妙な面積などで差異があるため、一つとして同じ子はいない。
その中でも表情が愛らしいくて、尚且つ体のバランスがよりイラストデザインに忠実である子を見定めないといけない。
ひねくれ者の子トラ・ライムくんが、通常とは色違いの柄付きスカーフを首に巻いていてお洒落だ。
ペンギンのマギ―が両手をバンザイしているポーズも特徴的なお腹が映えて素敵。
とりあえず目を引く候補はこの二人で、どちらを選ぶかにしよう。
「そういえば陸斗。時間大丈夫なの?」
「…んー。まだもう少し平気」
陸斗はまだビスカくんを見ていた。
見ているどころか、手に取ってヒレや尻尾をあちこち触ってる。
まぬけた兄貴と、少し外した可愛さがあるビスカくん。
まるで見つめ合うようにしている一人と一個の姿が、不思議ととてもよく似合っている気がした。
「……」
私もビスカくんのぬいぐるみを一つ手に取ってみる。
やっぱり、あまり好みではない。それは変わらないが…しかしなぜだろう、さっき見た時よりもずっとずっと魅力的に感じてしまうのは。こんなにもときめいてしまうのは。
「いや…でも。私の欲しいぬいぐるみは…!」
「迷ってるんなら、いっそこれにしたらいいんじゃん?俺この子気に入ったよ」
「あんたの趣味基準に選ぶのは…」
陸斗が抱えたビスカくんが、陸斗の手の中でコテンと傾いた。
お願い、買って?
幻聴が私の脳を貫いた。
某百貨店の側面、大通りから脇道逸れた車通りの少ない道にあるサテライトスタジオ。
陸斗の好きなラジオはここで行われているようだ。
陸斗曰くまだ始まっていないようだが、歩道をふさぎそうな勢いで観客が集まっていた。
スタッフが呼び掛けてなんとか敷地内に収まっているギリギリ状態だ。
「私、向かいの歩道にいるから。たまに飲み物買いに行ったりするかもだけど」
「あ、うん。楓も聴くの?」
「…たまにはいいかもね」
さすがにリスナーでもない私があの輪に入っていく勇気はない。
だけど、陸斗だって私の買い物に付き合ってくれたんだって思うと、遠くから少しだけ聴いてみてもいいかなって思ったのだ。
陸斗はなんとか一人が入れそうな隙間に立って、スマホをいじっている。
あんなに密度が高いところにいると汗かきそう。
間を通行人が通っている以上、ここからではスタジオの中まではよく見えないけれど、観客のどよめきから間もなく始まるんだということはわかった。
やがてピコピコしたポップなテーマソングが流れ、パーソナリティと思われる女性の明るい声がスピーカーから響いた。
『――「FM Cleome」をお聴きの皆さんこんにちは〜!撫子です。リスナーの皆さんと今日一日を明るく楽しく締めくくる「Twilight balloon」本日も浮かび上がっていきましょう!』
挨拶の後の音楽と同時に、観客が拍手をしている。陸斗も拍手に混ざっている。
まだ緊張しているように見えるが、かなり楽しんでいるようだ。
『さて、まずは普通のおたより。ラジオネーム、カミホトケ眼鏡(兄)さんから。「撫子さん、リスナーの皆さん、こんにちは。今日初めて公録観に行きます!いつも楽しませてもらっている撫子さんに会えるのが少し緊張しますが楽しみです」…これ放送の2時間くらい前にいただいた書き込みですね。カミホトさーん!いますかね?あ、いた!カミホトさんいらっしゃーい!』
「ど、どうもっ!」
変なラジオネーム…と思ったら、パーソナリティの呼びかけに手を挙げているのがなんと陸斗だったっていう話だ。
ズレた兄貴だとは百も承知だったが、まさかネーミングセンスまでズレているとは思わなかった。
しかもカミホトさん、カミホトさんと連呼されてるし!…こっそりと声を抑えて笑った。
『カミホトさん、先週のお便り覚えてますよ!好きな子にうちの番組ピンバッジプレゼントしたカミホトさん!あれからどう?進展あります?…ない?まぁまだ一週間とかそこらだものね。頑張ってねカミホトさん!その子との進展報告期待して待ってますからね☆』
目に見えてうろたえている情けない兄を、少し冷めた気持ちで私は見始めていた。
なんだ。こいつ、好きな子とかいるんだ。
へぇ。
ふーん。
あの陸斗がねぇ。
意外。
いつまでも頼りない、腑抜けた兄貴だと思っていたが、いっちょ前に恋をしてるだなんてね。
しかも好きなラジオの景品をプレゼントとかしちゃうんだ。
ちょっと見てないうちにそんなことが。
ふーん。
……足が痛くなったので、どこか近くのカフェで休憩することにした。
カフェは少し混んでいて、並んで時間がかかった割には長居ができなかった。
飲み残しを持ってサテライトスタジオに戻ってくると、さっきまでいなかったゲストのアーティストが生演奏を披露していた。
これには観客ではない一般の通行人も振り返って聴いているようだ。
これは、最近よくドラマのCMで流れているテーマソングの『ねこのしっぽ』だ。特徴的なサビが印象的で、自然と耳で歌詞を覚えている。
陸斗もそうみたいで、小声だが他の観客と一緒にサビを口ずさんでいた。
綺麗な力強いアーティストの声に交じって、ノイズのような低く小さな声で零れ聞こえる合唱。
ちょっと不気味だ。だが嫌ではない。
気まぐれに私もその歌にハモった。
『それではみなさん、明日も楽しいことがありますように。上陸!』
パラパラと拍手が響いて、ラジオが終わった。
だが、陸斗のお楽しみイベントはも少し続くようだ。
『――はい。放送お疲れさまでした!
今からしばらくスタジオの外に出ます。サイン入り名刺が欲しい方、一緒に写真を撮りたい方はお申し付けください』
パーソナリティーのファンサービスが行われるらしい。
とはいえ、アイドルや小説家の握手会イベントみたいなちゃんとしたものではなく、のほほんとした井戸端会議みたいな形で行われるようにも見える。
彼女の周りにはすぐに人が集まるが、客の誰かが騒いだりパーソナリティーに触ろうとしたりだなんて迷惑行為を働く様子はなく、最低限のマナーの元適度な距離感で接し合ってるのだ。
これは結構いい機会のように見えるが、陸斗はそこに近づこうとせず、ただ遠くからパーソナリティーの楽しそうな光景を眺めていた。
「行かないの?」
「うわわっ!?」
私は陸斗に近づいてそう声をかけた。ぼーっとしたこいつが無駄に大袈裟に驚くのはいつものことなのでどうでもいい。
「声かけたいから残ってるんでしょ?行けば?」
「うーん…。…………」
煮え切らない陸斗の反応。…仕方ないわね。
「行ってきなさいって。――ほらっ!」
私は思い切り兄の背中をどんと押した。
「あー、大丈夫ですか?!」
すると、それまでリスナーたちの輪の中にいたパーソナリティが陸斗に気が付く。
突然よろけた陸斗を見て、目をまんまるにして驚いている。
「い、いえ!ちょっとふざけてしまって…すみません。あの、えっと、サイン名刺くださいっ!」
「いいですよー喜んで!」
強引なおせっかいだったかもしれないが、ぬいぐるみの選択に加勢してくれたお礼…てことで。
「ありがとう、楓」
「こっちこそ買い物付き合ってくれてたし」
帰りの電車の中、紙袋の中のビスカくんに目をやる。
私は私が思っている以上に、この子が気に入ってしまっていた。