Evolvulus

□何も変わらないんだな
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それが決まったのは一週間前だ。

帰宅してすぐ、俺は家政婦の橘さんに自分の予定を伝えに行った。

「橘さん、来週の誕生日の予定なんだけどさ、夕方はラジオの公開放送に行こうと思うんだ」
「あら、良いですね。いってらっしゃいませ」
「うん。それで、夕飯はちょっと遅れると思うから作り置いといてもらおうかと思って」
「かしこまりました」

すると、近くでスマホをいじっていた楓も話に混ざった。

「私も来週出かけます。桜谷のところの『モッコ―』専門ショップに行きたくて」

「まじか、俺が行くのも桜谷なんだけど」
「え?」

驚いたことに、俺と楓は自分の趣味のために考えていた行き先が一緒だったのである。
「まあ。ではお二人とも途中までご一緒に行かれてはいかがでしょう」

ちょうど俺も楓を誘ってみようと思っていたところだったが、橘さんに先を越されてしまった。
調べたら、俺の行く放送スタジオに向かう道を少し遠回りすれば、楓の行きたいキャラクターショップがあるらしい。
途中までどころか、ほとんど一緒に行動できちゃうじゃないか。



…まぁそんなわけで、9月17日の誕生日、俺は妹と二人で桜谷までお出かけすることになった。











桜谷駅までは電車一本。急行に乗れば30分もかからないで行ける。

先についた『モッコ―』専門店の目がチカチカするような光景に、楓はすっかりテンアゲ状態だ。
瞳をキラキラさせて、花が咲いたような笑顔を隠し切れず、幸せのあまりついには身体が発光しそうなありさまだ。

「あぁ…かわいいっ。まさにかわいいが詰め込まれた夢の楽園、ワンダーランド!」
「ヨカッタネ…」

金がない俺は、近くの喫茶店で買い物が終わるのを待っていようにもでない。
街の中どっか散歩して時間をつぶそうとも考えたが、残念なことにモバイルバッテリーを家に忘れてきてしまっていた。
既に充電の半分に差し掛かろうとしている今、残りはなるべくラジオ公録でのメッセージのために使いたい。


というわけで、とりあえず妹の挙動の観察をしようと考えたのだった。
……店に入って5分、早くも辟易してきた。





「さて……メインイベントよ」


妹の気が済むまで回りに回ったプリティーでキュートな森の最果て。
そこはぬいぐるみ大好きな楓が、一番見たがっていたレジ脇のぬいぐるみ棚の前に辿り着いた。


ここに至るまで、楓はずっと、俺にはよくわからない、似たようなかわいいマスコットキーホルダーを、何度もかわいいかわいいと繰り返しながら、マスコット人形を手に触れて、ふふと笑ってみせたり。繊維の穴まで見定めるように真剣な顔をしてみたり。感動で胸を抑えたり。

どの挙動も一貫して楽しそうに。嬉しそうに。



(なんていか…今の楓もこんなに無邪気になったりするんだなぁ)


ふと、いつもよりほんのちょっとだけ、楓が可愛い妹に見えてきた。

いつもよりってことは、普段はどうだったっけ?
…いつどこでも一緒が当たり前じゃなくなって、お互いに深く干渉しなくなって、最近じゃ楓の小うるさいしっかり者な所ばかり目についていただけかもしれない。

楓は何も変わらないんだな。変わらず、俺の妹なんだ。



「…あ。これかわいい」

なんとなく目の端に映り込んだソレは、イルカのぬいぐるみみたいだが、アザラシの赤ちゃんみたいなまんまるなぬいぐるみ。
眠そうに横に伸びた目。もっこり盛り上がった口元の真ん中の大きな鼻。今まで見た『モッコ―』のキャラの中では、比較的動物的な姿をしている。

飼育されているおとなしい動物みたいな、平和的な顔が良い。思わず撫でたくなって、ぬいぐるみにほんの少し触れてみた。


ふわっとした優しい布の毛の感覚。そのまま両手に持って、目の高さで全身を見て回す。ヒレも尻尾も触ってみる。

この子、いいな…。

なんとなく気に入ってしまった俺は、早く出たい気持ちも相まって、楓に意見してみることにした。

「迷ってるんなら、いっそこれにしたらいいんじゃん?俺この子気に入ったよ」

こういうこと言ったら、今すぐこの子に決めて買い物を終わらせてくれないかな…なんて。

ちょっと見せつけるようにビスカくんを手に抱えて、楓の前で小首をかしげさせてみた。



……まさかそれだけでチョロっ買ってくるとは、思わなかったけれど。










某百貨店の側面、大通りから脇道逸れた車通りの少ない道に、サテライトスタジオがある。
俺の好きなラジオは、いつもここから公開で生放送されている。来るのは、今回が初めてだけれど。


楓の買い物に付き合っていたとはいえ、余裕で来れると思っていたけれど、まだ放送が始まってもいないのに結構の人数が集結していた。
道に面しているスタジオだから、どうしても見れるガラス窓の範囲が狭い。
敷地内は完全に人が詰まっていて、歩道に漏れている。

「ご通行の方や車の通りもございますので、道路にはみ出さないようお願いします」

ラジオTシャツを着たスタッフが呼び掛けを行っている。観客はこの呼び掛けに従ってはいるが、ちょっと詰めるだけが限界って感じだ。

この人たちが全員同じリスナーなんだ……!


「私、向かいの歩道にいるから。たまに飲み物買いに行ったりするかもだけど」
「あ、うん。楓も聴くの?」
「…たまにはいいかもね」

なんとか一人が入れそうな隙間を見つけることができた。ここからならかろうじて中の人物が見える。



スタジオ内の扉が開く。
パーソナリティーの撫子がスタジオ入りに、観客が控えめの歓声を上げる。
ほんの少しだけど俺にも彼女が手を振る姿が、本物の姿が、そこに。


撫子が座ると、もうここからその姿はほとんど見えない。だけど、この混雑と見づらさがあってこそ、より一層ラジオ公録に訪れた感が強い。


スマホを開く。放送開始数分前だ。
汗がじっとりと滲む。画面にベタつく指紋を描きながら、今の気持ちをそのまま落とし込んだ。



それまでずっと静かだったスピーカーから、突如ピコピコしたポップなテーマソングが流れる。

『――「FM Cleome」をお聴きの皆さんこんにちは〜!撫子です。リスナーの皆さんと今日一日を明るく楽しく締めくくる「Twilight balloon」本日も浮かび上がっていきましょう!』

挨拶の後はいつも流れる『今月のレコメンド曲』に混ざる、いつもと違う拍手の音。それが本能とでも言うように、ごく自然に俺も手を叩いていた。

スタジオの中では、音楽中に水をのんだり、スマホ掲示板を確認している撫子の横顔が辛うじて見えた。



『…お送りした曲は今月の曲「ハッピー」です。シンガーソングライター・染井ヨシノさんは今日の後半ゲストでいらっしゃいますのでお楽しみに!生演奏ありますよ!!染井さんへの応援メッセージや面白い質問も募集しています』

本日のメッセージテーマと曜日限定コーナーの簡単な説明を済ませた後、切り替えのジングルが流れる。


『さて、まずは普通のおたより。ラジオネーム、カミホトケ眼鏡(兄)さんから』
「嘘っ」

つい声が漏れた。
カミホトケ眼鏡(兄)とは俺が使っているラジオネームだ。
いきなり俺のが読まれた!

『「撫子さん、リスナーの皆さん、こんにちは。今日初めて公録観に行きます!いつも楽しませてもらっている撫子さんに会えるのが少し緊張しますが楽しみです」…これ放送の2時間くらい前にいただいた書き込みですね。カミホトさーん!いますかね?』


恐る恐る手を上げる。すると、手前にたくさんいた観客が親切に避けて見やすくしてくれた。目が合うと撫子が嬉しそうに微笑んだ。

『あ、いた!カミホトさんいらっしゃーい!』
「ど、どうもっ!」

スタジオの中に少しでも聞こえるように、できるだけ声を張り上げた。

『カミホトさん、先週のお便り覚えてますよ!好きな子にうちの番組ピンバッジプレゼントしたカミホトさん!』

うわっ覚えられてたっ。そして暴露されたっ。

観客が高い声を上げて面白がるのが余計に恥ずかしい。うわ…今俺どんな顔してんだろう?めちゃくちゃ頬が熱い。

『あれからどう?進展あります?…ない?まぁまだ一週間とかそこらだものね。頑張ってねカミホトさん!その子との進展報告期待して待ってますからね☆』

俺はひたすら、せわしなく首を動かして見せたり、ペコペコお辞儀をするので精いっぱいだった。

『いやぁ、でも嬉しいね。うちのバッジをプレゼントに選んでくれてね。結構かわいいデザインですよね、あれ。うちの番組を知らない人でも気に入ってもらえそう打と思いますけど。カミホトさんの好きなその子もそれがきっかけでリスナーになってくれたりして!てかもう聴いてたりして〜カミホトさんのラブなメッセージ♪』

心臓ごと自分が飛び上がるかと思った。
そうか、そうじゃん。水沢さんにピンバッジ渡して、それで、もしどんなラジオだろうって気になって聴いてたりしたらやばいじゃんよ。
聴いた日によっては相当やばい。主にピンバッジプレゼントしたって書き込み読まれた日とか、今日とか!
だって「好きな子」って書いちゃってるし!

『青少年をいじるのもいい加減にしろって?あははすみません。ちょっとこの話題押しすぎちゃったかな?急いであと二通読んでいきましょう。ではラジオネーム――』


そんな青少年の複雑な恋心を他所に、ラジオは次の話題に切り替わっていこうとするのだった。

ああもう、どうにでもなれ。俺は誕生日に大好きなラジオを聴きに来たんだから、こんな恥ずかしいことも楽しみで忘れなくちゃ。
めちゃくちゃ恥ずかしいけど、大好きなラジオで応援をもらえたことは素直に嬉しかったんだから。




『――では、本日のゲストお越しいただきましょう。染井ヨシノさんです。どうぞ!』

観客全員の拍手でゲストをお迎えする。思えば、この客の中には歌手の染井ヨシノが好きで見に来ている人もいるのかもしれない。
こうして聴いているうちにも時々客の入れ替えがあったようで、何度も詰めあったりしているうちに、いつの間にか俺の立ち位置も移動して、だいぶスタジオの中が見やすくなっていた。

『「Twilight balloon」をご覧の皆さん、こんばんは。染井ヨシノでございます』

アコースティックギターを抱えた、飾り気のない風貌の女性がやってきた。

俺はこの人のことを良くは知らない。
だがクールな見た目と裏腹に、質問コーナーでの「染井さんと言えばアコギですが、今後アコギ以外に弾くとしたら楽器は、ゴボウか大根か白滝だったらどれがいいですか?」とかいうふざけた質問にでお腹を抱えてこれでもかというくらい大爆笑をしてしまっている姿は交換を持てた。

『そんなこんなでしたが、そろそろお時間です。染井さんとお別れの前に生演奏を披露していただきましょう』
『観客の皆さんもサビのところをご一緒に歌ってください。それではいきます。今度発売のアルバム「ねこのしっぽ」収録曲「ねこのしっぽ」』


今話題のドラマの主題歌で、他の放送局でもよく流れる馴染みの曲だ。俺も小さくだけど一緒に歌った。
他の観客もそれほど大きな声で歌っているわけではないので、合唱なのにボソボソとしていてちょっと怪しげな雰囲気だった。

それが可笑しくて、妙に心地よかった。





ゲストが帰った後、少し音楽を流して、『Twilight balloon』もエンディングの時間となった。


『この時間お届けした「Twilight balloon」も本日はおしまいのお時間がやってまいりました。この後の放送は話題のニュースを解説する『TLスコープ』、引き続き「FM Cleome」でお楽しみください。今日のナイスな書き込みを送ってくれたリスナーは――』

最後の挨拶が行われる頃には、観客の三分の一くらいは人数が減っていた。最初来た時には見かけなかった人の姿も結構多い。

『それではみなさん、明日も楽しいことがありますように。上陸!』

撫子の最後の決まり文句を合図に、パラパラと拍手が観客間で囁いた。スピーカーから音楽がフェードアウトして消えた。拍手も消える。

放送が終わった。
ここでようやく振り返る。楓が自分で言っていたように、向かいの歩道で楓が待っていた。いつの間に買ったのか、喫茶店の紙コップを啜っている。

お互いの用事も終わった。あとはもう帰るだけだ。
立ちっぱなしで喉も乾いたし、あの飲み物、一口分けてもらおうかな。

そう思って、サテライトスタジオの元を離れようとした。

『――はい。放送お疲れさまでした!
今からしばらくスタジオの外に出ます。サイン入り名刺が欲しい方、一緒に写真を撮りたい方はお申し付けください』

終わったと思ったスタジオから、そんなアナウンスが聞こえて、撫子が外に出てきた。

「お疲れ様でーす」

あっという間に数人の人が撫子の周りに集まる。
もう空も暗いし、人もまばらなので、そこまで大きくは聞こえないが、しっかりと肉声が気持ちよく耳に伝わった。


リスナーたちとにこやかに会話をし、時に写真を撮り合う様子を、何をするでもなく俺は眺めた。



「行かないの?」
「うわわっ!?」
「声かけたいから残ってるんでしょ?行けば?」

いつの間にか楓が隣に来ていたことに驚いた俺を、楓は気に留めなかった。

そりゃ、俺だって話したりしたいけど…。
なんて話せばいいのか…。だってなんか、好きな子のこととか 知られてる人でもあるわけだし…。


「うーん…。…………」
「行ってきなさいって。――ほらっ!」

業を煮やしたのか、楓は俺の背中をどんと押した。

「あー、大丈夫ですか?!」

すると、それまでリスナーたちの輪の中にいた撫子が俺に声をかけたのだった。
突然よろけた俺を見て、目をまんまるにして驚いている。

「い、いえ!ちょっとふざけてしまって…すみません。あの、えっと、サイン名刺くださいっ!」
「いいですよー喜んで!」



俺はサイン入り名刺をもらい、握手もしてもらえたのだった。



「ありがとう、楓」
「こっちこそ買い物付き合ってくれてたし」

帰りの電車の中、パスケースに忍ばせたサイン入り名刺に目をやる。
サインの中にあるナデシコの花の絵が、伝統に照らされて鈍く光った。



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