Evolvulus
□今日が誕生日だと教える必要もないわけで
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「放課後、姉さんと出かけてきます」
「翔ちゃんと?」
「はい。商店街へ映画を観に行こうと。授業数も少ない日ですから、門限までには帰れます」
「映画館に制服で行くの?一度着替えた方がいいんじゃないかしら」
「…では一度着替えてから行けるよう話してみます」
「その方がいいわ。せっかく誕生日なんだから、その辺はちゃんとして楽しんでらっしゃい」
9月9日、菊の節句と呼ばれる日。私の名前が菊花と付けられたのは、この日に生まれたことに由来する。
「菊花!生まれてきてくれてありがとう!!!」
朝、目を合わせて一番に姉さんがそう言って、私を抱きしめた。
家族よりも、同級生の友達よりも、世界中で誰よりも一番、私を祝ってくれる人。
「そっかー。やっぱお母さん、学校から直接行くのは許してくんなかったかぁ」
私が約束した映画の件、一度帰って着替えてから出かけようと話しても、姉さんは不満そうな顔はしなかった。
お互いの家庭事情を分かっている分、なんとなくそんな気はしていたのだろう。
「じゃあ今日は一緒に帰って、一緒に出掛けて、また一緒に帰ってってやればいいね!」
誕生日に一緒に出掛けるのは久しぶりだ。
毎年祝いの言葉やプレゼントはし合っていたけれど、だんだんお互いに予定が合わず、誕生日当日に遊ぶことはなかなかできなくなっていた。
学年が違うこともそうだが、姉さんは部活、私は習い事と、それぞれの事情ができた。何より、中学校は別々だったのは大きな理由だろう。
「そういえばさぁ、菊花。今日菊花が誕生日だって知ってる人クラスにいる?」
インターネットチケットを取りながら、姉さんはふとそんな問いを投げかけた。
「クラスの女子には何人か教えたことはありますけど」
「女子?」
スマホを捜査する手が一瞬止まった。
「入学した時にみんなの前で自己紹介とかしなかったの?」
「しましたけど、特に誰も誕生日まで言ってませんでしたし」
「まぁ……そんなもんか」
そんな会話をしているうちに、少しずつあの道に差し掛かろうとしていた。
姉さんが神谷くんと接触事故を起こしたところだ。
もう9月だというのに、毎朝、毎夕、登下校の度にちらつく。
ぶつかった衝撃と、がむしゃらに下げられた頭。
あの時の可哀想な顔を思い出すせいで、この道ばかり真剣に曲がり角の確認をしている気がする。
そんな時に、同じく通学している神谷くんと目が合ってしまうことがある。
そうなると少し困ってしまう。彼のことを思い出しながら、彼に会ってしまうのは中々に気恥ずかしい。
彼もこの道で通学しているものだから、当然ながら彼と鉢合わせることも珍しいことじゃないのに。
「あれ?神谷くんじゃね?神谷くーん!」
今日は私よりも先に姉さんが神谷くんに気が付いた。
まだ曲がり角に入っていない。彼はすでに通り過ぎて、私たちの前をまっすぐ歩いていた。
「あっおはよう!ございます!」
「おはよ!」
「おはようございます」
真っ先に挨拶をする彼は、心なしかいつも以上に晴れやかな表情をしている気がした。
「今日はね、菊花デートなんだ。あたしとね!二人で映画観に行くんだ。ねーっ」
「そうなんですねー。翔さんと水沢さん、なんの映画観に行くんですか?」
「『猫の冒険譚』」
「うーん?知らないんですけど、動物映画ですか?」
神谷くんが加わると、それが当然のように姉さんが神谷くんに話し始める。そしてそれに応じる神谷くん。
この二人は会う度に仲良くなっている。神谷くんなんて、いつの間にか姉さんのことを「翔さん」だなんて呼んで、「美風先輩」とは呼ばなくなった。
神谷くんも姉さんも明るい人だから、きっと波長も合うのだろう。
対して元々話すのが得意ではない私は、一緒にいる人が二人以上になるとどうにも一人浮きがちになる。
疎外感がないと言えば嘘になるが、決して仲間外れなどではないことも理解している。
(……いいな…)
何に対して羨望しているかは、よくわからない。
「そーいえば、知らなかったでしょ?今日、菊花の誕生日」
「えっ!?」
「ちょっ、姉さん」
突然、神谷くんに誕生日をばらされてしまった。
いや、別に隠す必要は全くないのだが、わざわざ今日が誕生日だと教える必要もないわけで。
「誕生日だったの水沢さん!?ごめん知らなくて。お、おめでとう!」
「ど、どうも…」
…神谷くんがまたオロオロしてる。教えてもいなかったのだから、気に病まなくてもいいのに。
「じゃあ、水沢さんはもう16歳なんだ。俺まだ15なんだよね」
「そうでしたか」
「うん…」
会話終了。
どうも私が相手だと彼はわかりやすくたどたどしい話し方になる。
きっと彼はこういうタイプの人は苦手なのだと思う。それでも私に頻繁に声をかけてくれるあたり、向上心のある人でもあるのだろうか?
ふと、彼は何かに気が付いた。
しかし、すぐに難しそうな顔をして、口を真一文字に結んで何かを悩み始めた。
そして、徐にカバンの中に手を入れた。
「これ、あげる」
と言って、長3程の封筒を手渡された。
心電図をイメージしたラインと『FM Cleome』という字が描かれたおしゃれな封筒だ。
「あ、ごめん。住所貼ってあるのを渡されても困るか」
神谷くんはそう言って、封筒を破いて中からピンバッチを取り出した。
「えっと、今朝届いたラジオのグッズで…。良い書き込みを送った時の景品なんだ。水沢さんが知らなかったらごめんなんだけど、ほら…結構いいデザインだと思うし。今あげられそうなものってこれくらいしかないから…」
「へー、結構かわいいじゃん。よかったね、菊花」
「…でも、悪いです。そんな喜ばしい物をもらうなんて」
「そんなことないよ。またいつでももらえるし。それに…同じの一個持ってるんだ。もらってよ」
彼はそう言っているが、おそらく嘘だろう。
だってもしかしたら、先程の晴れやかな表情は、これが今朝届いてたことが嬉しかったのではないだろうか。
そんなに簡単に手に入るものではないこれがもらえたことが、嬉しかったのではないだろうか。
「……気に入らない、かな?」
「いえそんな」
…だが、ここまで押されてしまったら引き下がるのも無礼だとも思った。
「とってもかわいらしいです。…ありがとうございました」
「うん!」
「ってか神谷くんラジオ聴いてるんだ〜」
「あ、はい。昔から好きなんですよラジオ」
私はピンバッジをもう一度観察してみた。
ゴールドの下地に紫色の丸くてシンプルな気球。ラジオ番組名をあしらった筆記英字。
神谷くんの好きなものが、プレゼントか。
…今度、このラジオ番組を聞いてみよう。