Evolvulus

□珍しいね、休日に会うの
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玄関のドアを開けた先では、薄く澄みあがった空が眩しいばかりの光の筋で廊下を照らしていた。
良い天気だ。
今日は私たちの特別な日だから、こんなに晴れてくれてとても嬉しい。

私は手に下げたケージを揺らさないように気を付けながら、この綺麗な空が見えるように持ち上げた。

「ご覧、エノ。雲もない透明な空だよ」

私の大切な猫は、興味がなさそうに下を向いて前足を舐めた。

今日一緒に買い物の約束をした楓と合流するために、私たちはエレベーターホールで彼女を待つ。
ここより一つ上の階に住んでいる楓と待ち合わせる時は、暗黙的にこの場所になりやすい。

それ程待つ時間もかからないうちに上階から降りてきたエレベーターに楓が乗っていたので、そのエレベーターに乗って二人して1階まで降りる。
これがいつもの私たちの流れだ。

「おはよう、楓」
「おはよう。そして誕生日おめでとう」
「…ありがとう」

この世に生まれて16年、いまだに面と向かって誕生日を祝われるのはくすぐったい気持ちになってしまう。
今日3月22日は私の誕生日。そして、愛猫・エノを家族として迎えた記念日でもある。

「今日首輪を買いに行くんだっけ?」
「そう。エノと初めて出会った記念日だから、お祝いにおいしいごはんも買ってあげなくちゃ」
「ふぅん。よかったね〜エノ」

楓がケージの前に屈んで、エノに語り掛けた。
楓はエノのことをとても可愛がってくれていて、エノに会いたいがために遊びに来ることも珍しくないくらいだ。

私たちは雑談を楽しみながらショッピングモールのペット用品店へ歩く。
そこでならペット同伴可能だし、何よりかわいいペットグッズの品ぞろえが多いから。
途中、タピオカ専門店やバーガーショップに寄りつつ、公園でランチをしながら行こうというのが本日のプランだ。

ただ、どちらの飲食店も動物を連れて入ることはできないので、あらかじめメニューを決めて楓に買ってきてもらうことにした。



「50円玉ある?」

タピオカ店の前で、私が訊ねた時だ。ミックスベリーのタピオカ料金を楓に渡そうとしたが、丁度出すには小銭の数が合わなかった。
ところが楓は私の申し出を断り、さっさと並んで行ってしまった。

「誕生日なんだから私に奢らせて。プレゼントにしては微妙かもしれないけど」

なんて言われて、お昼ご飯も同じように奢られてしまった。








公園でちょうどいい日陰のベンチに腰掛けた直後、スマホに連絡通知が届いていたことに気づいた。陸斗だった。
陸斗から祝いの連絡が来たと伝えると、楓はあからさまに顔をしかめてハンバーガーの包みを広げた。

「あいつ、もしかして今起きたんじゃないの」
「出る時も寝てたの?」
「休日だからって調子乗って夜更かしし過ぎなのよ。普段から朝寝坊のくせして」

陸斗にはお礼のスタンプを返信しておいた。ミックスベリーの甘い酸味とタピオカの歯ごたえを噛み締める。

「まぁ、陸斗のことはいいわ。そんなことより…エノが来てもう6年になるのね」

楓は自分の膝の上で寛ぐエノを愛おしそうに見つめ、そっと撫でた。

私が10歳の誕生日を迎えた日、両親に連れられて入ったペットショップで出会った可愛い子猫。
一目惚れだった。一瞬でガラス越しに見上げたその愛らしさに目が離せなくなった。
そして最初にだっこした時の温かさ。小さな心臓が動く熱の感覚。私をじっと覗き込む瞳。
決定だった。もうこの子しかいないと思った。

エノはうちに来た頃から人懐こい性格で、私たち家族にそれはよく愛されて育った。
双子の幼馴染にも気に入られ、当時親の不在が多くなっていたこともあって、二人は頻繁にうちに来てはエノをひとしきり撫で続けていた。
陸斗の方は、成長するにつれてあまり遊びには来なくなったけれど。

しかし、昔は外に出るのを怖がって、こうして連れ出しても絶対にケージの中から出ないような子だったのに、今は人にくっつくためならこうして外に出てくる。
普段は一緒に過ごしているせいで気づきにくい変化が、感慨深い。

「そういえば、あれっていつだったっけ?」
「あれって何よ」
「楓が陸斗と大喧嘩して、私の家に家出しに来た時の話。エノ、今みたいにずっと泣きっぱなしだった楓の膝の上にいてくれてたじゃん。楓ときたらその時…」
「やめてやめて!なんでそんな恥ずかしいこと言いだすのよ、もう!」










そんなような会話を繰り広げながらの食事を楽しんだ後、いよいよモールについた私たちは猫用グッズコーナーに足を運んだ。
前に来た時とは内装が替わったので一瞬迷いかけた。猫用アクセサリーが揃えられた棚の向かいには犬用アクセサリーも並んでいる。

「エノには洋服とか着せたりしないの?」
「あんまり好きじゃないみたいなんだよ。着せると腰ぬかしちゃうんだよね」
「なるほどねぇ。…ねぇこれとかどう?」

楓がリボンと鈴のついたかわいらしい黄色の首輪を見せてきた。

「かわいいけど…目立ちすぎない?」
「だからいいのよ。万が一脱走しちゃった場合に目印になりやすいでしょ?」
「私のエノが脱走するなんてしないんじゃないかな…」
「沙里はエノを過信しすぎなの!」
「う〜ん、でも…。ねぇこれは?」

私はストライプ模様のネクタイと襟の飾りが可愛い首輪を見せた。

「あ、これもかわいい」
「ね?ちょっと切りっとした方が誕生日の贈り物って感じするでしょ」
「今日誕生日なのは沙里だけどね」
「ほとんど同じだよ。エノと家族になった記念日なんだから」


何気なくあちら側の棚を見やると、目の端に見覚えのある背格好が映り込んだ。
それが知り合いだと認識するまではほんの一瞬のはずだが、自分の中で何拍か間があったような感覚があった。

「珍しいね、休日に会うの」

私が何か言うより先に、灰原くんの方が気づいて話しかけてきた。いつも通りに微笑むその顔も、私を見て少し驚いたようであった。

私が抱えたケージに気づいた彼が、さらに話を続ける。

「猫、飼ってるんだ」
「エノっていうの」
「…エノってその子のことか。ああごめん、さっき聞こえちゃってね」

胸の奥が張り詰めた気になった。つい灰原くんの顔を真剣に見つめてしまう。期待してしまっていた。


「誕生日おめでとう、だね」


ぶわ、と。
何かが溢れたような錯覚に、足元が揺らぐようで、膝に力がこもった。

誕生日だって話を聞かれた。
今日が誕生日だって知られた。
そして祝われた。

…今日は気温が高いから、暑くて汗までかいちゃいそう。

「あり、がとう」
「俺は犬飼っててさ。今朝散歩したらリード壊れちゃったもんで…あ、あった。これがお気に入りなんだ。」

灰原くんは向かいの犬コーナーから手早く青いリードを手に取って見せた。

目が覚めるような深い青色のリードを持って、飼い犬と散歩している彼の姿を想像する。今日みたいな天気のいい日に、陽射しでも仰いであくびしたりする姿。

「…じゃあ、俺はこれで。邪魔して悪かったね」
「あ、うん。…………じゃあね」

どんな犬を飼っているのかくらい訊いてみたかったが、訊ねる前に灰原くんはレジへと離れていってしまった。

追いかけて声をかけるのも何か変な気がして、やめておいた。
それに今は楓と遊んでいるわけだし、何よりエノの首輪とごはんをまだ選んでいない。



「……さーて、どれがいいかなぁ。いくつかエノに試着させてみよう」

気を取り直して楓に声をかけてみたが、わざとらしい口調になってしまった。ケージをあけようとするもどこか焦って手こずってしまう。

そんな私の様子を楓は訝しげにまじまじと見ていた。


「えっ何?私、今どんな顔してる?」
「いや、すごく嬉しそうだな〜って…」

私はエノを抱き上げて、そのお腹に顔を押し付けた。



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